第104話 幕間〈酒の肴②〉
「っ! ゼファー、その名をどこで!?」
『オフィーリア・クロイツァー』という令嬢の名を耳にした国王・エドワードは動揺を隠せず、一瞬にして平静を失った。
父の狼狽を前にしても、ゼファーは躊躇うことなく話を続ける。
「ご存知だとは思いますが、オフィーリア・クロイツァー子爵令嬢はローゼル学園を卒業したばかりの結婚を控えた十八歳の見目麗しい令嬢です。
しかし一か月ほど前、クロイツァー嬢は結婚間近だった婚約者から婚約破棄を言い渡されました。すると婚約を破棄され失意のどん底にいたクロイツァー嬢のもとに、『エドワード』という謎の侯爵が現れます。
二人は早々に親密になり、謎の侯爵は彼女の屋敷に足繁く通っておいでだ……相違ありませんか?」
明らかに動揺しているエドワードは、溢したワイン付きのタオルで額の汗を拭った。そんな父の様子を確認したゼファーはさらに追撃する。
「さらに不思議なことに、クロイツァー嬢の元婚約者の子爵家は先日、父上から伯爵位を陞爵(爵位が上がること)されているのです……こんな偶然ってあるのですね?」
「ふ、ふふ」
「クロイツァー嬢をとある侯爵家の養女として受け入れ、王家へと迎え入れる『下準備』も整っているとは、婚姻までもう秒読みでしょうか」
饒舌なゼファーの語りに、エドワードはぐうの音もでないらしく黙って聞いている……と思われたが――
「ゼファーよ。お前の言いたいことはわかった。十六でそこまでできるとは、申し分のない素晴らしい交渉術だ。しかし、オフィーリアのことはお前が吹聴しなくとも直に公になるだろう。それではまだ足り」
エドワードが息子の未熟な交渉術を指摘し終わる前に、ゼファーはエドワードの耳元で『あること』を囁いた。
瞬間、エドワードの紫の瞳は大きく見開き、脂汗がどっと吹き出る。
「この事実を二人の妃たちがお知りなったら、どのように思われるでしょうか。クロイツァー嬢の件ではなく、こちらを吹聴してみましょうか?」
「くっ………………はあ、わかった。マーガレット嬢との婚約は何とかする。それと『その件』については今後一切口にするな」
「はい、わかりました。父上っ♪」
これまでの張りついた笑みが嘘のように、心躍らせたゼファーは屈託のない笑顔を浮かべて返事をした。
息子にすっかりしてやられたエドワードは、空になったワイングラスを見つめてため息を吐く。
「……一応言っておくが、マーガレット嬢と婚約するということはアヴェルと敵対するということだ。病弱なフェルディナンドを除いたお前とアヴェルのどちらかが、このローゼンブルクの次代の王となるだろう。
ただでさえ王位争いが激しくなり、兄弟仲が悪くなりうる弟に、わざわざケンカを売るのは褒められたものではないぞ」
「それはもちろん、理解しています。しかし、晴天の霹靂というのですか?
今夜、私はそれを初めて体験しました。マーガレットは私の運命の相手だと、マーガレットじゃなきゃいけない、マーガレットでなければダメだと、彼女を是が非でも私の妻に迎えなければ……私が死んでしまうと思ったのです」
「そう……か」
ゼファーの気迫に、エドワードはか細く相槌を打つ。
ゼファーは目の前の透明な何かを、右手で優しく撫で回すように手を動かしている。
まるで誰かを愛撫しているような……。
それがマーガレットの幻影だと気付いたエドワードの腕や背中は、プツプツと鳥肌を立て始めた。
まさか……小さな女児が好きなのではないだろうな!?
そのような王がいたと過去の記録で読んだが、目を覆うような最期だった。
もしそうなら、こやつを王太子に添えることは…………。
「……一応言っておくが、マーガレット嬢はずっと小さな可愛らしい姿のままではないぞ」
「父上、そんなこと当たり前ですよ。今の姿も愛らしいですが、成長しなければ結婚できないではないですか」
「そ、そうかそうか。わかっているならば良い」
息子に何か異常を感じ取ったが、エドワードはそれ以上深く考えないように、もう一度ワインを注ぎ、一気に飲み干した。
うむ。これで酔いが回っ――
「あ。それともうひとつお願いがあるのです」
「まだあるのか。聞けるかどうかはわからんが、とりあえず言ってみなさい」
「はい、相手はあのフランツィスカ家。父上もご存知のとおり、正攻法で結婚を申し込んでも逃げられてしまう可能性があります」
「……うむ」
「それでマーガレットを逃がさない秘策を考えましたので、父上にぜひ協力して頂きたいのです」
ゼファーからそっと耳打ちされた内容にエドワードは舌を巻き、書斎の外にまで響く大声で高笑いをし始めた。
「ハッハッハ。なるほど、その手があったか。法と同等の王命を利用するとは、面白くなってきた。私もそうすればレイティスを逃すこともなかったのにな」
「……それだと私がマーガレットと結婚できなくなってしまいますよ、父上」
「ん? ふはっ。それもそうだな、ハハハハハッ」
息子の思わぬ入れ知恵でフランツィスカ家への恨みを晴らすチャンスを手に入れたエドワードは、冴え始めた頭を酔わすべく、もう一度ワインを含んでニヤリと笑みを浮かべた。
愉悦に酔いしれたエドワードは、溺愛している妻マルガレタ妃や息子アヴェルへの良心の呵責など、ワインの底の沈殿物とともに置き去りにしてしまった。
お読みいただきありがとうございます。
次は――
相当なストレスが溜まって爆発寸前のマーガレット。
その原因は婚約者となったゼファーなのですが、果てさて何があったのか?
ゼファーの本性がだんだんと明らかに……。
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