表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/18

第2話 なんという悲劇

 黒歴史を絶対に燃やすとウルスラが心に誓った次の日の昼には王都を出発した。

 今は太陽が沈みかけている。


 馬車の中で無言のレナードと隣り合って座り、ウルスラは遠くの方へ落ちていく夕陽を窓から眺めていた。

 馬車から見える夕日は、燃えるように美しい。


 領へと出発する直前に王都の役所に婚姻届けを提出し、ウルスラの姓は正式にグレーネマイヤーへと変わった。


 国の西南に位置するレナードのグレーネマイヤー領へは、あと五日ほどかかるらしい。

 馬車はゆったりと座れる大きなもので、舗装されていない道でもほとんど揺れを感じない。

 王家の馬車以外でここまで乗り心地の良い馬車に乗ったのは初めてだった。


 ウルスラの実家であるロイター家は侯爵家だったが、三代前の当主が賭博で財産のほとんどを失ってからパッとしない。はっきり言って没落寸前の貧乏貴族である。

 だから馬車も外見を取り繕っただけでだいぶ古いものを使っていた。


 困窮する侯爵家だが、建国当初から存在する家門であるために血統だけは由緒正しい。

 両親はかつての名誉と財を取り戻すために、第二王子であるリヒャルトがロイター家に婿入りすることによる王家からの支援に全てを懸けていた。


 だからそのためになんでもした。

 たとえばウルスラの部屋の物をはじめ、ロイター家の屋敷にはリヒャルトが足繁く通いたくなるよう計算して父が買った物しかない。

 さらにリヒャルト好みの女になるように両親が幼い頃からウルスラに施していた教育も、ウルスラには苦痛だった。


 そして両親は、リヒャルトが欲しがったものはどんなものでも手に入れて捧げてきた。

 人から奪うことも厭わない彼らの性根は、物語に登場する悪徳貴族そのものである。


 ウルスラが妄想を書き記すために使っているノートもそういう経緯で手に入れたものだ。欲しいと言ったリヒャルトのために父が入手し、彼が飽きて放り出したところをいただいた。

 どれだけ書いてもページが尽きることはなく、本来なら家系図のような長い歴史を綴る時にしか用いられない。貴重な魔物素材でできた魔道具の一種である。


 そして父は、どれほど優秀な人物でも一度(ひとたび)リヒャルトが気に入らないと言えばきっぱりと縁を切った。


 その縁を切られた優秀な人物たちの中に、レナードの父もいる。


 レナードの父は平民でありながら魔法を使える、ロイター家の優秀な門番だった。

 性格も良く他家からの評判も良かったのに、何かの拍子にリヒャルトに嫌われ、それを不快に思った父に解雇されてしまった。

 

 幼い頃のウルスラは、住み込みで働いていた彼らと親しくしていた。

 特に自分より二つ年下のレナードのことは、身分は違えど親友だと思っていた。彼もウルスラのことを同じように慕ってくれていたと思う。


 勉強漬けの毎日のなかで厨房からこっそりとってきた氷砂糖をレナードと分け合って食べた思い出は、ウルスラの心の中の一番温かいところにある。


 だけどウルスラはレナードの父親の解雇を防げなかった。

 せめて紹介状だけでも……と彼の父に渡したけれど、九歳の子供が書いた紹介状などなんの役にも立たなかっただろう。


 ウルスラがレナードと再会したのは今から一年半ほど前、レナードが西の森に棲むバジリスクを討伐した時だった。

 西部貴族たちとの文化交流会に、西の森近くの街でリヒャルトとともに参加していた時のことだ。


 バジリスクとは、凶悪な毒の牙と石化の魔法を使う蛇型の巨大な魔物である。

 五十年ほど前にこの国の西にある森に棲みつき、西方の国々との交易を妨げていたため、我が国を含め周辺諸国の頭痛の種だった。


 リヒャルトと街の領主であるバウアー伯爵の娘、カタリナが二人でお茶をしながら何やら楽し気に語らっている横で、ウルスラは貴族たちと西諸国との交易について熱く語っていた。

