第132話 ミュシャの野望
書斎室の扉前に到着したゼファーはドアノブに手を掛けると、ふとあることが気になり、ミュシャを睨みつけた。
「ところでミュシャ。君は随分とマーガレットに理解があるようじゃないか。まさかとは思うが……」
毒矢でも射てきそうなゼファーの禍々しい視線を軽やかに躱しながら、ミュシャはにんまりと目を細めて微笑みかける。
「あら、それはとんだ誤解ですわ。ゼファー殿下がご想像しているようなことは、微塵も考えておりませんもの。私はただ、殿下のことを思って申し上げております」
「私のことだと?」
「……十四歳のマーガレット様はまだまだ遊びたい盛り。
殿下が深く愛していらっしゃるとはいえ、きつく縛ってしまわれると、マーガレット様から嫌われてしまうのではと思ったのです。
あと四年もすれば夫婦となるお二人が、結婚前に亀裂でも入ってしまったらどうしましょうと、私は心配で心配で」
「私は嫌われてもマーガレットと結婚する! 彼女以外ありえないッ‼」
激昂したゼファーは、断固とした強い口調で激しい言葉を叩きつける。
ミュシャの放った『マーガレットに嫌われる』という言葉の威力は凄まじく、動揺したゼファーは普段の落ち着いた物腰とは別人のようである。
ゼファーの威圧を目の前で受けたミュシャはたじろぎ、普段は細くて切れ長な瞳を見開いて瞳孔を震わせた。
後方から二人のやりとりを静観していた側近たちは、地獄を見たように青ざめて恐れ戦いている。
そんな中、たじろいだはずのミュシャは、実は気を昂らせ心躍らせていた。
ゼファー殿下って、マーガレット様のこととなると本当に感情豊かよねえ。
からかい甲斐が……いいえ、助言しがいがあるわ♪
ミュシャは興奮を抑えきれず、激昂するゼファーに笑みをこぼしかけたが、すぐに心配したような顔を取り繕って、鼻をすすりながらゼファーに訴えかける。
「そんなっ……嫌われてもなんて仰らないでください。
マーガレット様に嫌われてしまったら、夫婦生活だってきっと淋しいものになってしまいますわ。私はお二人のそんな姿は見たくないのです。
今、ゼファー殿下がやるべきことは、マーガレット様を縛って嫌われることではなく、尊大な心を見せてマーガレット様の心を射止めることではありませんこと?」
ちらりとゼファーに目をやると、ゼファーは口をつぐんだままミュシャの話に耳を傾けている。
―よし、これはいけるわ。
「マーガレット様はまだ十四歳の少女。ゼファー殿下は二十二歳の成人した立派な王太子であらせます。
であるならば、年下の婚約者の少々のおイタは笑って許し、大人の余裕を見せて理解ある婚約者として好印象を与え、離れられないようにじっくりゆっくりと惚れ込ませてはいかがでしょう?」
「…………ふむ、大人の魅力か。確かに多く意見すると、束縛する男と思われてしまうかもしれないな。わかった、次からは慎重に行動する」
「きっとマーガレット様も、大人の余裕漂うゼファー様にベタ惚れされることですわ」
そしてようやく、書斎室の重い扉が開かれた。
書斎室で公務に励むゼファーを盗み見ながら、ミュシャは心の中で胸を大きく撫で下ろした。
よかった。どうにか説得できた。
ゼファー殿下は気付いていないけれど、殿下はマーガレット様にあまり好かれていらっしゃらない。
これ以上、二人の仲を悪化させるような殿下の身勝手な行いは、私が何としても防がなきゃいけない。
容姿も頭脳もすべてがパーフェクトなゼファー殿下だけど、マーガレット様への愛情という名の執愛は、側近の私からしても本当に質が悪い。
マーガレット様に男が近づこうものなら、末代まで呪ってしまいそうなほどの狂信ぷりだもの。
しかもその狂信ぷりは歳を重ねるごとに磨きがかかり、殿下は二年後のマーガレット様のローゼル学園入学まで阻止しようと裏で動いていた。
そんなことしたら、『嫌われる』ではすまないでしょ!?
成長期真っ只中のマーガレット様は、通りすがる人々が振り返るほど美しい女性になりつつある。
男性を近づけたくないという、ゼファー殿下の気持ちも理解できないことはない。でもマーガレット様を束縛すればするほど、反比例するように二人の関係は修復不可能になっていっている気がしてならないのだ。
ゼファー殿下は賜物『魅了』の力もあって、大国・小国の王女や由緒ある名家の令嬢たちを虜にしていた。優良な縁談がきても、殿下は一切の興味を示すことはなかった。
しかしそんな殿下が、不思議なことにマーガレット様にだけは強く惹かれ、どんな手段を投じてでも手に入れたいと思われたのだ。
だからこそわかる。
ゼファー殿下は、マーガレット様以外は本当に娶らないだろう。
殿下が世継ぎを残すという、国王としての務めを果たすためには、マーガレット様がいなければ成り立たない。
下手をすれば王太子の座だって、弟のアヴェル殿下に奪われていたかもしれないのだ。
私、ミュシャ・ヴァレンタインにとって、マーガレット様は救世主、いえ建国の女神ファビオラーデ様のように尊ぶべき女性。
もしゼファー殿下の暴走した独占欲のせいで、マーガレット様が失望して行方をくらましてしまったら……間違いなくそれは、私の未来へのお終いに直結する。
私は伯父のブッシュ・ベノワ宰相によって、未来の国王のための宰相となるべく、育てられた人間。
ゼファー殿下が国王とならなければ、私の存在なんて無いに等しい。
だからこそゼファー殿下とマーガレット様には相思相愛は難しくても、最低限夫婦として成り立って頂かなけらばならない。
そのためなら、私は手段は選ばない。
いくらでも道化となりましょう。
お読みいただきありがとうございます。
次は――
くちづけの件を聞いて、怒り心頭のターニャ。
そんなターニャの放ったひと言が、
マーガレットとクレイグの主従関係を揺るがす、思わぬ展開へと……。