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第8話 餌(side:レナード)

 どこの貴族家の紐もついていない、男爵位を授かった平民の冒険者。

 王家から多数の権利を融通されていることと、頭痛の種だったバジリスクを単独で討伐したことから、国を越え西部全体でレナードの顔と名は通りが良い。


 年頃の娘や孫娘を持つ貴族なら婚姻でレナードと強く結びつきたいと考えるのが普通だろう。


 「ご冗談を。閣下のお孫さんは三歳だったはず」


 「将来はわしに似てキリッとした美女になるぞ」


 快活に笑って天幕に入ってきたのはユルゲン・フォン・シュルツ侯爵だ。

 西部の雄と自称するどこかの誰かとは違い、御年七十歳でいまだ当主の座に座り続ける元気な老人で、西部貴族の間では畏怖と信頼を集める人格者である。


 「さて、皆ご苦労じゃった」


 シュルツは真っ白な長い顎髭を撫でながら肩をすくめ、バウアーの後ろにいた西部貴族たちへ声をかけた。


 「この英雄がまたしても西部を救ってくれた。朝方到着するなり森へと入り、見事にバジリスクの幼体五体を討伐してくれたのでの。もはや危機は去った」


 シュルツの言葉に目を見張ったのはバウアーも含めてこの場に集まった西部貴族たち全員で、本当かと当然の疑問を口々に言う。

 それに対し、シュルツが天幕の外へと皆を促した。


 「見たほうが早かろう」


 それぞれの家の護衛もついてくるのでかなりの大人数だが、シュルツの統率力のおかげか揉めることも出入り口で詰まることもなく移動する。

 そして半信半疑で天幕の外へ出ていった彼らが最初に見たものは、自分たちの連れてきた兵が興奮してざわつく様子と、五体のバジリスクが冒険者によって天幕近くの平地に運ばれてくるところだった。


 冒険者の方も西部貴族たちが天幕から出てきてバジリスクの死体にざわめいているのに気がついたようだ。

 威勢よくバジリスクを運ぶ冒険者たちの中から、中年の男が一人こちらへ歩いてきた。

 レナードが片手を上げると、男も同じように片手を上げて挨拶してくる。


 「ご苦労じゃったな」


 シュルツの言葉に丁寧な礼を返した男は、「とんでもないことでございます」と朗らかに笑いながら首を振った。


 「息子がまた手柄を上げたのじゃ。そなたも鼻が高かろう」


 「いいえ、まだまだ未熟ものです」


 そう答えるのはレナードの父親だ。

 バジリスクを運ぶ冒険者と同じような装備の父は、冒険者ギルドの西部支部の副ギルド長でもある。


 「これだけの活躍をして、結婚もして、世間からは英雄ともてはやされても子供は子供かね?」


 シュルツがバウアーを含めた西部貴族たちへ解散の指示をしつつ、父へと穏やかに問いかけた。


 貴族たちの囁きと視線の中心には、面目を潰されたバウアーがいる。

 バジリスク再出現の危機をリャルト(王家)の威光とレナードの武威を使って見事に封じ、その功績をもって西部貴族の長になろうと目論んでいたバウアーは、娘の愚行に青ざめ、うつ向いている。


 震えて固まるバウアーへ声をかける者はおらず、潮が引くように周りから人が引いていく。

 そして本物の西部貴族の長の手により無造作に追い払われるバウアーを横目で見つつ、父がシュルツへとうなずいた。


 「少なくとも〝グレーネマイヤー男爵家の独力で〟という命令に対し、自分ひとりで事に当たろうとした時点で先が不安ですな。父であるこの私もグレーネマイヤー男爵家の人間であるのですから、うまく使うべきでした」


