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第10話 すぐにピンときた

 西の森の王であったバジリスクを、単独で倒したレナード。

 平民の家より大きな頭を気負いなく一刀両断したとわかる、グロテスクでありながら芸術的なまでに綺麗な切断面。


 あの切り口を見たウルスラは、レナードの強さを微塵も疑っていなかった。

 だからレナードのことを心配していなかったし、むしろ心配する方が失礼なのではないかとすら思っていた。


 リヒャルトの暴走ともいえる討伐令を受け取っても、面倒くさそうにため息をついただけだったレナード。バジリスクの幼体など数がいても歯牙にもかけない様子だった。

 淡々と剣の点検をしながら、「さっさと倒して帰ってきます」と言うレナードの強者感あふれる言葉には、思わず胸が熱くなってしまった。


 これぞ真の英雄であると。


 なのでカタリナをめぐるリヒャルトとの戦いはどうなったのかというほうが、レナードとバジリスクの幼体五体との戦いよりもよほど気がかりであった。


 恋した女性(カタリナ)の悲痛な訴えのために、レナードはリヒャルトという王族に牙をむくのか。


 ウルスラは恋のスパイスのために悪役令嬢として立ちはだかるべきだろうか?

 もう既婚者なのだから、悪役令嬢というよりも、ただの悪女? 悪役妻?


 リヒャルトとカタリナの恋物語では知らないうちに悪役にされていたので、恋のスパイス役として全くうまく立ち回れなかったし、そもそも立ち回る気も全くなかった。

 けれど今回は他でもないレナードの恋のためだ、きっちり悪役をこなしてみせようではないか。


 夫は渡さないわ! とレナードの腕に絡みついてカタリナへ宣戦布告するのはどうだろう。


 ……夫。

 自分がレナードのことをそう呼んで腕を組む姿を想像したら、頬が熱くなった。


 レナードは嫌がるかもしれないが、カタリナには効くのではないかしら?


 ハンナに背中をさすられながらそんなことを考えていたら、いつの間にかレナードの屋敷についていた。

 元グレーネマイヤー子爵も使用していた由緒ある建物だが、中で働く使用人たちはみな、バウアー伯爵家で同僚だったレナードを慕って伯爵邸からついてきた使用人ばかりだと道中にハンナから聞いた。


 実家のロイター家から誰も連れてこれなかったウルスラとは、大違いの慕われ方である。


 ロイター家の懐事情では別の貴族家から侍女を雇うのは難しく、家の侍女をしてくれていたのは親戚の女性たちだった。

 彼女たちはウルスラとリヒャルトの結婚による良縁を狙っていたから、ウルスラの婚約が破棄されてすぐに撤退していった。


 親戚以外では、賃金の関係で身分の低い者を雇用することが多かった。

 けれど身分は低いが有能な使用人たちを選民思想が強いロイター家にとどめておくのは忍びなく、しかもいつリヒャルトの不興を買ってかつてのレナード親子のように家を追い出されるかわからない。


 だからウルスラは、そうした使用人にはそれとなく紹介状を渡して別家に行くように促がしていた。

 あの頃よりはウルスラの名前は他家にも通りが良いはずだから、良い就職先を見つけられたはずだ。


 そしてウルスラが売りに出されようとする頃にはロイター家に使用人を抱える体力はもはやなく、両親についていた数名の使用人たちを残して他の使用人の整理も終わっていた。

 だから、ウルスラの周りには誰もいなかった。


 おかげで自由に動けたので、修道院の院長から十分に話を聞けたのは幸いだった。

 ――レナードがウルスラを買ったので無駄になってしまったが。


 そうした事情で今ウルスラの世話をしてくれているのは、ハンナをはじめとしたグレーネマイヤー男爵家で雇われている使用人たちだ。


 王都を出発してからこの屋敷に到着するまで、ハンナたちはウルスラにとても優しかった。

 黒歴史を焚火に突っ込みたいウルスラとしては単独行動をしたかったけれど、細やかに世話を焼いてくれたハンナたちに感謝している。


 だけど全く頼りにならないリヒャルトを連れ、表で笑って裏で殴り合う社交界で長く奮闘していたウルスラには、そんな親切なハンナたち使用人のことも社交界流の目で見てしまう。


