第138話 この気持ちを何と云う
両手に花束を抱えたターニャは、マーガレットを驚かせようと音を立てないように慎重に扉を開け、マーガレットの部屋へと足を踏み入れる。
しかし二杯目の紅茶を飲み干そうとティーカップに手を付けたマーガレットは、微かな床の軋む音に耳を澄ませた。そしてゆっくりと振り返ると、ターニャの期待通りの驚嘆の声を響かせる。
「ターニャ!? どうしたのその花束……すごくきれい!」
「あのね。マーお嬢様の名前のお花が見てみたくて、お庭でビルに聞いたら花束をもらったの。こっちのマーガレットの花束はお嬢様に。こっちのブーゲンビリアの花束はあたしにだって」
「花束のプレゼントなんて素敵だわ。マーガレットの花の色のグラデーションがきれい……ふふ、ブーゲンビリアの小さくて可愛いのに、どこか強烈な感じがちょっとターニャっぽいし、ビルはターニャのことをよく見ているのかも。
今度、私も庭に行って、ビルにお礼を言わなくちゃ」
ターニャに微笑みかけながら、マーガレットはあることを思い出してティーカップを置いた。
「そういえば……私の『マーガレット』って名前はお父様が名付けてくれたのよ。マーガレットの花言葉はね、『真実の愛』なんですって。それで私が心から愛する人を見つけられるようにって、願いを込めてお父様が付けてくれたの」
「おお~、旦那様って意外とロマンチストなんだね」
「うふふ、そうね…………残念ながらお父様の願い虚しく、王命で王太子の婚約者に無理やり決まってしまった私に、真実の愛は見つけられそうにないけど」
私を束縛してばかりのゼファー様と真実の愛……。
うーん、控えめに言って無理よね。
マーガレットは穏やかな表情を浮かべていたが、その瞳の奥には一抹の不安が宿っていた。
どこか物悲しげなマーガレットの様子は、クレイグにもターニャにも伝わったようで、ターニャは元気づけるように手を握る。
「そんなことない! マーお嬢様は旦那様が願ったとおり、真実の愛を見つけるよ。あたし信じてるから。ね、クレイグもそう思うでしょ」
「はい、もちろん僕もそう思います」
二人の真剣な眼差しに励まされたマーガレットは、心からの穏やかな表情を浮かべ頬を緩ませる。
「ふふ、ありがとう。二人の言葉に救われるわ。そうだ! 確か本棚に花言葉の本があったはず。ビルからプレゼントされたブーゲンビリアの花言葉も調べてみたらどうかしら?」
「ブーゲンビリアの花言葉って何だろう。知りたい、かも」
ターニャは本棚から花言葉の本を見つけ、マーガレットのもとへと届けた。
マーガレットの勧めもあって、ターニャはマーガレットの座るソファの隣へと腰を下ろし、仲良く花言葉の本を開く。
すぐに花言葉を探し出したのはマーガレットだ。
「えーっと、ブーゲンビリアの花言葉は……へえ、花言葉って色ごとに違うのね。えっと赤は…………あった。わあ! 赤のブーゲンビリアは『あなたしか見えない』ですって‼」
「え」
「これはきっと、ビルはターニャに恋してるわね。もうメロメロのゾッコンだわ」
「恋? メロメロのゾッコン……」
正体不明のむず痒さを感じたターニャは、赤いブーゲンビリアの花束をぼーっと見つめながら、普段は見せないような難しい顔をしている。
しかし、あることを思い出したターニャは顔を上げると、なぜだか否定するように言い返した。
「でもビルはブーゲンビリアが余ったからって言ってたよ」
「ふふ、甘いわねターニャ。それは口実というものよ。きっとビルは偶然を装ってターニャに花をプレゼントしたかったのね」
「そうなの? ビルがそんなことを考えて花をくれたの? 私、花言葉なんて知らないのに」
「花言葉の意味には気付かなくても、ターニャがこの花を見た時、プレゼントした自分のことを思い出してくれたらと思って贈ったんじゃないかしら」
二人のやりとりに耳を傾けていたクレイグも話に加わった。
「僕もそう思います。ターニャが花言葉に気付かないことは、ビルもわかっていたでしょうから」
「そう……かも」
いつものターニャなら、クレイグの言葉に「バカにしないで」とか「あたしだって気付く」と言って虚勢を張るのだが、ターニャは借りてきた猫のように静かだった。
そんなターニャの様子にクレイグは首を捻る。
ビルはターニャに好かれようと必要以上に話しかけたり、褒めたり、優しくしたりと誰の目にも明らかな態度でアピールしていて、使用人の間ではバレバレだった。でも当人のターニャは、ビルの気持ちにこれっぽちも気付いていなかったようだ。
お嬢様と僕をくっつけようと何かと仕掛けてくるターニャだけど、自分に向けられた好意には意外と気付かないらしい。
「ねえ、次はお嬢様の、マーガレットの花言葉を調べてみようよ」
この落ち着かない空気を変えたいターニャは、花言葉の本をぺらぺらと捲り始める。しかし焦って手が覚束ず、ターニャはマーガレットの花言葉のページに中々たどり着けない。
マーガレットはページを捲る手伝いをしつつ、苦笑いを浮かべている。
「ターニャったら私の花言葉は『真実の愛』だし、調べなくても」
するとクレイグはマーガレットの言葉を補うように、さりげなく言葉を差し入れた。
「いえ、花の色でも違いますよ。ピンクはお嬢様の仰るとおり『真実の愛』、黄色とオレンジは『美しい容姿』、白は…………『信頼』。
どの花言葉もお嬢様に相応しいですね」
「え、ありがとう……クレイグ?」
ターニャはまだ本を捲っていて、マーガレットの花言葉のページを探しているのに、クレイグは色ごとにマーガレットの花言葉をスラスラと述べていた。
マーガレットはクレイグを視界に映したまま、目を丸くする。
「花言葉もばっちり覚えてるなんて、さすがクレイグね」
「いえ……以前、お嬢様の名前の花が気になって調べたことがあって。僕が知っているのは、お嬢様の名前の花言葉だけです」
「ふぇっ!? マーガレットの花言葉だけ?」
思いがけないクレイグの言葉に心揺さぶられたマーガレットは、翡翠色の瞳を大きく見開いて瞬かせるのだった。