 久しぶりに父親から叱りつけるような目で見られ、レナードはばつが悪くなって頬を掻いた。


 「新婚なのに新妻を放り出してまで駆けつける必要はなかったと思うぞ」


 冒険者たちの手によって素早く解体されていくバジリスクを見ながら、父親の言葉に苦笑する。


 確かにウルスラを置いてまでこんなところに駆けつける必要はなかったとレナードも思う。

 ただ、元婚約者の筆跡を指でなぞって震える彼女の姿を見ているのがつらかったのだ。


 いまだにリヒャルトを想う彼女は、だけどさすがに自分の想い人のために動いてほしいとレナードには言えないだろう。

 だから察して、ここに来た。


 冒険者ギルドの西部支部副ギルド長である父のもとには絶対にバジリスク出現の報告は入っているはずだし、その討伐が息子へと依頼されることもわかったはずだ。


 そして父は、レナードがウルスラへ求婚しにグレーネマイヤー領から王都へ向かったという事情も知っていた。

 ウルスラと結婚したこともわざわざ速達の魔道具を使って知らせたから、事情を全てわかったうえでレナードを窘めているのだ。


 ロイター侯爵家は大嫌いだが、レナード親子にとってウルスラは特別な存在だったから。


 リヒャルトに嫌われてロイター家を解雇された父へ、ウルスラは精一杯の誠意をくれた。

 齢九つにして国王夫妻から目をかけられ、すでにその優秀さは社交界で有名だったウルスラの書いた紹介状は、どの貴族家に出しても通用するものだったのだ。


 それこそ目の前のシュルツ侯爵も、王都の神童が特別に紹介状を書いたという父の実力を高く買ってくれた。


 父が今、冒険者ギルドの西部支部副ギルド長という役職についているのも、あの頃にシュルツの後ろ盾を得てギルド専属の冒険者として雇ってもらうことができたからだ。

 そこから先に出世したのは父の実力だが、それでもまずシュルツの後援がなければ狭き門であるギルド専属の冒険者になることはできなかった。


 なによりウルスラの紹介状がなければシュルツだって父と会うことすらしなかっただろうから、父にとってウルスラは恩人なのである。


 そんなウルスラの努力を裏切ってカタリナへ乗り換えたリヒャルトに、父が覚えた嫌悪感たるや。

 くだらない虚栄心のためにリヒャルトを誘惑したカタリナと、それを良しとしたバウアー伯爵のことも、父は蛇蝎のごとく嫌っている。


 そしてリヒャルトの命令を唯々諾々と聞いて、しかもバウアーのために駆け付けたように見られかねなかったレナードの行動に、父は心底怒っているらしい。


 「しかし英雄が結婚とはの……卿と縁を繋ぎたかった者も多い。よほどのおなごでなければ、これから側室の座を巡って身辺が騒がしくなりそうじゃが」


 そう呟いてレナードを見るシュルツの目は鋭い。まさか本当に三歳の孫娘を側室にとは言い出さないだろうが、親戚から適当に年頃の娘を養子にして釣書を持ってきそうだ。


 そしてその娘には正妻を押し退けて実権を握れと命じるのだろう。その程度の強かさがなければ海千山千の貴族たちを掌握できまい。

 人がいいだけの好好爺が長年バジリスクに苦しめられていた西部をまとめて、それなりに食えるように舵を取ることなどできないのだから。


 「妻の名はウルスラです」


 「というと、ウルスラ・フォン・ロイターかな?」


 驚きに緑の目を見張ったシュルツの横で、父が満足そうに胸を張った。


 「それは……まったく……良いお嬢さんを迎えたものだ。側室などとんでもないな」


 レナードがうなずくのを見たシュルツが、いやはやと苦笑しつつ首を振る。


 「どれほど甘い言葉で誘ってもバウアーの娘に勝ち目はないの。あのウルスラ嬢がいてそれに乗るのはよほどの馬鹿か、節穴よな」


 言外にリヒャルトをくさし、シュルツは笑った。


 「いやめでたい! 西部の英雄と社交界に名を響かせる氷の才媛が夫婦とは! 式や披露宴はしたのかね? まだならばぜひこのシュルツが見届け人として、若い夫婦と西部との縁を繋げる手助けをしたいものだ!」


 「願ってもないことでございます」


 シュルツはレナードへ影響力を及ぼすために、親戚となることから他貴族との縁を繋げることへと軽やかに方向展開した。その老獪さに舌を巻きつつ、レナードはますます逃げられなくなったウルスラのことを思って仄暗く笑った。


 ああ、可哀想なウルスラお嬢様。


 リヒャルトのことを忘れられず、思い出の絵を心の支えに好きでもない(レナード)の元へ嫁いだウルスラ。

 いまだ心はリヒャルトにあるというのに、西部貴族たちの力を借りてゆっくりと外堀を埋められて逃げられなくなっていく。


 しかもレナードのせいで、ウルスラはもはやロイター家にも帰れないのだ。


 ロイター家がウルスラを売りに出した(夫を募集した)ときに寄ってきたタチの悪い有象無象には、金を握らせて黙らせた。

 そしてその有象無象の男たちの中から、特に背後関係が怪しいものを選んで餌を与えた。


 餌――ウルスラを売った金でかつてないほど潤ったロイター侯爵である。


 侯爵にはウルスラの売値として提示された金額よりも多くの金を、とあることを条件に支払った。

 バジリスクを討伐して国から出た褒賞金を全部使ったが、それで全く文句を言わずにロイター家はウルスラを差し出したのだから安いものだ。


 今ごろロイター侯爵はレナードが有象無象と呼ぶ男たちに「ウルスラを売った金をさらに倍に増やそう」とそそのかされて、身包みを剥がされているだろう。

 男たちは容赦なくロイター家からむしり取っていくはずだ。爵位の維持も厳しいほどに。


 その気になればレナードはロイター侯爵を助けることもできた。これからだってできるだろう。

 けれどレナードはしなかったし、今後も手を差し伸べるつもりはない。


 ロイター侯爵家およびその親戚へ今後一切の援助をしないことを条件に、レナードは莫大な金額を支払ったのだから。


 ロイター侯爵家を見捨てたレナードのことを知れば、ウルスラはまた失望し、レナードの顔を見ることすら嫌がるかもしれない。

 可哀想なウルスラお嬢様は、レナードに買われたばかりに帰る家も家族も失った。


 だけどレナードは手放すことができないのだ。

 最愛の人の幸せを想いながら、だけど自分の手ではウルスラを幸せにできない。


 ウルスラと氷砂糖を食べたあの時からずっと。いや、そのもっと前に、初めて彼女を見た時からレナードはずっとウルスラを自分のものにしたかった。

 リヒャルトになど渡したくなかった。


 なんて可哀想なウルスラお嬢様……。と、レナードはウルスラとレナードの結婚を祝福してくれるシュルツに、口角だけをつり上げた笑みを返した。

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