第163話 あの日の誓い
ニヤニヤと薄汚い笑みを浮かべた男たちの下心に、マーガレットの背すじは凍りついた。
すると男の一人が右手を大きく振り上げ、マーガレットの腕を掴もうと手を伸ばす。しかし、マーガレットは風を切るようにスルリと躱した。
そんなに大きく振りかぶったら、今から捕まえますって言ってるようなものじゃない。こちとらゼファー様の執拗な監視から隠れながら、クレイグとターニャと部屋の中で稽古を続けてきた身。
加えて昔は不本意ながら『破壊魔令嬢』なんて呼ばれて、一世を風靡した身体強化の賜物持ち。
そんな私がこんなナンパ男たちに負けるなんて、到底ありえない。
でも反撃したら、また難クセつけてきそうだし……どうしたものかしら?
と思考を巡らせながら、マーガレットは二人の男たちの猛攻を物ともせず、スルスルと回避していく。
ところが、路地の脇から三人の子供たちが、無邪気な笑い声を響かせながら飛び出してきた。不運にも、子供たちは男の一人にぶつかった。
バランスを崩し、道路に倒れ込んだ男は、しゃがれた声を絞り出す。
「いっっっ、てえ」
「ご、ごめんなさいっ」
「こんのクソガキ。いきなり飛び出してきやがって、怪我したじゃねーか」
マーガレットへの立て続けの空振りで苛立ちが募っていた男は、怒りに任せて少年のひとりに手を上げようと大きく振りかぶった。
「やめなさいっ!」
少年が殴られる寸前、マーガレットは少年と男の間に割り込み、男の手を掴んで鋭い眼光を飛ばす。
その時、マーガレットを背後から捕まえようと狙っていた別の男が、マーガレットの華奢な身体を後ろから羽交い絞めにした。
「うぉっほ~、可愛いウサギちゃん捕まえたぜ」
「でかした!」
羽交い絞めの状態になっても、マーガレットは少年たちを気にして「早く逃げて」と視線を送っている。
三人の子供たちは迷ったあげく頷き、走って逃げていった。
「ガキ共を逃がすために犠牲になるとか、超いい子すぎて心配だな。そのあと自分がどうなるとか考えてなかったのかな、ふへへへ」
男たちは、羽交い絞めにされたマーガレットを囲んでニヤニヤと下卑た笑みを浮かべている。視線を跳ね返すように、マーガレットは男たちを無言で睨みつけた。
すると男の一人が、マーガレットの眼鏡に手を伸ばした。
眼鏡を掛けた状態でも漏れ出ていた美しい翡翠の瞳が露わになり、しっかりとした瞳の輪郭が現れる。
男たちは、思わず生唾を飲み込んだ。
「こりゃあ……」
「うおぉ!? 美人どころじゃねぇ、超超超超美人の上玉じゃね!?」
「顔以外もなかなか」
羽交い絞めにされたことで、衣服のたゆみが減り、身体のシルエットがくっきりと浮かび上がる。成長中の豊かになりつつある胸と誘うような細いくびれに、男たちの視線が注がれる。
頭の先からつま先まで、舐めるように見てくる男たちの下卑た視線に、マーガレットの背中はゾクリと悪寒が走って嫌悪感が止まらない。
あの子たちは、もう遠くまで逃げたわよね。
そろそろ反撃してもいいかしら。流石にもう限界だわ。
歯を食いしばったマーガレットは、マーガレットに見惚れて隙だらけになった 前方の男めがけて頭突きを食らわす。
―ドゴォッ。
人から出たとは思えない、まるで石と石とがぶつかり合ったような鈍い音が周囲に響き、男は跳ねるように後ろへとぶっ飛び、隣の仲間を巻き込んで倒れ込んだ。
よし、これで二人。
ここから反撃開始かと思ったその矢先、マーガレットを羽交い締めにしていた男の大きな手がマーガレットの口を塞いだ。
っ!? 息ができない。
その瞬間、凍てつく戦慄が電流のように背中を這い巡り、心の奥底に封じた幼い記憶が蘇る。
この感じ……似てる。
誘拐されたあの日も、後ろから口を塞がれて……奴隷として売られかけた……
私の、私のせいでクレイグに怪我をさせてしまった。
後悔してもしきれない……怖い怖い怖い怖い怖い。
八年前のフラッシュバックで深いストレスを感じたマーガレットの身体は、重い鎖に縛られたように急激に強張り、動きを奪われ、静かな恐怖に閉ざされる。
「い、や……」
マーガレットの異様な挙動に気付いた背後の男は勝利を確信し、高笑いを始めた。
「うは、うははははっ! 急に震えだして怯えたウサギみたいになったぞ。とっとと連れっ、うごばっ!?」
刹那、高笑いした男の背後に現れたのは、黒い皮靴の足裏だった。
その皮靴は怒りで荒ぶり、男の首をもぎ取るかのごとく回転蹴りを食らわせた。
衝撃を受けた男は、横に高速回転しながら地面に倒れ込む。
羽交い絞め男から解放されたマーガレットは、糸が切れたようにふらりと前へと崩れ落ちる。すると、背後から誰かがマーガレットを包み込み、優しく抱き留めた。
「お嬢様っ、ご無事ですか!?」
冷静さの中に気遣いを感じるその声が、マーガレットの耳元を震わせる。
胸の奥に広がる安堵とともに、マーガレットは振り返り、穏やかな笑顔をその人物に投げかけた。
「クレイグ、よかった。無事だったのね。私のせいでまた誘拐されるかもって思ったら、怖くなって動けなくなっちゃった。私、六歳の頃から変わってないみたい」
「そんなことありません。前に倒れている二人はお嬢様が倒したのでしょう。
それに、今は僕もいます。
お嬢様を守るために強くなったのですから、そう簡単には負けるつもりはありません。お嬢様の敵は一人残らず、僕が倒してみせますから」
誘拐されたあの日、互いに守れなかったという後悔の念が、八年の時を経て払拭されていく。
拭い去った先にあったのは、互いを想い合うかけがえのない絆だった。