 そのさなか、バジリスクが森を出て暴れているという第一報が入ったのだ。


 突然のバジリスクの急襲に怯えるリヒャルトをなだめながら、西部貴族たちと迎撃のための会議を始めたところに、氷漬けになったバジリスクの頭部とともに現れたのがレナードだった。


 ウルスラにはそれが九歳の時に別れた親友だとすぐにわかった。

 顔つきは男らしく精悍になっていたけれど、ヘーゼルグリーンの瞳も、少し癖のある黒髪も七歳の頃と同じだったから。


 懐かしさに思わず微笑みかけてしまったが、レナードから返ってきたのは険しい視線だった。


 ウルスラはついと視線を動かして、横に座ったレナードの黒髪を眺める。

 そして再会した時のことを思い出し、指が細かく震えているのに気がついた。


 レナードの冷たい視線を思い出して震えたのではない。

 当時胸に走ったきゅんを思い出して震えているのだ。


 ウルスラは見た。

 リヒャルトとウルスラに頭を下げたレナードが、あの時、侍女の代わりにウルスラの背後に控えていたカタリナとサッと視線を交わしたのを。


 あの意味深な視線の交換は、氷漬けになったバジリスクの頭部を見た時よりも心臓にズドンと衝撃がきた。


 あとで聞いた話では、レナードはロイター侯爵家を去ったあとしばらくしてから、この西の街でバウアー伯爵家の専属冒険者となったらしい。


 バジリスクは脅威だったが、漏れ出た魔力のおかげで西の森には希少な魔法素材が多い。

 バウアー伯爵家からの魔法素材採取の依頼を受けて、レナードはたびたび西の森に入っていたという。そうやってバウアー家へ出入りするうちに、カタリナと親密になっていったのだろう。


 バジリスクの討伐を報告したあと、魔物の血で頬を汚し汗で張り付く黒髪をかき上げながら、去り際にチラリとこちらへ……というか、ウルスラの背後に控えたカタリナへアイコンタクトを送るレナードのかっこよさは、まるで英雄譚の主役、舞台俳優のようだった。


 しかしこのレナードのバジリスク討伐という成果は、それを指示したリヒャルトの手柄として国王陛下に報告されてしまった。

 レナードが一人でバジリスクを倒したというのに、書類の上ではリヒャルトが命令してレナードが討ったということになっている。


 リヒャルトの姦計によってバジリスク討伐の総大将という成果はリヒャルトに取られてしまったが、それでもレナードは多額の報奨金と、男爵位、グレーネマイヤーという苗字、領地を得ることになった。

 平民の冒険者としては驚異の出世だが、レナードの本来の目的――このバジリスク討伐という成果を持って、とある女性を妻へと迎え入れることを陛下に願い出る、という目的は果たせなかったと言われている。


 いかにも英雄譚らしいこの話は、王都でも有名だ。

 なんという悲劇か、と。


 さらにはその〝とある女性〟とは、専属冒険者として雇われていたバウアー伯爵家のカタリナ嬢なのではないかと言う者もいる。


 っはあああもう、いいわあ! と、ウルスラは沈む夕日を目で追いかけ、ため息を吐いた。


 急にため息を吐いたウルスラを、レナードが見てくる。

 その怪訝そうな表情に、ウルスラの胸きゅん検知器は最大音量できゅんきゅんきゅんと鳴り響く。


 ああ、結ばれぬ恋人たち。

 立ちはだかる身分差!


 恋人の領地を救ったと同時に、自分の父を不当に扱った悪徳貴族の娘もまた救ってしまっていたという悩ましい事実!


 恋人と結ばれるため死地に赴いて決死の覚悟で手柄を立てたというのに、それを第二王子という権力に横取りされる悲劇……。

 結局恋人のための努力は実らず、おいそれとは迎えに行けない僻地に領地を与えられただけ!


 さらに自分の立てた手柄を己の物とし、カタリナとの結婚を父である国王陛下に願い出たリヒャルトによって、カタリナはリヒャルトのものになってしまった。


 手柄も恋人もリヒャルトによって横取りされるなんて……そんなの……とっても……。


 ウルスラは震える肺をなだめつつ息を吸った。


 とっても、――たぎる。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