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第16話 どうして……(side:レナード)

 戦勝会も西部貴族たちからの誘いも全て断って帰ってきた。

 脇目もふらず帰ってきたのは早くウルスラの顔を見たかったからだが、夜だというのにウルスラが寝室にいなかった。


 ハンナからは彼女は昼過ぎに体調を崩してからベッドで休んでいるはずだと聞いていたのに、夫婦の寝室に置かれたベッドは冷えている。


 ひやりと冷たいシーツに手を置いて、真っ先に自分の頭の中に浮かんだものが「ウルスラはレナードに嫌気がさして逃げた」だった。


 再会から今までとても態度が悪かったことは自覚しているし、それをフォローもせずに仕事へ行ってしまった。

 何よりリヒャルトを愛していたウルスラにとってレナードとの結婚はただの悲劇で、好きでもないうえに話し合いや歩み寄りができない(レナード)に不安を覚えたことだろう。


 深夜のベッドにウルスラの姿がない理由を、彼女がレナードを厭っているからだと考えてしまう。

 なぜならウルスラが具合を悪くした瞬間が、スミレの絵を見たあとだったとハンナに聞いたからだ。


 バジリスク襲撃という事件があっても泰然自若としていたウルスラ。愛する人(リヒャルト)を性悪女に取られても、貴族令嬢として気高く対応していたウルスラ。

 そんな彼女が触らないでと取り乱し、怒鳴って守ろうとしたのがリヒャルトの描いたスミレの絵だった。


 レナードはあの絵をロイター家から買い取ったりせずに、あの家に置いてくることもできた。

 だけどあまりに心細そうに絵を見るウルスラの様子に、彼女と絵画を引き離すことができなかった。

 でもその絵を手元に置いておきたいというウルスラの願いは叶えたくなかった。


 ウルスラのためだと善人の顔をすることも、自分の欲だけを追求して彼女の心のより所を捨てるような悪人にもなれず、ウルスラにとって自分は中途半端な酷い男に思えただろう。

 自分だってそう思う。


 なにせ「逃げた」とは思っていても、そう思った直後に「いいや彼女に逃げ場所などない」と冷静に考えている。この気持ち悪さ。我ながら寒気がする。


 バジリスクの幼体の討伐からの帰り際、シュルツが言っていた。

 ロイター侯爵家は当主が博打にはまり、こんな短期間で絵に描いたような転落の仕方をしているらしい。


 レナードとウルスラの結婚披露宴の準備を終える頃には、もしかするとウルスラの実家はないかもしれない。

 そうなれば自分がウルスラの後見をする。と張り切っていたシュルツの目尻のしわを思い出す。


 ウルスラの実家であるロイター家とは同じ侯爵位、同格のシュルツに後見されればますますウルスラは逃げられなくなるだろう。

 そんなことを考えて、レナードは老貴族に愛想よく微笑んできた。


 そうやって彼女の物理的な逃げ場を許さず潰すくせに、だけど彼女にとっての心の逃げ場だけは潰せないでいる。中途半端な自分。


 きっとウルスラの居場所は〝奥様の部屋〟だろう。

 ウルスラにとって何より大事なスミレの絵を飾るように指示をした部屋だ。


 そう思って〝奥様の部屋〟のドアを開ければ、案の定ウルスラがいた。


 絨毯も敷いていない剝き出しの床に座りこみ、リヒャルトが描いたスミレの絵を両腕で抱え、暖炉の炎を見つめている。

 絵が手元に戻ったからだろうか、勢いよく燃える火に照らされたウルスラの顔が明るい。


 憑き物が落ちたかのように穏やかな表情に見えるのは、きっと精神安定剤であるリヒャルトの絵画が腕の中にあるからだ。


 その腕の中にいて、彼女を癒す役割が、どうして自分ではないのだろう。


 炎に照らされたウルスラの美しい顔を見て、レナードは泣きたくなった。

 自分が悪い。そんなことはわかっている。だけど思う。どうして自分では駄目なのだろう。


 どうしてウルスラに想われているのがリヒャルトなのだろう。


 あんなやつ、西部でも中央でも、なんなら西部と隣り合った外国でも評判が悪いのに。

 ウルスラがいなければ何もできないくせに。カタリナなんていう下品な女の誘惑に負けてウルスラを捨てるような馬鹿なのに。どうして。どうして。


 「どうして……」


 思わず漏れ出た声が、何もない部屋に存外大きく響いた。


 ウルスラがそれに気づいてパッとこちらに顔を向けた。薄暗がりのなか、炎の熱に炙られて桃色になった彼女の頬が美しかった。


 見た瞬間に感極まって崩れ落ちてしまうほどに重要な、彼女の心の避難場所(リヒャルトの絵)。それを取り戻したからこそ、そんなに美しいのだろう。

 それがレナードのためにあるわけではないことに、とても泣けて。レナードには絶対に立ち入れない彼女の心を占めているのが、リヒャルトであることが何よりも泣けて。


 絵を抱えて座り込むウルスラの前に跪いて、レナードは(こうべ)を垂れた。


 「お嬢様……」


 絵を持っているウルスラの手を取ることもできなかった。

 驚く気配を見せた彼女の顔を、どういう意味で驚いているのかわからないから見ることができない。


 「俺はどうしてもお嬢様をあきらめられません。だから、……あなたの好きなものを揃えます。宝石もドレスも美術品も、あなたが欲しいと言ったものはなんでも手に入れてみせます。あなたの好きなように家も変える。使用人たちだって……」


 「レナード?」


 とまどうウルスラが立ち上がる様子をみせた。

 それを制して、レナードはウルスラへの情けない懇願を吐き出し続ける。


 「……リヒャルト殿下を好きだというのなら、」


 その先を言いたくなくて、奥歯で頬の内側を噛む。血の味が口の中に広がった。

 そして金気臭さと一緒にうめき声に似た言葉を吐く。


 「俺がどんな手を使ってでもここへ連れてきて、お嬢様の言うことを聞かせましょう」


 だからどうか……と、レナードは神へ祈りの言葉を捧げるように続けた。


 「俺を、側においてください。無理やりあなたをこんな場所へ連れてきた俺を見るのも嫌だと思います。だけど、せめて、隣にいることを許してください」


 俺はあなたのことが好きなんです。

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