第153話 恋
マーガレットはクレイグにしっかりと抱きつき、今もクレイグの温かな胸に顔を埋めている。マーガレットは心臓の鼓動に耳を傾けた。
―とくん、とくん。
少し早いだろうか。
その高鳴るリズムがクレイグの無事を奏でると同時に、ある感情を呼び起こす。
クレイグがマティアスの攻撃を受ける度に、もしクレイグに何かあったらと
見ているのが辛かった。
この気持ちはクレイグを大切に思っているから?
それはやっぱり、私はクレイグのことを好きなの?
…………クレイグに、恋、しているの?
もう目を逸らすことのできないこの気持ちは、たぶんそう……きっとそう。
そうだ。私はクレイグに恋している。
気付いてはいけなかったのに、認めてはいけなかったのに、もう知ってしまった。クレイグが……私のかけがえのない存在であるということを。
でも、決して結ばれたいなんて望んではいけない。
ゼファー様が望むかぎり、私はゼファー様の婚約者だ。
この気持ちをゼファー様に知られでもしたら、幽閉エンドよりも、もっと恐ろしい運命が待っている気がする。
クレイグだってどうなるか…………。
浮ついた熱が冷め、ふと我に返った時、クレイグの声が耳に届いた。先ほどから必死に私の名を呼び続けるその声は、私の意識を引き戻す。
「……さま……おじょう、さま?」
「あ……ちょっとボーッとしちゃって、ごめんなさい」
マーガレットはクレイグから離れると、照れを隠すように耳のピアスに触れる。
そして、祖父の『ある言葉』を思い出した。
――このレッドベリルのピアスは、大切な人に贈ったら恋が成就するという幸運の石なんだ。
私も信じてみてもいいのかしら。
きっとそれは、とてつもなく困難な道だけど、私は…………。
気が付くと、マーガレットは両耳のピアスを外してクレイグに差し出していた。
「……これをクレイグに贈ります。私からの『深愛』の証として、どうか受け取って」
「いけません。それはお嬢様の大切にしているお気に入りのピアスです。受け取れません」
「いいの。大切な物だからこそ……あなたに贈りたいと思ったの。あなたは私にとって、それだけの人だから」
お祖父様からもらった恋を成就する幸運の石。
だからこそ、クレイグに受け取ってほしい。
しばらくピアスを巡って押し問答を繰り返した二人だったが、ついにクレイグが折れて受け取った。するとマーガレットは花が咲いたように嬉しそうに微笑む。
「ふふ、このレッドベリルの色、クレイグの瞳の色に似ていると思わない?」
クレイグは戸惑ったように笑い、贈られたピアスをマーガレットの髪に合わせた。
「僕はどちらかというと、お嬢様の髪色に似ていると思います……あの、本当にこんな高価な物をいただいて良いのでしょうか?」
「もちろん。受け取ったのだから、それはもうあなたの物よ」
自分の手の中で、赤い双子星のように煌煌と輝くレッドベリルのピアスを、クレイグはまじまじと見つめた。
お嬢様からの『親愛』の証。
いつも肌身離さず身に付けていたい。
でもお嬢様の物だったピアスを僕が耳に付けていたら、妙なウワサが立ちかねない……。
あることを閃いたクレイグは、念のためマーガレットに確かめる。
「お嬢様……その、いつも身に付けていたいので加工してもよろしいですか?」
「ええ、あなたの好きなようにして」
「ありがとうございます。大切にしますね」
クレイグはハンカチを取り出すと、失くさないようにピアスを包んで大事そうに胸ポケットにしまった。
すると突然、クレイグは片膝を突いてマーガレットの眼前に跪く。
そして、大切な物に触るようにマーガレットの右手を取って、手の甲に優しいくちづけを落とした。そのくちづけは、クレイグからの深い愛情に満ち満ちていた。
「お嬢様からの『親愛』に応えられるよう、従者として、これからもずっとあなたの傍で仕えることを、あなたをお守りすることを誓います」
マーガレットの心臓は激しく脈打ち、全身を駆け巡る血が熱を帯びていくのを感じた。
ふぁぁぁぁぁ!? 前世の小説とか漫画でこういうシーン見たことあるけど、まさか自分がこのシチュエーションを体験するなんて思ってなかった。
それに、クレイグから手に、くちづけ!?
