第150話 クレイグ、ブチギレる
「お前が負けたら『愛しのお嬢様に愛の告白をする』ってことで!」
クレイグは馬鹿らしいと思った。
正直、マティアスに負ける気なんてさらさらないし、お嬢様を賭けの対象にするなど烏滸がましすぎる。
何より従者の身分の僕が……お嬢様に愛の告白なんて、ありえない。
ボックス席に目をやると、身を乗り出したマーガレットが心配そうにこちらを見つめていた。
先ほどはマティアスが妙に挑発してくるものだから、つきムキになってお嬢様に迷惑をかけてしまった。
どうせなら、お嬢様に何か恩返しできるような賭けの対象はないだろうか。
クレイグはハッと閃く。
「ならば……あなたが負けたら、グリンフィルド先生のことを『父』とお認めになってください」
「はあ? 何だそりゃ」
「実の親子なのに、よそよそしいその態度はお止めになったほうがいいと言っているのです。あなたの身勝手な行いで、周囲が困惑し士気が下がると、騎士団全体にとっても良くないことでしょう」
「うーん……わかった。俺が負けたら父さんでも親父でも、パパでも何でも呼んでやるよっ。じゃあ行くぞ!」
マティアスは「ふぅー」と息を吐き、呼吸を整え始める。
マティアスの周囲に立ち込める空気が渦を巻くようにざわめき、マティアスの身体が眩むような閃光に包まれる。その閃光は、マティアスに吸収されるようにして消失した。
その眩しい光景に、クレイグは見覚えがあった。
これは……グリンフィルド先生と同じ賜物の発動方法!?
嬉々とした笑みを刻んだマティアスは、試合の開始を再現するように突撃してくる。先ほどはマティアスの大剣を受け流し、簡単に返していたクレイグだったが、今度はそうはいかなかった。
マティアスの力も素早さも大幅に上がっていたのだ。
これは、先生の防御の賜物とは違う。
どちらかというと、お嬢様の身体強化の賜物に近いのか!?
クレイグが盾でマティアスに打撃を食らわすと、盾は跳ね返されることなくマティアスは傷を負った。
防御の強化はされていない。
ということは攻撃特化型の賜物か。
「盾で避けてばっかじゃ、つまんねーよ。クレイグっ!」
思いきり反動をつけたマティアスの大剣が、クレイグに襲いかかる。
クレイグはどうにか盾で防いだが、その衝撃は凄まじく、鉄の盾はぐにゃりと曲がり、取っ手の部分が外れて盾は壊れてしまった。
まともに当たっていたら、盾だけじゃすまなかったな。
クレイグは手元に残った盾の取っ手を投げ捨てると、剣を両手に持ち替える。
するとマティアスは、先手必勝とばかりに勢いよく切り込んできた。
その力強さに、クレイグはいつの間にか防戦一方となってしまう。
「どうしたクレイグ。このままだとお嬢様に愛の告白をすることになるぞ」
「ふっ、もう勝った気でいるとは、あなたも気が早いですね。あなたこそ、グリンフィルド先生をどう呼ぶか考えたほうがいいですよ」
「へっ、そんなに愛の告白したくないのかよ。ま、お前が愛の告白をしたところで、いつかはお嬢様は『王太子殿下のモノ』になっちまうんだよな」
―――ピキリ。
何かが音を立てて崩れたような気がした。
ボックス席にて。
マーガレットとターニャは、クレイグの試合を食い入るように見つめていた。
するといつもクレイグと手合わせしているターニャが、クレイグの異変にいち早く気付く。
「あ……あのクレイグはまずいかも」
「ちょっと怒ってるかしら」
マーガレットもクレイグの怒りの気配を感じたらしく、ターニャに視線を送る。手すりから身を乗り出したターニャは、マーガレットの意見に同意するように何度も頷く。
「うん、クレイグ怒ってタガが外れちゃってる。このままだと、あの騎士が怪我しちゃうよ」
ターニャも本気のクレイグと戦いたくて、何度も怒らせようとしたことがある。
しかし子供の頃からマーガレットを巡って怒らせ過ぎたせいか、はたまた慣れてしまったのか、ターニャに対して本気で目くじらを立てることはなくなった。
一体何したら、クレイグはあんなに怒ったんだろう?
……ぜひ教えてほしい!
心ここにあらず、遠慮のなくなったクレイグの攻撃は打撃から斬撃へと変わり、マティアスは生傷を増やし続けている。
くっ、地味に切り傷を負わせて痛いところを狙ってくるのも、クレイグの性格を表してやがる。
マティアスは攻撃を躱すことしかできず、ついには壁まで追い詰められてしまった。
仕留めようと、クレイグが剣を振り下ろした瞬間、クレイグの視界にマーガレットの姿が入った。
両手を握りしめ、祈るようにこちらを見つめているマーガレット。
その姿は、初めてマーガレットと出会った時と同じ、まるで物語にでてくるお姫様のようだとクレイグは思った。
フランツィスカ家に来る前。
まだ家族も生きていて、クレイグも無邪気だった頃。
クレイグの夢は、お姫様を守る騎士になることだった。
そんな夢を抱いたこともあるクレイグだから、グリンフィルド先生から騎士団に入らないかと誘われた時、天にも昇るほど嬉しかった。
でも騎士になるということは、従者を辞めてお嬢様と袂を分かつということ。
たとえ子供の頃からの夢だったとしても、クレイグにはどうしてもそれはできなかったのだ。
僕は許されるかぎり、お嬢様と共にいる道を選んだ。
くちづけを交わしたあの夜から、少しだけ態度の変わったお嬢様。
たとえ自惚れだったとしても、もしかしたらお嬢様も僕のことを想ってくれているかもしれない。
でも……お嬢様は十八歳になって学園を卒業すると、ゼファー殿下に嫁ぐことが決まっている。
従者で男の僕は、きっとお嬢様に付いていくことは許されないだろう。
―いつかはお嬢様は王太子のモノになる。
マティアスの放った言葉が僕の心を抉っていく。深く、深く、深く――
あと四年。
刻々と迫ってくるその時に、不安を覚えずにはいられない。
お嬢様が嫁ぐ……そんなのきっと耐えられない。
その時、自分がどうなってしまうか見当もつかない。
もしも僕がこの試合に負けて、お嬢様に愛の告白をしたら……お嬢様は何と返事をするのだろうか。
受け入れることはなくても、喜んでくれるだろうか。
それとも、
「ごめんなさぁぁぁいっ‼」
そう、あんな風に申し訳なさそうに謝って……ん? お嬢様?
今の声は間違いなく本物のお嬢様の声。どうしてお嬢様は謝っているんだ?
ふいにクレイグの視界が翳る。
傷だらけのマティアスが力を振り絞って、大剣を振り上げていた。
クレイグは紙一重で躱したが、マティアスの猛攻は止まらない。
防戦一方のクレイグは、後ろに後退しながら攻撃を避けていく。しかし不幸にも、足元の何かにつまづいて倒れ込んだ。
マティアスはそれを見逃さず、疾風のごとく突っ込んでくる。
咄嗟に、クレイグはマティアスの顔めがけて地面の砂を投げつけるが――
「今さら目つぶしなんてきかねーよ! 賭けは俺の勝ちだなクレイグッ!」
マティアスが勝ちを確信した瞬間、マティアスの頭上に固くて重たくて冷たい『何か』がゴウンと音を立てて落ちてきた。
脳に凄まじい衝撃が走る。
「ごふっ」
星屑を散らしたように、マティアスは崩れ落ちた。