第12話 理想と現実
「どこに行くつもりなのですか、マーガレットお嬢様?」
「ひゃっ‼ え…クレイグ」
振り向いた先には、疑念たっぷりの顔でこちらを睨んでいるクレイグがいた。
―数分前。屋敷にて。
主の具合が悪いことを心配したクレイグは、調子が良くなるようにと知り合いからもらった煎じ薬を届けるため、マーガレットの部屋へと向かっていた。
しかしその道中、こそこそと周囲を窺いながら忍び足で廊下を歩く、怪しいマーガレットを発見。
わざわざ茶色地の地味な服装に着替えて、どうしたのだろう。
確かに服装は地味だけど…外し忘れたらしいピンクのリボンの髪留めが余計に目立ってしまっている。
それに辺りをキョロキョロと確認して……とてつもなく怪しい。
そんな怪しい装いで、一体どこに向かおうとしているんだ?
クレイグがこっそりと後を追いかけると、マーガレットは屋敷を飛び出して貴族特区と市民街区の境界線までやって来てしまった。
お嬢様のような身なりの子供がこんな所にいたら「誘拐してください」と言っているようなものなのに、これ以上進んだら危険だ。
やむをえず、クレイグは声をかけたのである。
「お嬢様、ここから先は危険ですので屋敷に戻りましょう」
「い、嫌よ。私には行きたいところがあるの!」
「………どこですか?」
「えっと、聖セティア教会ってところ。ほら、ここよ」
マーガレットは手書きの地図をクレイグに見せて説明した。
地図を確認したクレイグの冷めた眼差しから、遠出を許可してくれそうにないと察したマーガレットは先手を打つ。
「私ね、この教会に行って見聞を広めたいの」
「それでしたら、あちらの聖アムズ教会に旦那様に許可をもらってから改めて行きましょう。あそこの教会なら危険はありません」
クレイグはギリギリ貴族特区に入っている豪華な教会を指差している。
「え、私は聖セティア教会に行きたくて」
「ダメです。この教会のある場所はここより治安の悪い危険な地区ですので、お嬢様が行っていい場所ではありません」
「でも…」
「お嬢様だって行ってはいけないと思ったから、こっそり外出なさったのでしょう? こっちは危険ですから」
「うっ。危険危険ってさっきからクレイグはそればっかり」
「マーガレットお嬢様っ」
クレイグは正直がっかりしていた。
初めて出会った時、お姫様のように可愛らしいマーガレットのことを騎士になって守りたいとクレイグは心から思った。
しかし、一か月ほどマーガレットの従者として過ごして、ひとつの結論に行きつく。
――マーガレットは守るべきお姫様ではない。
字は覚えたてだが聡明で、抜けたところはあるが年上のように頼りがいがあり、五歳上の横暴な兄にも立ち向かっていく強気でちょっぴりお転婆な女の子――それがマーガレットというお嬢様で、騎士クレイグに守られる隙など少しもなかった。
クレイグの不満は、クレイグの表情にも滲み出ており「何かちょっと呆れられてない?」とマーガレットも薄々気付いていた。呆れ顔のクレイグはマーガレットの腕を無理やり掴んで連れ帰ろうとするが、マーガレットはクレイグの腕に縋りつく。
「クレイグ、ちょっとだけ」
「ダメです」
「お願いよ」
「ダ・メ・で・す」
「むぅー、そんなに頑固だとすぐにお爺さんになっちゃうんだからね!」
「誰のせいで頑固になってると思っているんですか!」
「お願い! 一生のお願いだから、ちょっと教会を覗くだけ。そしたらすぐに帰るから。ね、ね? ねねねねねっ?」
連続の「ね」の圧と、加えて上目遣いで可愛らしいポーズをするマーガレットに押され、頑なだったクレイグの意思がついにパキッと折れる。
「……見たら、すぐに帰りますよ」
「やったー、ありがとうクレイグ」
パァァァと明るくなったマーガレットの笑顔を見て気を良くしてしまうあたり、「やっぱり僕にとってお嬢様はお姫様なのかな」と複雑な想いを抱いたクレイグは苦笑いをした。
苦笑しながらもクレイグはマーガレットに手を差し伸べる。
「何があるか分からないので絶対に離れないでくださいね。マーガレットお嬢様、お手を」
「あ、そうね」
ぎゅっと握り締めた手の体温は温かく、ひとりの時と違って互いに心強い。
手を繋いだ二人は聖セティア教会への一歩を踏み出した。
貴族特区を抜け、市民街区を進むにつれて、建物がだんだんと変わっていく。
白壁が多かった貴族特区とすると茶色の土壁が多くなり、道路もタイル敷きではあるが少しガタガタしていて歩きづらく、足の裏にも痛みがでてきた。
景観だけでなく人々の雰囲気もガラッと変わり、何となく忙しなさを感じる。
何だ。クレイグが危険危険って脅すからどんな所かと思ったけど、これくらい何てことないわ。
とマーガレットが息巻いたのも束の間、目的地の聖セティア教会は下町も下町にある。
目的地に近付くにつれて道は狭くなっていき、汚れた壁や煉瓦の屋根は崩れ、道路は舗装されておらず土煙が上がっている。
ゴミは当たり前のように散らばり、その周辺にはネズミがちょろちょろと駆け回っていて、人の目もどこか虚ろだ。場違いな身なりのマーガレットとクレイグに怪しい視線を送っている輩もいる。
―前言撤回。こ、怖い。
クレイグの言うとおり、危険な場所だわ。
今まで私が温室でぬくぬくしていたことがよく分かった……それにしても、こんな入り組んだ道なのにクレイグは迷う素振りもなくスイスイと歩いていくのね。
「あ、ここを曲がって路地裏を真っ直ぐ行ったら聖セティア教会ですね。急ぎましょう」
「ねぇ、クレイグはこのあたりに来たことがあるの?」
「いえ、初めてですけど……何か?」
「1度も迷わず教会に着いちゃったから、地の利があるのかと思っただけ。初めてですごいわね、感心しちゃう」
「僕はただマーガレットお嬢様の地図の通りに来ただけですよ。褒めるなら地図を書いたお嬢様かと」
そう言ってクレイグはプイッと顔を背けてしまった。
あれ、妙にそっけない。もしかして、本当は照れてる?
「じゃあ私の地図も、クレイグの地図の見方もすごかったってことにしましょ、って……わあぁぁぁ―――‼」