第160話 甘い真相
陽光差し込むカフェの席で、若いカップルは楽しげに睦み合っていた。
彼女がクリームの付いたタルトを彼の口元に運ぶと、彼は大袈裟に「あーん」と口を開け、頬を染めながらひと口味わう。
笑い声とともに、仄かに甘い空気が広がっていく。
氷山もとろけるような周囲のカップルたちのいちゃいちゃっぷりを見て、マーガレットは口をあんぐりと開けて唖然としていた。
え、私とクレイグもあれをするの? ……え?
マーガレットとは対照的に、何かを悟ったクレイグはナイフとフォークを手に持ち、無言のまま美しい手捌きでタルトを一口サイズに切り分け始める。
タルトを切り終わると、クレイグは持っていたフォークをナプキンで丁寧に拭いてから、マーガレットの手元へと差し出した。
「本当はタルトをすべてお嬢様にと言いたいところですが、流石にこの場でそれは怪しすぎますので、一緒に食べることをお許しください。お嬢様はそのフォークで召し上がってください。僕はナイフで食べますから」
「え、ナイフで食べるって大丈夫なの?」
「行儀が悪いことに目を瞑ってもらえるのなら、問題はありません」
クレイグの生真面目な返答に、目を丸くしたマーガレットは首を横に振る。
「そうじゃなくて……ナイフで舌とか口の中とか切らないか、心配したのだけど」
「なるほど。それなら大丈夫です。僕は孤児院にいましたから、使えるものは何でも使って食べていました。ささくれた木のナイフや折れて尖ったスプーンとか。それとすると、このナイフはまだまだ鋭利さが足りません」
「え、鋭利さ? ……ふふっ、もうクレイグったら、妙なところで野生児なんだから」
予想だにしなかったクレイグの返答に、マーガレットは吹き出して顔を綻ばせる。同時に、マーガレットの不格好な三つ編みがふわりと揺れると金髪は光り輝き、クレイグの目を捉えて離さなかった。
お嬢様が僕の動向を探るために、わざわざ髪の色を染めて変装までして屋敷を抜け出したなんて嘘みたいだけど、あの時の、真っ赤になったお嬢様の反応からしてきっとすべて真実なのだろう。
もし護衛騎士に見つかったら、ゼファー殿下にバレてフェデリコ様の時みたいに不当な要求を受けるかもしれないのに……まったく、あなたという人は。
六歳の頃から型破りでしたけど、相変わらず何をするかわからない女性ですね。でも……僕は、そんなお嬢様だから目を離せない。
胸の奥に燻るこそばゆい何かを感じながら、クレイグは気になっていたことをマーガレットに訊ねた。
「そういえば、お嬢様は髪色を変える魔法薬をお持ちだったんですね」
「ううん。私は持っていないわ。実はね、子供の頃から書庫室に置きっぱなしになっていた魔法薬を使ったの」
マーガレットの発言を聞いたクレイグは、「ん?」と眉をひそめた。
「え、それでは旦那様か奥様のお薬なのでは。勝手に使ってよかったのですか?」
「あー、そういえばそうね。そこまで考えてなかったわ、あはは」
「ふむ。では帰りに、近い色の魔法薬を買って帰りましょう……一応聞いておきますが、魔法薬の落とし方は知っていますよね?」
「…………え?」
フルーツタルトを食べていた手を止め、マーガレットは翡翠の瞳を瞬かせる。
そういえば、魔法薬ってどうやって落とすのだろう?
時間が経てば勝手に髪の色は戻ると思っていたけど、違うの?
後先考えずに魔法薬を使った私は、クレイグを追いかけることに夢中になり過ぎて、本当に気が動転していたらしい。
自分の不甲斐なさに今さらながら気付いたマーガレットは、顔を赤らめ目を伏せる。しかし、そんなマーガレットに愛おしさを感じたクレイグは、つい笑みをこぼした。
「ふふ。では魔法薬と一緒に解除薬も買わないといけませんね」
「私って、何も知らないのね。その魔法薬も解除薬も簡単に買えるものなの?」
「それなら問題ないですよ。偽物もあると聞いたことはありますが、信頼できる店が近くにありますから、そこで買えば問題ないです」
「何から何までありがとう。クレイグと会わなきゃ、私は金髪のまま屋敷に帰って髪を戻せなくって、きっとお母様に叱られていたわね」
「それは目に浮かぶようです。そうだ、僕が今日、外出した理由ですが……」
クレイグは胸元のポケットから、おもむろに銀色の『何か』を取り出した。
その『何か』を見つめたクレイグは、これ以上ない幸せな笑みを浮かべている。
クレイグがこんな顔をするなんて、妖精でも見たくらいに珍しい。
一体何を見ているのだろう?
マーガレットはその『何か』を覗き込む。
――それは、銀色の懐中時計だった。
磨かれたばかりの真新しい銀色の懐中時計は、宝石にも劣らぬ美しい輝きを放っていた。外側のアラベスクの模様も美しく、蓋を閉じたままでも時間を確認できる特殊な造りになっている。
マーガレットの翡翠色の瞳は、美しい懐中時計に釘付けになる。
食い入るようなマーガレットの眼差しを確認したクレイグは、懐中時計の蓋をゆっくりと開ける。
蓋を開けた真ん中には、カフェの暖かな照明を受けて幾重にも輝く、赤紫の宝石が埋め込まれていた。
あれ、この宝石には見覚えがある。
この宝石って、もしかして……。
「レッドベリル?」
「そうです。お嬢様からいただいたこのレッドベリルを身に付けておく手段を考えた結果、懐中時計ならいつも肌身離さず身に付けておけると思いました。それでブレナン宝飾店にオーダーメイドで作ってもらったんです」
クレイグは嬉しそうに懐中時計を見つめていたが、ふとマーガレットに顔を向けると恥ずかしそうに話を続けた。
「あの手紙は、懐中時計の完成を報せる宝飾店からのものでした。完成を待ちわびていたものですから、早くこの手にしたくって辛抱たまらず、つい休みを取ってしまいました」
「そう、だったの」
「そのことで、お嬢様に心配をお掛けすることになるとは……
手紙の主のルビーばあさんはこの道五十年の立派な宝飾師で、貴族からの依頼の合間に作ってもらったんです。
ルビーばあさんも、このレッドベリルのような大変稀少価値が高いものを宝飾できて、五十年で三つの指に入るほどやりがいがあったと言っていました」
「へ、へえ~」
クレイグの熱意のこもった説明に生返事をしながら、マーガレットの心は非常に乱れていた。
え……じゃあ、ルビー・ブレナンさんって宝飾師のおばあさんだったってこと?
ということは、私はまったく関係のない女性たちをルビーさんだと勝手に決めつけて、嫉妬して睨みつけて妄想までして……私ったらとんでもない勘違いをしてしまった。
ああ~っ、もうっ。穴があったら入りたい!
恥ずかしさで、顔を覆いたくなる手を我慢しながら、マーガレットはあることに気付く。
あれ?
見せてくれた懐中時計には、真ん中にレッドベリルがひとつだけ……。
もう片方のピアスのレッドベリルは、どこにあるのだろう?
マーガレットの疑問を感じ取ったクレイグは、神妙な面持ちでコホンと咳ばらいをすると、荷物入れに置いていた紙袋から、手に収まるほどの正方形の箱を取り出し、マーガレットの前へとそっと置く。
そして照れ隠しに目を伏せたまま、柔らかな声で囁いた。
「これはお嬢様にです」
「私に?」