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第110話 従者のぼやき

 共同風呂から自室へと戻ってきた寝間着姿のクレイグは、濡れた髪をタオルで拭きながらベッドへと腰を下ろした。


 今日の従者としての仕事を終え、ほとんど寝泊りしかしない部屋で過ごすひと時。


 髪を乾かしながら、クレイグは気にかかっている『あること』に考えを巡らす。


 ゼファー殿下と婚約してからというもの、生き生きとしていたマーガレットお嬢様は影を潜め、すっかり元気を失くしてしまった。

 その原因は、どう考えてもゼファー殿下からの執拗なまでの束縛のせいだろう。


 グリンフィルド先生の稽古に、お嬢様の生きがいだったお話作り、お嬢様が持っていたはずのその他多くの選択肢。

 その大事なものを『将来の王妃』という言葉で正当化して、お嬢様から奪ってしまうなんて、何てヤツなんだ。


 あ、いけない。相手は王子だった。

 でも無性に腹が立つ。


 同じ王子の立場でも、アヴェル殿下がお嬢様の婚約相手だったのなら、お嬢様がお嬢様らしく過ごせていただろうに……きっと、きっとこんな気持ちにはならなかった。


 親同士の口約束とはいえ、将来結婚することが決まっていたマーガレットとアヴェル。生まれた時から一緒にいる二人には、クレイグでも立ち入ることができないと感じる時があった。


 アヴェル殿下は来たるプロポーズのために、半年以上前から準備して努力を重ねていた。陰ながら……僕も応援していた。


 しかしたった一日で、お嬢様はアヴェル殿下の兄・ゼファー殿下に掻っ攫われてしまった。いち従者の僕がつべこべ言うなど不敬でしかないが、この婚約はどうしても納得がいかない。


 それと、ゼファー殿下のお嬢様の扱いもまったくなってない。

 正直不満だらけだ!

 僕なら、そんな風にお嬢様を縛り付けないのに……。


 そこまで考え、クレイグはハッとし、濡れたタオルに顔を埋める。


「僕なら」って、なんて大それたことを考えているんだ。

 ……僕はただの従者なのに。

 仕えるべき主人にこんな想いを抱いてしまうなんて、この身の程知らず!

 一番なってないのは、僕かもしれない。




「みゃ~~~~お!」


 その時、開いていた窓から聞き覚えのある可愛らしい声が聞こえた。

 クレイグが振り返ると、可愛らしい白い仔猫がベッドに飛び移ってこちらを見つめている。


「また僕のところへ来たの、にゃんコフ。前は夜もお嬢様から離れなかったのに、最近どうしたの?」


 にゃんコフは問いかけには答えず、クレイグのもとまで来ると、クレイグの太腿あたりにすりすりと身を寄せる。頭を撫でると、にゃんコフはもっと撫でてほしそうに顔を近づけてくる。


 フランツィスカの従者として恥じぬよう、普段は誰の前でも真面目に接するクレイグだが、にゃんコフの前だけでは本来の姿でつい接してしまうのだった。


 不思議なことに、にゃんコフと一緒にいると昔に戻ったような、そんな温かい気持ちに包まれて自然とありのままで過ごしてしまう。

 にゃんコフがいても、マーガレットやターニャの前ではいつものちょっと澄ましたクレイグになるのだが、にゃんコフだけだとつい気が緩む。


 クレイグはにゃんコフを抱き上げて膝の上に乗せ、手ぐしで背中を優しく撫でた。にゃんコフは恍惚な表情を浮かべて、とても気持ちよさそうにグルグルと喉を鳴らしている。


 そういえば四日前のお嬢様の婚約披露パーティの日も、にゃんコフは僕の部屋に来て、今みたいに背中を撫でさせて愚痴を聞いてくれたような……二日前のお茶会の日の夜も……そして今日も。


「もしかして、にゃんコフってあの王子がお嬢様にベタベタくっついた日に来てる? 王子の匂いが嫌いなの? ……僕も嫌いだ。あ、これは内緒だよ。僕とにゃんコフだけの秘密だ」


 苦笑したクレイグは、にゃんコフの小さな鼻に人差し指をそっと近付けて、約束を交わした。

 すると了解したのかしていないのか、にゃんコフは「にゃー」と鳴いてクレイグの人差し指をペロペロと舐め始める。ざらざらとした感触が人差し指から伝わり、クレイグはたまらず顔をくしゃくしゃにして声を出した。


「あははっ。もう、くすぐったいよにゃんコフったら……さっきまで悩んでいたはずなのに、にゃんコフといるとすごく楽しい。もしかして、元気づけてくれているの? ありがとう、にゃんコフ」


 クレイグの感謝に、にゃんコフは短く「にゃ!」と答えると、そのままクレイグの枕を陣取って丸くなって眠ってしまった。クレイグも髪を乾かし終えると、にゃんコフに続くようにベッドへと横になり、一人と一匹はそのまま仲良く眠りについた。


 ★


 結局、最初はゼファー殿下からの束縛を苦痛に感じていたお嬢様だったが、時間が経つにつれその感覚も薄れて、ゼファー殿下の要求を何でも受け入れるようになった。


 そしてあの日。

 いつもと変わらない午後のお茶の時間。


 お嬢様の自室で、お嬢様は満面の笑顔で僕に告げた。


「クレイグに言わなくてはいけないことがあるの。実はね、ゼフ様が私に新しい従者を用意してくれるんですって。とっても優秀で強いらしいの。だから、申し訳ないのだけど……」


 そのあとの言葉は、クレイグの耳には入らなかった。


 血の気が引いていくのを感じる。

 信じられない。

 僕は、お嬢様を守りたい。

 ただそう願っていただけだったのに。

 せめてお嬢様がお嫁に行くまではお傍で仕えたいと……。

 嫌だ、嫌だ。

 お嬢様、僕を置いていかないで。僕はお嬢様を―――。


 縋るような感情と同時に、クレイグは勢い余って飛び起きた。



 ここは――

 月明かりに照らされた見慣れた僕の部屋。

 僕の、ベッド。


 シーツの感触を確かめたクレイグは、そこで初めてアレが『夢』だと気付いた。

 ほっとしたクレイグは、汗でぐしょぐしょになった顔を手で拭う。

 すると、


「にゃ~~~お」


 肩で息をするクレイグの傍らには、クレイグを心配するようにじっと見つめるにゃんコフがいた。


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