第16話 ちぎれたリボン②
教会の椅子に腰かけたアリスは、ちぎれてしまったリボンを結び直そうと一心に試行している。しかし、ぐちゃぐちゃになったリボンは直りそうにない。
マーガレットもクレイグもリボンを直すことは難しいとすぐに分かった。しかしアリスの必死さが伝わってきて、なかなか言い出せず、ただ静かに見守ることしかできなかった。
ザザは知っていた。
アリスにとってそのリボンはとても大切なもので、ほつれを見つけるとアリスなりに補正して丁寧に、大事に扱っていたことを。
いつか破れてしまう時が来るのは分かっていた。でもそれはもう少し大人になった先のことで、こんな形で訪れるなんて想像もしていなかった。
アリスは今もリボンを直そうと懸命に努力している。
見かねたザザは静かに告げる。
「アリス……無理だ。それはもう、直らない」
ザザの言葉で、直そうと必死に動いていたアリスの小さな手がピタリと止まった。
アリスの空色の瞳は限界まで大きく見開き、口唇と手は小刻みに震えている。
アリスの様子にマーガレットの心はざわついた。
アリス? こんな悲しそうなアリス、ゲームじゃ知らない。
……そうよね。ゲームだとヒロインのアリスはプレイヤーの分身で、キラキラした表面しか描かれていなかったけど、本当はそれだけのはずない。
もしかしてそのリボンは、アリスにとってとても大事なものだったの?
悪役令嬢マーガレットなら、アリスのこんな姿を見たらきっと「無様」と罵って楽しそうに笑うのでしょう。
私は幽閉エンドを回避するために、マーガレットの役割である『悪役令嬢』をするつもりはない。
でも、ヒロインのアリスに深く関わるつもりだってなかった……悪役令嬢とヒロインが仲良くしたら何が起こるか分からないし。
…………でも、私の中の、前世の私が叫んで仕方ない。
私は私は私は――――私は…ゲームで私の分身でいてくれたアリスを、助けたい。
深く息を吐いたマーガレットは何かを決心するとアリスの元へと駆け寄った。そして自分が髪に結んでいたリボンを外してアリスに差し出す。
「私のリボン、同じピンク色だしあなたのリボンの足しにならないかしら……ちょっといい?」
マーガレットはアリスの震えた手からちぎれたリボンを受け取ると、自分のリボンと慎重に継いで結ぶ。
できた!
髪を結ぶだけの長さは十分にある、でもやっぱり不格好だ。
ふとアリスを見ると、アリスは空色の瞳にいっぱいの涙を溜めてこちらを見つめていた。それでも何とかして泣かまいとしているアリスからは強い意志を感じる。
「ご、ごめんなさいアリス。あなたの大事なリボンをこんな勝手に」
「……ち、違うんですマーガレット様。これは…うっ……ぐすっ」
涙が零れ落ちないようにと、瞬きを我慢していたアリスの瞳から、ついに一滴の涙が零れ落ちた。
アリスは何をそんなに我慢しているのだろう。
まだ六歳の子供なのだから泣いたっていいのに。泣くことは悪いことじゃないのに。
ふと、アリスがティムに何度も言い聞かせていた『いい子』という言葉が頭をよぎる。
気付くとマーガレットは、考えるより先にアリスをぎゅっと抱き締めていた。
つい先日、マーガレットが母レイティスにしてもらったように、アリスを力強く抱き締める。
「泣いていいのよ、怒っていいのよ。心を押し殺してまで『いい子』でいる必要はないの」
マーガレットの言葉を聞いたアリスは何度も瞬きをすると、目を細くしてこらえきれずに大粒の涙を流し始めた。
「でもっ、私はいい子にしなくちゃ……おじさんにも嫌われちゃうからっ」
――――思い出した。
アリスは子供の頃、両親を事故で亡くしておじさんと二人暮らしなのだ。
もしかして、両親を失ったのは最近?
大好きだった両親を失ったアリスは皆に嫌われたくなくて、無理して『いい子』に振る舞っていたの?
「アリス。私は今日アリスと出会えて嬉しかったし、教会のことをいっぱい教えてくれたあなたにとっても感謝しているの。出会ってまだ一時間も経ってないけど、アリスのこと大好きになったわ。でもね、それはアリスが『いい子』だからじゃない。アリスがアリスだから! 私はアリスと話してアリスのことを知って大大大好きになったのよ」
「……マーガレット様」
「きっと、アリスのおじさまだってアリスのことが大好きで、誰よりも大事に想っているわ! もしアリスが『いい子』をやめて嫌うような残念なおじさまなら、その時は家出して私の元へいらっしゃい!」
マーガレットから飛び出した大胆な発言に、アリスは頬に涙を伝わせながら満面の笑みを浮かべた。
「そんなことしたら、ジョセフおじさんに余計に心配をかけてしまいますよ」
「あら、おじさまが心配するって思うなら大切にされているって証拠じゃない」
「ふふふ……心配……そう、なのかも」
絹のように柔らかいアリスの金色の髪を優しく撫でながら、マーガレットは考えを巡らせる。
今日会ったばかりの私の言葉だけでは、アリスを安心させることは到底できないかもしれない。
マーガレットの視界に、心配そうにアリスを見つめる黒髪の少年が目に入る。
―そうだ!
「そこのザザっ‼」
「なっ⁉ お前に呼び捨てにされる覚えはねぇ」
マーガレットとアリスの様子をおろおろと見ていることしかできなかったザザは、マーガレットに突然話しかけられて驚きながらも精いっぱいに強がってみせた。
見当違いの強がりにマーガレットは目を細める。
「そんなことはいいから、ザザはアリスのこと大好きでしょ? ……ね?」
「………………はあぁぁぁぁぁっ/////」