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第12話 何もない部屋

 血液が心臓に集まりすぎて、顔面の血色が失われていたらしい。


 固まるウルスラに気がついたハンナが、ハッと顔を上げて「言葉足らずで申し訳ございません!」と頭を下げた。


 「こちらは、これから奥様が、奥様ご自身の手で奥様好みの内装を作る、奥様のためのお部屋でございます。ですので、こういった簡素な……というか、何もないお部屋になっております」


 ハンナはウルスラが何もない部屋に傷ついたと思ったようだった。

 「旦那様が……」と、ウルスラを労わるような声音で続けた。


 「奥様の自室は、奥様の好みで全てを決めてもらいたいのだと……」


 全部ウルスラが好きなものを置きたい位置において、いちから〝自分の部屋〟を作ってほしい。

 レナードはそう言って、ウルスラの自室にすると決めた部屋を、あえて何もない空っぽの状態にしたのだという。


 いつウルスラがこの部屋にきて内装の構想を練っても快適に過ごせるように、暖炉の火だけは絶やすなと命じられたのだとハンナは微笑んだ。


 「先ほどご案内いたしましたご夫婦の寝室は、旦那様が方々に手を尽くして奥様の好みを調べて買い求めたもので整えたお部屋でございます。もしも奥様が気に入らないようであれば、全て買い替えると言っておりました」


 いかがでしたか? と優しく尋ねられて、ウルスラは旅装を解いた部屋の内装を思い出す。


 実家のウルスラの部屋は――というより、ロイター家にある全てのものには、リヒャルトの好みが反映されていた。

 そのリヒャルトが派手好きだったから、ロイター家にあったウルスラの部屋は金に輝く家具が実に多い。


 たとえば金の枠組みに真っ赤なベロア張りのソファとか、戯れるニンフたちが彫刻された金の置時計とか、金の巻貝を模したドレッサーとか。


 金糸で刺繍された真っ黒な布団で寝起きして、真っ青な地に金彩を施したティーカップで紅茶を飲み、大豊作のブドウのようにクリスタルが鈴なりになったシャンデリアに照らされて書類を読む。

 部屋の天井には夕焼け空と沈む太陽の合間を飛ぶ、金の羽根の天使のフレスコ画。

 大理石でできた暖炉のマントルピースにも、金でできた女神がハートを抱きしめる彫刻がはめ込まれていた。


 ドレスも布地は原色か派手な色味で、季節関係なく露出の多いデザインだった。

 そしてそれに合わせるアクセサリーも大ぶりの宝石と金がそれぞれ主張し合って個性を潰しあうような、趣のないものが多かった。


 対してレナードの屋敷についてから案内された部屋は、落ち着いた色の家具と壁紙で整えられていた。


 家具の装飾で肌に引っかき傷を作ることもないし、原色同士のぶつかり合いに挟まれて視界がくらくらすることもない。

 着替えたドレスや装飾品は色味の薄いウルスラの目と髪の色を引き立てていたし、スカートの裾に散った白い小花模様の刺繍は歩くたびに視界に入っても穏やかだった。


 そう思って確かめるようにモスグリーンのスカートを見下ろせば、その先にある靴のつま先が先の尖ったポインテッドトゥではなく丸い形のラウンドトゥで、そういえばレナードと一緒に王都を出発してからこれまで一度も足が痛くなかったことに思い至る。


 「もしかしてアフタヌーンティーも……?」


 「はい。旦那様が厨房に指示しております」


 アフタヌーンティーのサンドイッチの具が、キュウリではなくハムとレタスとチーズだった。

 ティーサンドの絶対王者はキュウリである。社交に慣れるとともに平気な顔で食べられるようになったけれど、実はウルスラは小さな頃からキュウリが苦手だ。


 まだレナードがロイター家にいた頃、キュウリがいかに青臭く、飲み込みにくいものなのかを熱弁した覚えがある。

 それを覚えていてくれたのだろうか。


 ジャムはブルーベリーが一番好きだと言ったこと。

 砂糖をたくさん使った見栄えの良いスイーツよりも、じっくりと素材の香りを確かめながら味わえるような素朴な焼き菓子のほうが好きなこと。

 花の香りの紅茶はおいしいけれど、食べ物の匂いを妨げるほど強い花の香りはどうかと思うと言ったこと。


 ガーデンの花も香りのきつい花や派手なものは好みではなくて、花に埋もれるような庭よりも空がちゃんと見える庭が好きだと言ったこと。

 小鳥が餌をついばむ姿がかわいいくて本当は家で飼いたいのに、リヒャルトが動物を嫌いだからハトに近寄ることすら許されないと愚痴を言ったこと。


 レナードが隣にいて、なんでも話せる関係だったあの頃にウルスラが彼に言ったことの全てが、あのアフタヌーンティーには詰まっていた。


 「……」


 そしてこの空っぽの部屋に詰まっているものの正体に、ウルスラは気づいた。


 家具はない。カーテンも壁紙もない。照明も必要最低限。

 だけど暖炉の火によって室内の空気は温かい。


 目に見えるもの、手に取れるものは何もないのに、目に見えないものや手に取れないもので満ちたこの部屋を、きっと優しさというのだろうと、ウルスラは思った。


 だから、もしかして――。と、ウルスラは首を傾げる。

 

 何もない部屋に満ちていたのは、何も持てなかったウルスラへの優しさだった。

 王都からの道中や、アフタヌーンティーにも気づかいと親切が満ちていた。

 だから彼が、ウルスラに何か……危害を、加えようとして娶ったわけではないのかもしれないと思った。


 むしろ、もしかして――レナードは、わたくしのことを好きなのかしら……?


 「だとしたら、カタリナ嬢は?」

 

 王都で流れた〝悲劇〟の噂は? なんだったのかしら?

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