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第114話 僕しか知らない

 ―バフバフバフバフッ。


 冷たくて柔らかい、布のような何かがクレイグの顔に何度も何度も激しくぶつけられ、その衝撃でクレイグは目を覚ました。


 厚いカーテン越しでも明るさが伝わってくる部屋。


 カーテンの隙間から差し込む陽の光に照らされたふくれっ面のターニャは、ジトッっとした瞳でクレイグを睨んでいる。

 ターニャの手にはマーガレット愛用の抱き枕が握られていて、クレイグの顔に容赦なく狙いを定める。


 ――あれ? 何でターニャが僕の部屋に…………あ!?


 クレイグは昨夜の出来事を思い出し、隣に目を向ける。

 そこにはクレイグの温もりを求めるように、クレイグの胸元にピタリと密着したマーガレットが、涎を垂らして幸せそうに眠っていた。


 ちょ……ちょっと待って。

 メイド姿のターニャがいるってことは、もしかして……もう朝!?


 恐ろしい予想に飛び起きたクレイグは、寝室の壁まで這うように素早く後ずさる。


 窓を見ると、カーテンから漏れでた太陽の光が爽やかな朝を告げていた。

 さらに近くにあった鏡には、寝間着を着た焦り顔のクレイグの姿が映っている。


 ど、どどどどうしようっ。

 この格好のままじゃ、きっと大変なことになる!

 どうにかして自室に戻って服を着替えないと、下手したら従者をクビになりかねない!

 

 でももう使用人たちが活発に動き回っているし、誰にも見つからないで戻れるだろうか……そうだ! ターニャに頼んだらいいじゃないか。


 クレイグはターニャを見たが、相も変わらずふくれっ面のターニャはブツブツと文句を言っている。


「ずるい、あたしもマーお嬢様と一夜を共にしたい――っ」

「ちょっと、変な言い方しないでください! これは誤解なんです」

「誤解じゃないよ、本当のことだもん。だって二人ともパジャマで仲良く寝てたし。そういうのは節度というものがあるのですって、前に母様がネイトとサラに注意してたもん」


 疑心に満ちた表情で睨み付けてきたターニャに、クレイグは頬を紅潮させ、何も言えなくなって石像のように硬直してしまった。


 ターニャが言っているのは前に使用人塔で起こった、例の夜這い事件のことだろう。ターニャの母のタチアナさんは使用人たちの教育係だから、ターニャは近くでお説教を聞いていたのかもしれない。


「今のターニャには何を言っても論破されてしまう」と悟ったクレイグは、寝間着のまま自室へと戻る決死の作戦を立てた。

 ――題して『とにかく猛ダッシュしかない作戦』


 怒って(むく)れるターニャを振り切り、朝の掃除に勤しむメイドたちを忍者の如く躱し、手紙の選別をしている家宰のジョージの目を縫うようにかいくぐって、どうにかこうにか自室へとたどり着いて目標(ミッション)達成(コンプリート)


 普段の鍛錬が生きたようだ。

 稽古を続けていてよかった。


 クレイグは、師であるグリンフィルド先生に深く感謝して急いで支度を始める。

 洗顔、歯磨き、欠かせないその他もろもろを秒刻みでこなしていく。

 寝間着のズボンを着替えている時、不意に昨夜のことを思い出したクレイグは、片足を上げた状態でピタリと止まる。


 ふぁぁぁぁっ。

 何て失態をやらかしてしまったんだ!

 お嬢様の寝室で一緒に寝てしまうなんて、従者としてあるまじき行為。


 そのうえ、おでこにき、キキキスを……。

 お嬢様が寝てる間にそんなことするなんて、僕は何てことを。

 お嬢様が知ったら失望するかも。

 昨日見たあの夢みたいに、新しい従者が来るかもしれない。まさか正夢!?


 片足で均衡を保っていたクレイグの身体は、動揺からグラグラとよろけ、床へと盛大に尻もちを突いた。クレイグは自分の不甲斐なさから髪をぐしゃぐしゃに搔きむしって、大の字に寝転び天井を見つめた。

 そして昨日のくちびるの感触を思い出し、くちびるにそっと触れる。


 まだ少し、お嬢様の感触が残ってるみたいだ。


 怖い夢を見るから眠りたくないと、拗ねるお嬢様。

 僕の胸の中で涙をこぼすお嬢様。


 昨夜はお嬢様の弱いところをたくさん見た。

 あんな弱弱しいお嬢様は僕しか知らない。

 ゼファー殿下だって、ターニャだって知らないんだ。


 クレイグの中に何か熱く奮い立つものが溢れてくる。


 僕はお嬢様を……守りたい。仕えたい。傍にいたい。

 従者としても騎士としても、僕がお嬢様を守るんだ。


 決意を新たにしたクレイグはいつもより完璧に身支度を整え、部屋を出る。

 道すがら使用人たちとすれ違う度に生きた心地がしなかったが、いつもの澄まし顔でマーガレットの部屋へと急いで戻った。


「お嬢様、遅れて申しわけ……?」


 遅刻を謝罪しながらマーガレットの部屋のドアを開けると、カーテンは閉じたままで部屋の中も薄暗い。


 ま・さ・か……。


 クレイグは、先程まで自分も眠っていた寝台へとゆっくりと近付く。


 そこには、久しぶりにぐっすりと眠って幸せそうな顔をしたマーガレットと、マーガレットに抱きついてニヤニヤと寝ているターニャがいた。


「やったわ! 幽閉エンド回避よ……むにゃむにゃ」

「お嬢様と一夜……にやにや」


 溜め息を吐いたクレイグが、二人の被っているシーツを引っぺがして起こすまで三、二、一……。




お読みいただきありがとうございます。


次は――

ローゼンベルク王家の兄弟たちが、

マーガレットとイグナシオのために歓迎パーティを開いてくれます。

そこで、国王が新たに婚姻する令嬢の名が話題に上がったのですが……。



ブクマや評価、リアクションをありがとうございます。

創作の励みになっています。

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