第101話 醒めない夢
ようやく琥珀宮へとたどり着いたマーガレットは、アヴェルの部屋の近くで待ちぼうけていた。
突然の訪問にアヴェルを驚かせてはいけないと、ルナリアが部屋に入る交渉にあたっているのだが……。
「アヴィ兄様、マーお姉様とイグナシオ様が遊びに来てくださいましたよ。今日は晴れていてお外が気持ちいいですし、一緒にお庭で遊びませんか?」
「………………いい。三人で楽しんでおいで」
部屋の中からアヴェルの声はするものの、その声は沈んでいて、強く拒絶されているのが伝わってくる。これはアヴェルの心をうまく開かなければ難しそうだ。
「アヴィ兄様、そんなこと言わずに……今日は兄様も大好きなレモンパイもあるそうですよ。マーお姉様も、兄様に会うのを楽しみにしています」
「…………いい」
マーガレットには、先程から気になっていることがある。
ルナリアからの問いかけに時間はかかるものの、アヴェルの返事はとても鮮明に聞こえてくる。
その声の鮮明さと距離から、アヴェルは扉の前にいると推測できた。
うーん。そこにいるのだし、ちょっとしたきっかけで出てきそうなのだけど。
どうにかして……あ!
何か閃いたマーガレットは扉前のルナリアのもとへと駆け寄った。
気付いたルナリアに、マーガレットは口元に人差し指を添えてシーッと「静かに」のポーズを取って、元気よく扉を叩く。
―ダンダンダンダンッ‼
すると――
「ルナリア。ごめんだけど、僕はマーに会う気はないから」
「まあ! せっかく会いに来たのに悲しいわ、アヴィ」
「えっ、マー……っ」
「ここを開けてアヴィ。開けないと氷の神殿も吹き飛ばした私のカリスマパワーで扉を壊しちゃうわよ! いくわよ、三、二、一」
「ま、待って」
―ガチャリ。
開かずの扉だったはずのドアは簡単に開き、ドアの隙間からアヴェルが元気のない顔を覗かせる。
少し瘦せたかしら。
「扉を壊したらマーが怒られちゃうよ」
マーガレットの後ろにいるルナリアとイグナシオに気付いたアヴェルは、マーガレットの腕を掴んで部屋へと引き入れ、すぐに扉を閉じて鍵をかけてしまった。
―バタンッ!
ルナリアはすぐにアヴェルに呼びかけようとしたが、イグナシオがルナリアの手を握って止めに入った。
「ルナリア……マーガレットにまかせてみよう」
アヴェルの部屋に無事入ったマーガレットは、アヴェルの変わりように驚いて声を失っていた。
さっきは扉の暗がりで気が付かなかったが、陽の差し込んだ部屋の中で見たアヴェルの目の下には大きなクマができていた。
つい数日前、パーティで楽しく元気に踊ったのが、まるで数年前のように感じてしまうほどアヴェルは痩せこけ、クマのせいか重い病にでも罹ってしまっているようだ。
あまりのアヴェルの変わり様を心配したマーガレットは、静かにアヴェルの肩を抱く。
「アヴィ、どうしたのその目のクマ。ちゃんと寝てるの? ご飯も食べてる?」
「だい、じょうぶだよ。これは最近眠ると嫌な夢を見て、うまく眠れないだけだから。マーは……『マーガレット』は気にしないで」
アヴェルの震えたくちびるから出た『マーガレット』という言葉。
普通の人から言われたのなら問題はない。
でも『マーガレット』と呼んだのがアヴェルだと、それはもう他人と線引かれたようでマーガレットの心は抉られ、悲しみに包まれる。
「アヴィ…………いつもみたいにマーって呼んで」
「ダメだよ。マーガレットは兄上の婚約者になったから、馴れ馴れしくしたら怒られちゃう」
「あの人が何か言ってきたら、私が呼んでいいって言ったって言えばいいから。だから今までどおり、マーって呼んで、ね?」
マーガレットの願いに、アヴェルの我慢していた何かが音を立てて、崩れる。
「………………マぁぁぁっ! ううっ……」
すると、アヴェルの紫色の瞳から大粒の涙がこぼれ始めた。
アヴェルはマーガレットの胸に飛び込むと、大好きな人を奪われて溜めにためた悲しみを吐露し始めた。
「……僕ね。マーの誕生日にプロポーズするためにいろいろと頑張ってたんだよ。なのに、なのに兄上にマーを盗られちゃった。兄上だって応援してくれてたのに……うっ、なんでぇ、ぐずっ……」
嗚咽するアヴェルの背中をそっと抱き締めるように撫でながら、マーガレットは眉を潜ませる。
「私もどうして婚約することになったか、よくわからない。でもクレイグに話したら、落ち込んでいたゼファー様に、私が優しい言葉を掛けたからじゃないかって怒られたわ」
「優しくしたの?」
「うーん。そんなに優しくしたつもりはなかったんだけど、よしよしするくらいの感じかしら」
「そっか。ゼファー兄上のお母様はもういないから、マーがお母様に見えたのかな」
「え……え゛ぇっ!?」
お母様って、私まだ八歳よ!?
あ、前世も合わせたら二十八歳だしアリって……それでも十六歳の子供の母親じゃないと思うのだけど。
ゼファーの婚約という選択に、やり場のない思いを感じたマーガレットは深いため息をこぼす。
部屋に静かに響いた溜め息が、得体の知れない不安を膨らませるのだった。