第165話 公爵令嬢16歳、初めての劇場
季節は二度巡って――
梅雨が終わり、暑さもいよいよ本番という季節。
お祖父様の公爵の爵位をお父様が譲り受け、フランツィスカ公爵となり、私は正真正銘の公爵令嬢となった。
お父様は名前負けしないようにと、髭を伸ばして威厳を持ちたいようだけど、正直全然似合っていないと思う。
私はというと、とうとう十六歳になり、胸も成長してほとんどゲームどおりの悪役令嬢マーガレット・フランツィスカの姿になっていた。
今は七月半ばだが、九月になれば私は学園に入学し、『幽閉エンド』という私の運命を決める乙女ゲームがスタートすることになる。
しかしそんな緊張感を忘れるほど、今日の私は浮かれていた。
日がゆっくりと沈み、夕焼け色に変わる頃。
私とクレイグとターニャは馬車に揺られ、王国有数の劇場・スターチス劇場へと向かっていた。
ゼファー様から演劇鑑賞のお誘いを頂いたのだ。
念のために言っておくけれど、ゼファー様とのデートを楽しみにしているわけではない。
完全新作の演目『天翔ける指輪はかくも輝いて』が観られるということで、つい浮かれてしまっているのである。
実はこの演目の主役は、私の敬愛して止まない俳優ブルック・プディカスティ様が演じるのだ。
まだこの手の演劇は早いと連れて行ってもらえなかった私は、あまりの期待に胸が踊り、一睡もできなかった。
今の私は、推しに会える数時間前のテンションなのである。
そのためか、ついクレイグとターニャに熱く語ってしまう。
「ブルック様は九月から通う、ローゼル学園の卒業生でね。特待生だったのよ。卒業してすぐ主役に大抜擢されて、一夜にして大人気俳優になったすごい人なの! その後も類まれなる才能を発揮してね」
目にも止まらぬ早口で、ブルックを讃えるマーガレットをなだめるように、クレイグは声を掛けた。
「あの、お嬢様。ゼファー殿下の前で、そのようにブルックさんを褒めないようにしてください。明日にはブルックさんが劇団からいなくなってしまうかもしれませんので」
「ま、まさか~、そんなわけ…………うーん、わかったわ」
クレイグの言葉で少し冷静さを取り戻した私は、ゼファー様の前では煩悩を封じて菩薩のごとく無心になると決め、シミュレーションを試みる。
しかし、ブルックのことを考えるとマーガレットの顔は緩み、無理に顔をしかめてみせると、
「お嬢様、面白い顔してる」
とターニャから指摘される始末だ。
クレイグからもらったコンパクトミラーを取り出し、マーガレットはすぐに確認した。すると鏡の中には、緩む顔を止めようと変顔になってしまっている私がいた。
ど、どうしよう。
ブルック様の劇を見ている間、平静な状態でいられる気がしない!
「どうしても笑っちゃうわ。二人とも、どうしましょう!?」
するとターニャが元気よく挙手する。
「はい! 笑いそうになったら、自分の太ももをつねるっていうのはどう?」
「ターニャ、それはあなたが眠くなった時の対処法じゃないですか」
「むー、そのとおりだけど。だったらクレイグも何か考えてよ」
「そうですね、観客の方々を数えていくのはいかがでしょう? きっと数えることに集中しすぎて、劇どころではありません」
「どっちにしても劇に集中できないじゃないの。もう、どうすればいいのー」
とマーガレットが悩んでいたら、いつの間にか劇場へと到着してしまった。
日は沈み、あたりはすっかり暗くなっている。
マーガレットの乗った馬車は、一般客の利用できないVIP専用の停車場に停車した。馬車を下りると、ゼファーを筆頭に、ミュシャと取り巻きたちが出迎える。
当初の予定では、ゼファーはフランツィスカの屋敷に迎えに来るはずだったのだが、用事が入ったらしく、ゼファーにしては珍しく現地集合になったのである。
マーガレットはゼファーにエスコートされ、VIP席へと向かう。
スターチス劇場は王家の運営する歴史ある劇場で、白と黒を基調としたモダンな造りの内装がお洒落な劇場だ。
壁には、この劇場で誕生した俳優たちの手形が飾られていて、歴史の深さを感じさせる。
いつかここに、ブルック様も飾られるのかしら。
マーガレットは自然と緩む頬をつねって気を引き締めたが、気付いたゼファーが微笑みかける。
「ふふ。とても楽しみにしていたんだね、マーガレット」
「は、はい。ブルックさんの劇を観るのは初めてなので、とても楽しみにしていました」
「そうか……今日は存分に楽しむといい」
あれ? 全然怒ってないみたい。
ゼファー様のこの感じなら、ブルック様に酷いことをする心配はなさそう、かしら?
VIP席へ着くと、そこは舞台が一望できる二階の中央の席だった。
まさかこんな良い席で劇を観られるなんて……流石は王太子。
一階の席の観客たちも大半が着席していて、開場時間が迫っていることが見て取れる。
ただ何となくだけど、観客の人たちがこちらをチラチラ見ているような……?
一階の観客席は貴族よりも一般の人々が占めており、劇場に王太子が観劇に来ている話が人づてに広まったようだ。
やっぱり王太子って有名だものね。
しかも婚約者を連れてきているとなると、なかなかお目にかかれない将来のローゼンブルクを担う国王と王妃に興味を持って、ひと目見ようとするのは当たり前か。
ただ、私が将来の王妃として見られているというのが、どうにも不思議だけども。
「マーガレット。楽しみなのはわかるけど、席に座って待たないかい?」
背後に薔薇の花びらが舞い散っているかの如く、眩い微笑みを浮かべたゼファーは、本革でできたシックなデザインの二人掛けのソファをポンと叩いて、前のめりに劇場を眺めているマーガレットに座るように促した。
席の後ろで控えているクレイグとターニャも、「座るべし」と頷いている。
ミュシャはその様子を見て、楽しそうに「フフフ」と笑った。
そうだわ、ニヤけないように平常心平常心……。
ソファに腰を下ろしたマーガレットは、気を紛らわすように隣に座るゼファーに顔を向ける。
「今日の演目の『天翔ける指輪はかくも輝いて』がどんな内容なのか楽しみで、つい興奮してしまいました。書き下ろしの新作らしくって、内容がまったくわからないのです。ゼファー様は内容をご存知なのですか?」
「……ふふ。まあ、少しはね」
あれ? 何となく聞いただけだったのに、もしかしてゼファー様は新作の内容を知っているの?
ゼファーの含みのある言葉を不思議に思っていると、会場は暗転し暗闇に包まれる。
――そして、ついに幕が上がる。