第14話 まるで祭り会場
部屋を出て廊下を歩いていると、屋敷のどこかから威勢の良い声が聞こえてくる。
土地柄領民たちが血気盛んなのは、領に入ってから途中で休憩などのために立ち寄った村人の様子からもわかっていた。
だけどまさか領主の屋敷までその勢いで満たされているとは思わず、ウルスラは歩きながらわずかに目を見開いた。
「騒がしくて申し訳ございません」
先を歩いていたハンナが振り返り、歩く速度が鈍ったウルスラへ謝った。
「本来はこの屋敷ももう少し静かなのですが……」
本当ですよ。と何度か繰り返したハンナが、少しだけ気まずそうな顔をして角を曲がる。
そこから廊下を少し歩いたその先には、おそらく大広間であろう部屋のドアが開け放してあった。大勢人が出入りしているが、どう見てもパーティーではない。
商人と商品を運ぶ荷運びの男たちが、解放された出入り口を行ったり来たりして大広間へ荷物を運び入れているのだ。
首を傾げてハンナを見れば、彼女は苦笑しながら首を振った。
ざわめきと熱気の中にいた執事の一人がこちらに気づき、ウルスラへ丁寧な礼をしてからスススーッとハンナへ寄ってきて一枚の紙を差し出した。
ウルスラへ断ってからそれを確認したハンナは、またあきれたようなため息をついてから笑った。
「お察しの通り、こちらは本来は大広間でございます」
あまり近づかない方がいいと言われたので遠目で確認する。本来は大勢がダンスなどを楽しむための広い空間に、ほとんど隙間なく物が置かれていた。
それはタンスや椅子や机といった家具から、ウルスラの背をはるかに超えそうな大きな時計、燭台、ロール状になった絨毯やシルクの布、鏡、ライブラリーチェアに本棚、本、彫刻――遠くから見ても王城にあってもおかしくないような逸品で、そのどれもが思わず感嘆のため息が出るほど素敵なものばかりだ。
「このお屋敷は改装の予定があるの?」
この屋敷はグレーネマイヤー子爵が建てたものだから、あちこちにその趣味が反映されていた。
グレーネマイヤー男爵として新たにこの地を統治するレナードにとって、失敗した前任者の色を感じるものは不要だと思ったのかもしれない。建物自体は変えられなくとも、内装や家具などは変えられる。
「いいえ、そうではなく……」
執事と並んで大きく首を横に振ったハンナは、にこにこしながら続けた。
「このホールにある物はすべて、旦那様から奥様への贈り物です」
そんな馬鹿な。と、ウルスラはのけ反った。
そのままよろけて後ずさるウルスラへ、ハンナは「わかります」という顔をしてうなずいた。
「領内に飽き足らず、奥様をお迎えへ行った王都でも、奥様へのプレゼントを買いあさっておりました。屋敷の中の物はデザインや配置など全て、奥様と一緒に決めたいのだと」
追加でカーテン用らしき布とタッセルの山が運ばれてくる。
そのあとからは本棚、机、本棚、棚、椅子……と、屋敷の中とはいえ冬の空気は冷たいはずなのに、大物家具を運び込む男たちの筋肉と熱気のせいでまるで祭り会場のようだ。
「こ、これを全部……?」
ウルスラの目の前を通過していった大きな花瓶は、粘土に魔物の骨を砕いて練り込んで焼き上げたもので、特別な技術を習得した職人しか作れない。隣の国が技術を保護し、独占しているために貴族でも手に入れにくいものだ。
それが、花瓶、壺、皿、ティーカップ、置物、皿皿大皿壺花瓶ティーカップ……と連続でウルスラの前を通過していく。
陶板画など王城の応接間でしか見たことがない。
呆気にとられるウルスラをさりげなく誘導し、ハンナは大広間の手前に作られた控室のドアを開けた。
「――まあ」
ウルスラはそう呟いてゆっくりと息を吸った。でなければ呼吸を忘れて見入ってしまいそうだったからだ。
控室はクローゼットになっていた。
向かって右側からドレス用の背の高いハンガーラックが列をなし、それにみっちりドレスがかかっている。
左側にはドレスに合わせるアクセサリーが棚の上に並んでいて、キラキラと輝いていた。
「こちらも旦那様から奥様へのプレゼントです。流行のデザインを一通り集めました。気に入った雰囲気のものがあればお仕立てしましょう、と。工房とデザイナーも連れてきているので、いつでもお申し付けください」
今なんて言いました? と聞き返したかったウルスラは、声が枯れて言葉が出なかった。
そんなウルスラの表情を見て、身分の高い者からなみなみと注がれたワイングラスを渡されたような顔をしてハンナがうなずいた。
「この物量が、旦那様の奥様に対する愛でございます」
ちなみにまだ増えますよ。と、後ろからついてきていた執事が付け足した。
手に持っている紙に書いてあるのはこれから増えるもののリストだそうだ。紙が、長い。
さっきの部屋は何もない部屋だった。この大広間はものであふれている。これからももっと増えるという。
両極端の部屋の様子だけれど、ウルスラは二つの部屋の中に同じものが詰まっているのを感じた。
ハンナが言う通りなら、すなわち、レナードの愛が。
カタリナのことはきっと勘違いだったのだろうなと、ウルスラは理解させられた気がする。
「旦那様の奥様愛は、バウアー伯爵家で同僚だった頃から領内の人間には周知の事実でありましたが、またいっそう強火になりましたな……」
「そうですねえ……結婚指輪のお石のためにグリフォンを倒しに出かけた時は驚きましたね」
そう言いながら全く驚きを感じていないような普通の口調で話すハンナと執事の二人の様子に、レナードの〝通常〟がどんなものなのかが透けて見える。
グリフォンとは上半身が鷲で、下半身が獅子という大型の魔物である。この領にあるダンジョンの深層にいるのは確認されていたが、挑んだ冒険者のほとんどが殺されていて討伐例はなかったという。
レナードが初の討伐者だとか。
左手の薬指に重みを感じ、ウルスラは左手の甲を顔の高さにもってきて眺めた。
結婚指輪の台座に煌めく乳白色の魔石。よく見れば水槽の中の水をかき回した時のように、石の中で魔力がゆっくりと回っている。
魔石はうっすらと魔力を放出しているのか、左手の薬指を中心に手の甲が薄く虹色に光っていることに初めて気がつく。綺麗だった。
その光の綺麗さにほぅっと感嘆のため息が漏れそうになった瞬間、かざした左手越しに、従僕が見慣れたスミレの絵画を持って執事の方へ歩いていくのが見えてウルスラは目を見開いた。
感嘆のため息は驚愕のため息へと変わり、すんでのところで堪えた悲鳴と一緒に鼻から抜ける。
それは!
探していた黒歴史!
ここで会ったが百年目!
木造の額縁、スミレの花待ち得たる今日の対面、いざ尋常に着火! 燃焼!