第157話 くすぶる嫉妬
興奮冷めやらぬマーガレットは、生クリームたっぷりのクレープをひと口ほうばる。まろやかな甘いクリームが枯渇した脳内に染みわたり、マーガレットはようやく冷静さを取り戻した。
「ターニャの言うとおりだわ。もう少し落ち着いて追いかけなくっちゃ」
クレイグに気配を気取られない距離を保ちつつ、サンノリゼ通りの店で買い食いをしながら、マーガレットとターニャは追跡を続けた。
傍目からは、買い食いを楽しんでいる少女二人組にしか見えないことだろう。
「もぐもぐもぐ……あ、お嬢様。目標に動きが!」
ターニャの視線の先には、大きな旅行鞄を持った女性とクレイグがいた。
クレイグは女性と二言三言 言葉を交わすと、女性の鞄を持って仲良く一緒に歩き出す。
今度こそ、ルビーさん?
瞬きをすることも忘れ、マーガレットは女性を観察した。
女性の年齢は十代後半から二十代前半くらい。
髪は短くショートボブで、ストロベリーブロンドが似合う快活な女性といった感じだ。
クレイグって、ああいう女性がタイプなの?
……私も髪をボブにしてみよう、かしら。
マーガレットは魔法薬で金色に染まった三つ編みを指に絡ませて、少し口を尖らせている。
そしてクレイグと、ルビーかもしれない女性のたどり着いた建物を見て、目を疑った。
大理石の柱の堂々とした佇まいは、まるで古代の宮殿を思わせる。
それはサンノリゼ通りの中でも、飛び抜けて豪華で洒落た石造りの建造物。
エントランスには、お客様を迎える複数のベルボーイ。
そこは……
「ホ、テ、ル……」
ホテルのエントランスで、クレイグとルビーなる女性は楽しそうに談笑している。すると突然、女性がクレイグに抱きついて軽い抱擁を交わした。
え……その人は、だれ?
随分と楽しそうだけど、どういう関係なの?
クレイグは家族を亡くして天涯孤独なはずだし、親戚もいないはず。
絶対に赤の他人よね。
その人は一体、誰?
一瞬にして、マーガレットの頭の中は真っ白になり、血が凍るような感覚が全身を駆け巡った。
絶望が私の身を覆っているような、この感覚は何?
ブクブクと頭の中に靄がかかって、まるで水の中にいるみたい。
あの時とは全然違うのに。
え…………あの時って、何だっけ?
すると、マーガレットの頭がズキリと痛み出す。痛みが意識を曇らせた瞬間、凛としたターニャの声が耳に響いた。
「お嬢様、マーお嬢様ってば!」
「……ターニャ?」
「目標が次のところに向かっちゃうよ」
「え、でもホテルに」
「しっかりして! クレイグはあの女の人の荷物が重そうだから手伝っただけで、もう女の人とは別れて今はあっちの方に歩いていったよ。ほら、早く行かなくちゃ見失っちゃう」
ターニャに手を引かれながらマーガレットがチラリとホテルに目をやると、先ほどのショートボブの女性は、旅行鞄を持ったベルボーイと一緒にホテルへと入っていくところだった。
私、また勘違いしたんだ。
クレイグのこととなると、私は冷静でいられないらしい。
「あ、クレイグ。また止まった」
「え!」
ターニャの声で我に返ったマーガレットが正面を向くと、ある店の前で立ち止まっているクレイグが視界に入った。
他の新しい店と比べると年季の入った店構えのその店の名は、ブレナン宝飾店。
――ブレナン。
手紙の送り主のルビー・ブレナンと同じ苗字だわ。
クレイグはこの店に用があって来たに違いない。
すると、店の隅から箒を持った少女がクレイグに駆け寄り、何事か話しかけている。少女はマーガレットとそう変わらないくらいの年頃で、店の前の掃除をしていたことからこの店の関係者だろう。
あの子が本物のルビー・ブレナンさんかしら。
クレイグと少女ルビー(仮)が店に入って、五分が過ぎた。
マーガレットとターニャは近くのベンチに腰を下ろし、出店で買ったドーナツを美味しく食べる少女の演技をして張り込み中だ。
ブレナン宝飾店のショーウインドウには、ネックレスやブレスレットなどのアクセサリーを始め、細工の施されたライターや懐中時計といった宝飾品が飾られていて、店の中の様子を確かめることはできない。
宝飾店を見ては、ソワソワと心配そうにするマーガレットの隣で、ターニャは口を膨らませる。
クレイグってば、他の女の人に構いすぎ!
マーお嬢様をこんなに心配させて、変装までさせて……羨ましい。
でもお嬢様と一緒におでかけできて、これ以上ないくらいあたしは幸せだけど。
それにクレイグが助けた女の人たちって、みんな赤毛で、どことなくマーお嬢様に似てるから放っておけなかったのかなって、何となくわかっちゃったし。
そんなことを考えていたら、ターニャはドーナツをぺろりと食べ終わっていた。
ターニャとは打って変わって、ドーナツを手に持ったままのマーガレットは、宝飾店に注意を払いながら道行く人々にも目を向けていた。
店で買ったクレープを互いに食べさせ合うカップル。
寒さを凌ぐために腕を組み、温め合う弾ける笑顔のカップルと、幸せそうなカップルばかりが目に入る。
いいなぁ。
私もあんなふうにクレイグと……
なんて、婚約者のいる私には一生無理な話よね。
今、クレイグはお店の中でどんな話をしているのだろう。
さっきのルビーさん(仮)と楽しく話しているのかしら。
クレイグを追跡して、ルビーさんの正体を突き止めることばかりに気を取られていたけど、私は彼女の正体を知って……そのあと、どうしたいのだろう。
何でもなかったって安心したいのだろうか。
でももし、クレイグとルビーさんがさっきみたいな道すがらの幸せなカップルなのだとしたら、私は……。
―チリン、チリリン。
人混みの中でも微かに聞こえたドアベルの音とともに、宝飾店の扉が開いた。
店から出てきたクレイグは、紙袋を大事そうに持って、店の中に向かって深々とお辞儀をしている。
宝飾店に用事があったのは間違いなさそうだ。
そういえば、謎の女性ルビーにばかり気を取られて失念していたけど、クレイグは宝飾店に何の用事があったのかしら。
店をあとにしたクレイグは、貴族街区の方角へとまっすぐ歩き出す。
おそらく屋敷へと帰るつもりなのだろう。
思ったより早かったわね。
あれ? クレイグが帰る前に屋敷に帰り付いておかないと、まんがいちクレイグが私の部屋に来たらバレちゃうんじゃ……!
真面目なクレイグだから、「用事は済んだから仕事します」はあり得る。
「ターニャ、すぐに帰りましょう。クレイグと鉢合わせしたら大変だわ」
「うん、わかった。もぐもぐごっくん」
三つ目のドーナツを飲み込んだターニャとマーガレットがベンチから立ち上がったその時、背後からとても聞き覚えのある少年の声が聞こえた。
「お嬢様?」
「「え?」」
マーガレットとターニャは背後からの恐ろしい予感を感じつつ、恐る恐る振り返る。
そこには、先ほど貴族街区へと向かったはずのクレイグが眉間にシワを寄せ、
訝しげな表情でこちらをじっと見つめていた。