心乱れる胸のざわめきを払うように、マーガレットは首を振って冷静さを取り戻すと、跪いたクレイグをおもむろに立ち上がらせた。
「私も……あなたの自慢のお嬢様でいられるように努力することを誓うわ」
「そこはあまり頑張らないでください。これ以上は、(ライバルが増えると)困ります」
「え、頑張っちゃダメなの?」
「…………」
「ちょっと、どうして黙るの?」
マーガレットは首を僅かに傾げ、上目遣いでクレイグを見上げた。
無意識にしているのだろうけど、そんな可愛い顔をしてもダメです。
教えません。
お嬢様がやる気を出すと、アヴェル殿下やゼファー殿下、フェデリコ様といった男性たちが好意を持つという実例がある。
これ以上増やしてほしくないから努力しないでなんて、口が裂けても言えないじゃないですか。
まだ見ぬライバルに嫉妬している男なんて、見苦しいにもほどがある。
その時、廊下からターニャと思われる怒れる少女の声が響いた。
「はあ゛ぁぁ、何言ってるの゛!?」
聞いたことのないターニャのダミ声を不審に思ったマーガレットとクレイグに、突如緊張が走る。
互いに視線を交わし、クレイグは剣を構えてマーガレットを背に庇うように立ち、静かに扉を開ける。
「ごふっ」
扉を押し開けた瞬間、ターニャが鋭く足を蹴り上げ、マティアスが膝をついてうずくまる光景が目に飛び込んできた。
「怒らせるためにそんなこと言うなんて信じられないッ! この人でなし‼ そんな未来絶対に許さないし、させないんだからっ」
ターニャが、伯爵令息相手に暴言を吐いている。
仕えるべき侍女が伯爵令息相手に暴行など、誰かに見られでもしたら、どんな恐ろしいことになるかと戦々恐々したが、騎士たちはいつものこととばかりに気にも留めていないようだ。
マティアスは騎士団でどんな行動をしているのかと二人は疑問に思ったが、
当のマティアスは蹴られた腹部を押さえながら、
「アンタ、いい蹴り持ってるじゃねーか。今度俺と戦わね?」
と、いつもの調子で試合にナンパしている。
「絶対にヤダ!」と断ったターニャは休憩室から出てきた二人に気付くと、マーガレットの後ろに隠れてあかんべーした。
マティアスの『お嬢様はいつか王太子のモノ』発言がターニャの怒りの引き金であることに、クレイグはすぐに勘付いた。
自分もそのことで怒り狂った手前、あまり強くは言えないが……。
クレイグは穏やかな眼差しでターニャを見つめ、冷静に窘める。
「ターニャ、マティアスはお嬢様の頭突きを受けたうえに、盾の取っ手も頭に当たって気絶したんです。これ以上、頭がおかしくなったらグリンフィルド先生に申し訳ないので、手荒な真似はやめておきましょう。マティアスも少しは自重しなさい」
「あ、おい! また敬語になってんぞ、クレイグ」
「あなたがきちんと自重できたら考えましょう」
そんな二人の会話を聞きながら、マーガレットはふぅと甘い溜め息をこぼした。
ついに好きだと認めちゃった。
気付かないようにしていたのに、クレイグの傷だらけの姿を見たら身体が勝手に動いていた。
それに……恋が成就するというレッドベリルのピアスまで渡してしまった。
私の耳に輝いていたレッドベリルのピアスは、今はクレイグの左胸のポケットに収まっている。
婚約者がいる身でありながら、こんなことを願うのはいけないことなのはわかる。でも……。
マーガレットはただ切に願った。
――どうかこの恋が叶いますように。
お読みいただきありがとうございます。
『親愛』と『深愛』、同じ音なのに愛の意味が全然違うんですね。
言葉の行き違いに気付く日はくるのでしょうか?
次は――
クレイグが大事に持っている『謎の手紙』が気になるマーガレット。
その一通の手紙から、おかしな追跡劇が始まります。