第5話 嫌なもの(side:レナード)
王都から離れるにつれて徐々に魔物の出現率が上がっていくが、道に出てくる魔物など、バジリスクを氷魔法数発で倒してしまったレナードの敵ではない。
今日も鷲型の魔物が数十羽、空から馬車を襲ってきたが、
「念のため頭を低くしていてください」
「わ、わかったわ」
という短すぎる会話ののち、レナードは氷の礫を指で弾いて魔物を倒した。
馬車を威嚇しながら空を旋回していたかと思えば、勝手にぽろぽろ墜落していく魔物に目を白黒させていたウルスラがかわいかった。
レナードがまだ使用人の息子としてロイター侯爵家の使用人寮に住んでいた頃、王子の婚約者教育からこっそり抜け出してきた彼女の幼い頃の表情に重なって、懐かしくもあった。
だが今日はおそらくこれ以上の会話はないだろう。
ウルスラはそのあと青ざめた顔でレナードを見つめたあと、胸に手を当ててうつむき、それからずっと黙ったままだ。
怖がらせないようにとなるべく早く魔物を倒したのだが、もしかするとそれが良くなかったかもしれない。
生粋の貴族であるウルスラには、どんなに気を使ったところで魔物退治など血生臭い暴力でしかないのだ。
バジリスク討伐の時に彼女が魔物やその死体も恐れぬ毅然とした態度だったのは、バジリスクに怯えて全く機能しなかったリヒャルトの代わりに、中央貴族の代表として西の貴族に対応する必要があったからだと思う。
貴族としての義務を優先するウルスラの後ろで、自分の欲望を優先してリヒャルトにしなだれかかっていたカタリナとは大違いである。
カタリナ・フォン・バウアー伯爵令嬢。
その顔を思い出して、レナードの胸はむかついた。バジリスクの毒気よりもさらに強烈な胃部の不快感である。
そもそもレナードはバウアー伯爵家自体が嫌いだ。
狩りやパーティーをしょっちゅう催し、レナードのような専属冒険者をわざわざ雇うなど羽振りが良いように見せているが、実は彼らの金庫にさほど金はない。
それどころか堅実に領地経営をする他の西部貴族と違って、経済的にひっ迫している。
平民に対する差別や、冒険者やそのほかの肉体労働者への見下しも一家そろって酷かった。
普通は家の威信にかけて好待遇で迎える専属冒険者への金払いだって彼らはとても渋くて、バウアー家の専属にはならずに冒険者ギルドの仕事をしていた父の給料方が良いくらいだったのだ。
おかげでレナードがバジリスク討伐の褒美で爵位を得たあとは、バウアー伯爵家で雇われていた平民の騎士や使用人が大量にレナードの元で働いてくれるようになったのは幸いだった。
今回ウルスラを迎えに行った今回の道中も、バウアー家で雇われていた腕利きの平民騎士が同行している。
さっきこの馬車を襲ってきた鷲型の魔物程度なら、鼻歌まじりで討伐できてしまう猛者ぞろいである。
そんな彼らを、リヒャルトを婿として迎え入れるからには平民などを雇っていては品位を疑われるとしてろくな退職金も払わずに解雇したバウアー伯爵家を、レナードは心底軽蔑している。
リヒャルトのために父を解雇したロイター侯爵を見ているようだ。
そのうえ娘のカタリナは見栄っ張りの父親の血を濃く受け継いでいて、中央貴族の令嬢たちと一方的に張り合っていた。
ウルスラからリヒャルトを奪ったのも、あのリヒャルトを支えて政務をこなし、美しさも頂点を極めた侯爵令嬢として中央貴族の高嶺の花であった氷の才媛、ウルスラに対抗してのことだろう。リヒャルトへ愛があったわけではないはずだ。
平民の冒険者だからと無茶な命令をされ、わがまま三昧のカタリナにうんざりしていたレナードからすれば、あんな女はウルスラの足元どころか彼女が踏んだ土の中の砂粒ひとつにも及ばないと断言できる。
だというのにリヒャルトはいったいカタリナのどこが良かったのだろう。
虚栄心の塊なくせに吝嗇なバウアー伯爵家の専属冒険者としてレナードが雇われていたのは、ウルスラに恋焦がれ、貴族である彼女との繋がりをどこかで保っていたかったからだ。
本当はバウアー伯爵家よりも実力があり爵位も上の貴族と契約したかった。
そのための伝手もあったのだが、そういうちゃんとした家はウルスラと職務を天秤にかけたらあっさりウルスラへと傾くような男を雇いたがらなかった。当然である。
バウアー家の護衛としてウルスラの住む王都へ行くこともあったし、そうすれば彼女ととても近いところで息をしているのだという幸せを味わえた。
もしかしたら遠くからでもウルスラの姿を見かけることもできるかもしれない。昔世話になったことの礼を言って、話すことができるかもしれないという下心もあった。
もちろんその心を知る父からはたいそうあきれられたが。
バジリスク討伐成功の報告をした時にウルスラと再会し、目が合った時にはどうしようかと思った。
己の拗らせた恋心は自覚していたから、このまま見つめていてはうっかり求愛の言葉が飛び出してしまいそうで怖かったのだ。血と汗にまみれて汚かったうえに、金も地位も名誉もないただの冒険者に愛を告げられたってウルスラも困っただろう。
とっさにカタリナを見て自分の心の昂ぶりを鎮静化させられた自分をほめたい。
王都の貴族のお嬢様であれば一生経験することがないバジリスク襲撃という出来事に遭遇して怖かっただろうし、氷漬けになったバジリスクの頭部というグロテスクなものを抱えて持ってきたレナードにだって恐怖を覚えただろうに、けなげに微笑みかけてくれたウルスラ。
その彼女の背後で、西部貴族たちの一生を左右する大事件に対処する義務を放り出して乳繰り合うリヒャルトとカタリナの、なんと愚かなことか。
隣で窓の外を眺めるウルスラの後頭部を見ながらそんなことを思っていたら、馬車が急に止まった。
魔物が出てきても止まらず対処するこの一行を止められるものはそうそういない。停止の命令を出せるのはレナードだけだ。
だというのに、馬車は意思を持って停止した。
馬車の扉を叩く音がして、こちらが返事をしていないにもかかわらず扉が勝手に開けられる。
とっさに氷の礫を飛ばしそうになったが、それより前に侵入者が徽章と書類を突き出してきたのでやめた。王都からの王家直属の伝令騎士であることを証明する徽章だったからだ。
つまり何か緊急事態が起こったのだろう。
首を傾げてこちらを振り返ったウルスラのかわいさに、こんな時だというのに思わず笑顔になりそうになったレナードは、必死で口角を下げた。
「レナード・フォン・グレーネマイヤー男爵。リヒャルト第二王子殿下からの命令である」
騎士の言葉に、レナードの口角は笑みを隠すためではなく本気で直角に下がった。