第128話 ゼファーからの要求
千年以上続くローゼンブルク王国の歴史の中、ローゼンブルク城は戦争や内乱で何度も壊滅し、無情にも焼け落ちたこともある。
しかしこの翡翠宮の美しき庭園は、これまでの災難をかいくぐって生き延びてきた由緒ある幸運の庭園だ。
植樹された木々の中には、樹齢八百年を有に越えるものもあり、花々の中には、もう他ではお目にかかれないような絶滅危惧種もちらほら存在していて、訪れた者の心に深く刻まれる庭園となっている。
マーガレットも六歳の時にシャルロッテの招待もとい、果たし状を突きつけられてから、シャルロッテと何度も楽しく過ごした思い出の場所だ。
そんな思い出の詰まった麗らかな庭園で、優雅にお茶を楽しんでいるのは、結婚の約束をした少し歳の離れた若い男女。
青年は、男女関係なく魅了してしまう底なしの魅力を秘めた、白金の髪と完璧な容姿を備えた将来国王となることを約束された王太子。
少女は、青々とした庭園でひと際目立つ派手な赤毛と翡翠の瞳が印象的な、実際の年齢よりも少し大人びた印象を受ける美しい令嬢。
その二人の姿はまるで、絵画の中から現実に飛び出してきたように壮麗で、ゼファーの側近や使用人たちは職務を忘れて二人の姿にうっとりと目を奪われている。
―そう、あるひとりの従者を除いては。
自分の思い描いたお茶の時間を楽しめたゼファーはティーカップをテーブルに置き、とろけるような熱い眼差しをマーガレットに注ぐ。
「僕の贈ったドレスを着てくれたんだね。とても似合っているよ」
「……とても素敵なお召し物をありがとうございます。私にはもったいないほどですわ」
「ふふふ、マーガレットは謙遜しすぎだよ。やはり君にはその色が似合うね」
ゼファーは褒め称えているが、マーガレットは内心ではこのドレスは自分には似合っていないと思っていた。
ドレスの色は、春を告げる桃の色に近い濃厚なピンク色。
マーガレットは、自分ではこの色は絶対に選ばない。
赤毛のマーガレットが桃色のドレスに身を包むと、頭から全身同系色となり、自分がただの赤い塊のように見えてしまうため、自然と避けてしまうのである。
ゼファーが贈ってくるドレスはこの色が多く、マーガレットの衣装ルームのピンクの肥やしになっている。
確かにピンクが好きな女性は多いけど、どうしてこう濃い色ばかりなのかしら。
そんな忌み嫌うドレスを、ご機嫌取りのために縋る思いで身に纏ったマーガレットは意を決した。
「…………あの、ゼファー様にお聞きしたいことがあるのです」
「ああ、フィリオ伯爵家の件だろう」
人前ではほとんど崩れることのないゼファーの笑顔だが、一瞬だけゼファーの眉がぴくりと跳ねた。
ゼファーの即答からも、フィリオ家の件をかなり気にしていることが窺える。
そのうえ『フィリオ侯爵家』ではなく、きちんと降爵した爵位の『フィリオ伯爵家』と言い換えていることから、ゼファーの激しい憤怒を感じずにはいられない。
こ、これは慎重に聞いてみましょう。
紅茶のおかわりをもらったマーガレットは、笑顔を取り繕ったまま話を続けた。
「その通りです。フィリオ侯爵家が降爵されてしまったと聞きました……まさかとは思うのですが、その原因は『私』にあるのでしょうか?」
「まさか、君が原因なわけないじゃないか……原因は、僕の可愛い婚約者に手を出したフェデリコ・フィリオだよ。王の配下の息子として、ありえない大罪だろう?」
ゼファーは今度は眉ひとつ動かさないどころか、マーガレットの疑心の瞳から一切目を逸らすことなく、自信たっぷりにそう述べた。
原因は私じゃないと言ったけど、『私に手を出したフェデリコ・フィリオ』と言っている。
ということは、やっぱり私が原因じゃないのかしら。
ゼファーの言い分に矛盾を感じても、不思議と納得しそうになるのは、ゼファーの賜物『魅了』の効力なのだろうか。
でもでもっ……
どうにか誤解を解いてフィリオ家を救わないと、私の気が収まらない。
負けるな私。頑張れ私。
マーガレットは震える手を抑えて、お得意の笑顔を貼り付ける。
「それはゼファー様の勘違いですわ。フェデリコ様は、断じて私に手など出しておりません。ただの親切心から幾何を教えてくださっただけで、私たちの間には恋心だってこれっぽっちもありません」
「ふ―――ん。あちらのほうは、そうは思ってなさそうだけど」
「それにあの時、部屋にはイグナシオお兄様だって、クレイグだってロメオだって一緒にいました。そんな状況で、フェデリコ様がおかしな行動をとるはずがありません」
「こういう場合、従者は数に含まないものだよマーガレット。
まあ、フランツィスカ卿がいたことはよかった。
でも二人にとって兄であり親友である彼なら、情から二人を庇ってしまうこともあるかもしれないし……百パーセント信じるのはやっぱり無理だと思わないかい?」
この人は、どうして従者を数に含まないの。
国民から信頼を得た王太子の発言とは思えない。
昔は従者などの使用人は、人の数に含まなかったって倫理の授業で習ったけど、今は従者や侍女にも証言能力が付いているはずなのに。
それと「無理だと思わないかい?」っていう訊き方も、「思わないです」って言いづらいのよ畜生っっ!
頭の中でドロドロと蠢く感情を抑え付けたマーガレットは、怒りで潤んだ瞳でゼファーを見つめると、甘くとろけるような猫なで声で応戦を試みる。
「私のことは信じられないと、そう仰りたいのですか? うるうる」
「……君のことを信じたいのは山々なんだけど、信じたいと思える決定的な何かが足りないんだよね」
猫なで声はまったく効かなかった。
いつも可愛いやら何やら褒めるクセに、本気で可愛い子ぶりっ子したら効かないのは如何なものか。
ゼファー様の言い方から察するに、彼は私に何かを要求するつもりだろう。
何を要求するつもりか、まったく見当もつかない。
でも、ここはやるしかない。
お願いだから、「すぐに結婚しろ」とかじゃありませんように!
覚悟を決めたマーガレットは、真っ直ぐにゼファーを見据えた。
「……どうしたら信じて頂けますか?」
「そうだな。マーガレットが、僕に愛のこもった『くちづけ』をしてくれたら、君のことを信じて、降爵の件を急に取り消したくなるかもしれない」
「…………は!?」
ゼファーからの要求に、マーガレットのくちびるは震え、時が止まったように言葉を失うのだった。