第158話 修羅場!?
マーガレットとターニャが振り返ると、先ほど貴族街区へと向かったはずのクレイグが眉間にシワを寄せ、訝しげな表情でこちらをじっと見つめていた。
受け入れがたい現実から目を逸らすように、二人は揃って前を向く。
「さて、次はどこに行こうかしら」
「あ、あそこのお店も楽しそうだよ。あそこに行ってみよう」
「そうねー」
二人は自然な会話のまま、流れに任せて乗り切ろうとした。
しかしクレイグが見逃してくれるはずもなく、マーガレットの肩にクレイグの手がズシリと置かれる。
「お嬢様……待ってください」
「ち、違います。人違いです。私はお嬢様ではなくて、通りすがりの街娘です」
「あたしも、通りすがりのターニャです」
「……ターニャは置いておくとして、あなたは僕のお仕えしているマーガレットお嬢様に間違いありません。
確かに髪色も髪型も違っているし、眼鏡まで掛けていつもより控えめではありますが、そのちょっとクセのある前髪やピンとした背筋の角度。
そして何より、その透き通った海のような翡翠の瞳。間違いなく、お嬢様です。
そもそも、僕があなたを見間違えるはずがありません!」
見つかった後悔よりも、念仏を唱えるように滑らかなクレイグの『お嬢様特徴論』に、マーガレットは顔を赤らめてターニャの後ろへと隠れた。
何だろう。
クレイグが私を見てくれていることはヒシヒシと伝わってきたけど、なぜだか
とても恥ずかしい。
それに自分でも気付かないくらい巧妙な変装だったのに、クレイグがすぐに見破ってくれたことが、正直嬉しかった。
クセのある前髪を隠しながら照れているマーガレットの様子を見て、クレイグは自分の失言に気付いて石像のようにフリーズしている。
やってしまった。
こんなつらつらとお嬢様の特徴を答えるなんて、いつもお嬢様を見ていると言っているようなものだ。
もしかして、気色悪いと思われただろうか。
するとマーガレットとクレイグの様子を見たターニャが、何か閃いたようにポンッと手を鳴らす。
「もしかして……これが修羅場ってヤツ!?」
「違うわ!」
「違います!」
「おう!?」
息の合った両者からのダブルツッコミに、ターニャは夜空に瞬く一等星のように灰色の瞳を輝かせ、
「もしかして……これが夫婦漫才!?」
と言って、二人を絶句させるのだった。
★☆★☆★
ターニャの期待した修羅場ではなかったが、ようやく落ち着いたマーガレットとクレイグ、そしてターニャの三人は、改めて話し合うためにサンノリゼ通りの賑わいを離れ、近くの公園へとやって来た。
楽しそうに遊ぶ子供たち、散歩する老夫婦など、公園では皆思い思いに過ごしている。
話し合いの先陣を切ったのは、ターニャに『夫婦』と言われ、赤くなった顔を冷やそうと、手を扇子代わりにして仰いでいるマーガレットだ。
「クレイグは貴族街区の方角へ歩いていったのに、どうして後ろにいたの?」
「それは……途中からよからぬ視線を感じたので、帰る前に何者なのか確かめようと、通りの細道を使って回り込んだんです。そして見つけたのがお嬢様たちでした」
「な、なるほど」
じゃあ、すでに私たちのことは視線でバレていて、私たちはそのまま泳がされてたってことよね。
よからぬ視線って……クレイグが女の人と会っているのを目撃して、私が同棲とかホテルとか、勝手に不謹慎な妄想をした時のことかしら。
クレイグが女の人に会う度に勘違いして大騒動していたなんて、冷静に考えると恥ずかしすぎるっ。
マーガレットが恥ずかしい妄想に身悶えていると、何も知らないクレイグが真剣な眼差しを向ける。
「……それでは僕からもお聞きしたいのですが、なぜ二人はここにいるのでしょう。僕がいないことをいいことに、二人で街へ遊びに来たのですか?」
「え!? 別に遊びに来たわけじゃなくって、私はただ、クレイグが……その……っ……で」
クレイグの冷静な問いかけに、マーガレットは言葉を詰まらせた。
クレイグが会うルビー・ブレナンって女の人が気になって、嫉妬しちゃって尾行してました、てへっ。
なんて本当のことを自分の口から言うなんて、恥ずかし過ぎて無理よぅ。
黙り込んだマーガレットの様子から、自分の推測が真実だと確信したクレイグは眉をひそめる。
「言えないということは図星なのでしょう……僕に隠れて二人で遊ぶのは楽しかったですか」
冷静を通り越して深く沈んだクレイグの声色に、マーガレットとターニャは怒りよりも悲しみを感じ取った。
まるで仲間外れにされたことを悲しんでいるような、孤独の悲しみ。
すると静観していたターニャが、マーガレットを守るように口を挟む。
「クレイグこそ、いろんな女の人といっぱい話して楽しそうにしてたじゃない。
お嬢様というものがありながら何してるの!? あたしたちは、クレイグが浮気していないか見にきただけだもん!」
「ちょ!?」
「またワケのわからないことを。ターニャは少し黙っていてくださ…………え」
目くじらを立てて抗議するターニャの背後には、図星を突かれ、顔を真っ赤にして恥ずかしそうに俯いているマーガレットの姿があった。
お嬢様? まさか……ターニャが言った冗談みたいな話が、街に出てきた本当の理由なのか。
真意を見極めようと、穴があくかと思うほど凝視してくるクレイグに、狼狽えたマーガレットは聞き取れるかどうかの僅かな声量で答えた。
「その……女の人から手紙をもらったクレイグが妙にソワソワしてて、気になって、それで……」
クレイグは頭に雷鳴でも落ちたような衝撃を受けた。
何故だろう、
突拍子もない信じ難い理由のはずなのに、なぜか不思議としっくりくる。
これは……いわゆる『やきもち』というものじゃないのか!?
興奮のあまり荒ぶる息を抑え、嬉しさで高鳴る気持ちを咳払いで沈めたクレイグは、ちらりと持っていた紙袋に目を落とす。
そして何もなかったようにケロリとした表情で、ある提案をした。
「そうですね……本当は『あの日』にと思っていたのですが、誤解されたままで過ごすのはお互いのためになりません。口で説明するのも難しいことなので、今ここで」
クレイグがそこまで言ったところで、何かを感じ取ったターニャは天に向かって元気よく手を掲げた。
「はいはい、は~い。その続きは、雑誌で見たスイーツカフェでするのがいいと思います!」
生き生きと挙手したスイーツ欲まみれのターニャの提案に、マーガレットとクレイグは思わず笑みをこぼすのだった。




