第139話 秘密の恋
「ふぇっ!? マーガレットの花言葉だけ?」
思いがけないクレイグの言葉に、心揺さぶられたマーガレットは翡翠色の瞳を大きく見開いて瞬かせた。
マーガレットのあまりの驚きように、クレイグは図らずもはにかんで顔を伏せる。そして秋の夜に遠くで聞こえる鈴虫のような、か細い声を響かせた。
「……えっと、はい」
クレイグは照れを隠すように頬を掻いている。
翡翠の瞳にクレイグを映し、目をぐるぐると回したマーガレットの頭の中は大混乱の渦にあった。
それって……クレイグは私のことを気にして、私の名前の付いたマーガレットの花言葉を調べてくれたってこと?
クレイグはどうしてそんなこと…………だ、ダメダメ!
考えれば考えるほど、あの夜のクレイグとのくちづけを思い出し、桃色の深みへと足を踏み入れてしまいそうになる。
あんなことはあったけど、クレイグとは主と従者としていつも通りにしなくっちゃ。クレイグは見事に実行しているわけだし、消えてよ私の煩悩ーッ。
しかし気持ちとは裏腹に、マーガレットの桃色の煩悩は膨らみ、それに呼応するように心臓の鼓動はリズムを速めていく。
気が高まったマーガレットがちらりとクレイグに目をやると、クレイグは照れた顔を鎮めるように下を向いて黙り込んでいた。
クレイグも私と同じようにあの夜のことを思い出してたり……しないわよね。
あ。ターニャが私の、じゃなかったマーガレットの花言葉のページを見つけたみたい。
探し求めていたページをようやく見つけ出したターニャは、いつもより真剣な眼差しで読み始める。
「ピンクも黄色もオレンジも、クレイグの言ったとおりの花言葉だね。
……あ! でもこれだけ言ってない。
えっと、白のマーガレットには『秘密の恋』って意味があるみたい」
「えっ」
白いマーガレットの花言葉が『秘密の恋』ですって!?
『秘密の恋』と聞いたマーガレットの頭の中は、遂にクレイグとのくちづけであふれ返った。
誤魔化しても誤魔化しきれない感情に、マーガレットの心は湖面に落ちた雫のように揺れに揺れたが……。
ち、違うわッ‼
私はクレイグをす、好きだけど、それはあくまで主と従者としてであって。
あれは秘密の恋なんかじゃ……恋なんかじゃ―――っ。
ただただ必死に抗っているマーガレットの様子を、クレイグは口をつぐんだまま見つめている。
白いマーガレットの花言葉に『秘密の恋』という意味があることを、実はクレイグは知っていた。
婚約者のいるお嬢様が僕とあんなことをしたあとに、『秘密の恋』だなんてタイミングが良すぎて自然と避けてしまった。
避けたとしても、結局ターニャに言われるのなら一緒だったかもしれない。
自意識過剰と言われたらそれまでだけど、お嬢様の様子から察するにお嬢様も僕と同様、少しは意識してくれているのだろうか。
そんな叶わぬ夢を見ている自分のことはこれくらいにして、ターニャはお嬢様と僕の雰囲気が変わったことにすでに気付いているだろう。
はあ、バレたくない相手にバレてしまった。嫌な予感がする。
あのキスの夜のように、またよからぬことを考えなきゃいいけど……。
先程までビルからの恋慕に戸惑っていたのが嘘のように、ターニャは幼い頃から知る二人から醸し出される甘い雰囲気を敏感に感じ取っていた。
この二人、思った以上にいい雰囲気になってる!
『二人の仲をもっと進展させたい、いずれは夫婦に』と企むターニャは
『第二回 ここは若い二人にまかせて作戦!』を決行するため、ソファから元気よく立ち上がる。
ターニャは大根役者顔負けの、抑揚のない声を出した。
「あー。あたし、ブーゲンビリアをお家に飾りに行ってくるねーえ」
「え、急にどうしたのってちょ、ちょっとターニャ!?」
マーガレットが最後まで言い終わらないうちに、ターニャはブーゲンビリアの花束を抱えて、脱兎のごとく部屋から退散してしまった。
それはつまり、この部屋にいるのはまたマーガレットとクレイグの二人きりということで……。
「…………うそ」
わ、私、クレイグと何話せばいいのよーっ!?
花言葉の本をパタリと閉じたマーガレットは、ティーカップを手に取ってゆっくりと口元へと運び、紅茶の水面に映る困り顔の自分と、またも睨めっこを始めるのであった。