 今まではレナードが一緒にいた。

 途中で別れてしまったけれど、その時に「グレーネマイヤー領へ着くまで怪我のないよう、しっかりウルスラを見ていてくれ」とハンナたちへ強く念を押していたのをウルスラは知っている。


 レナードを慕ってグレーネマイヤー領へ着いてきたハンナたちが、そのレナードの頼みを無碍にするとは思えない。だから道中のウルスラへの親切は理解できる。レナードを裏切ることはないだろう。

 そういう信頼関係が結ばれているのを、彼らの間に感じた。


 それを踏まえたうえで、ウルスラにはレナードの言葉をただの親切心や真心から出たものなのだとは、信じられなかった。


 リヒャルトの書簡を手にしたウルスラを、レナードが今にも射殺しそうなほど暗い目で見ていたことに気づいていたからだ。


 両親や国王夫妻、王城勤めの貴族たちからリヒャルトの心を繋ぎ止めることを期待されていたように、ウルスラがリヒャルトを完璧に制御していたら、レナードは愛するカタリナを奪われることもなかった。

 レナードがそう考えて、その苛立ちをぶつけるためにウルスラを買ったのだとハンナが知ったら、彼女たちの態度だって変わるかもしれない。


 彼が別行動になるウルスラをよく見ていてくれとハンナに頼んだのは、ウルスラのした失敗をきちんと理解させるのは屋敷に帰ってからだと考えていたからかもしれないではないか。

 そのために道中は五体満足でいてほしかったのだとしたら?


 それほどにレナードの目は暗かった。

 新月の夜に月を必死で探しているような、そういう執着心と途方に暮れたような様子だった。


 狂愛とでも呼べそうなレナードのカタリナへのその情を想うと、ウルスラは元婚約者がやらかしたことへの申し訳なさを感じるとともに、胸がぎゅんと痛くなる。


 そしてグレーネマイヤー領の屋敷で働く使用人たちやハンナが、もしもカタリナとレナードの愛し合う二人を理想としていたとしたら。

 そのためにウルスラのことを〝いらないもの〟と感じたとしたら……。


 その扱いは、きっと、市井で人気の物語の登場人物への扱いと同じようなものになるのではないだろうか。


 つまり――〝わざわざその女性を指名して結婚しておきながら「お前を愛することはない」といって妻を犬小屋以下の部屋へ追いやり、以降顧みることがない貴族男性の意を汲んだ使用人たちが行うヒロインへの仕打ち〟だ。

 食事を抜かれるかもしれないし、屋敷の掃除をせよと命じられるかもしれない。


 最近よく見る大衆恋愛小説の王道パターンだ。頑張り屋さんのヒロインがとても健気で応援したくなる。

 ウルスラは、そういう雰囲気を醸し出す男女に城内で遭遇したことがあった。


 忘れもしない、それを見たのは王弟殿下から髪飾りをいただいた時だった。

 髪飾りといっても、たいしたものではない。殿下はリヒャルトの代わりに文書を読み込むウルスラを労い、目にかかりそうな前髪を留めるヘアピンをくれたのだ。


 つや消し加工がされたプラチナのピンに、青からピンクの色の移り変わりがかわいいバイカラーのトルマリンが一粒ついた落ち着いたデザインで、実用的なものだった。

 気に入って付けていたそれを突然リヒャルトがウルスラの前髪からむしり取り、執務室の窓から投げ捨てた。


 慌てて窓から下を見ると、最近結婚したという貴族女性と彼女の夫である男性が突然降ってきたヘアピンに驚いて上を見上げた瞬間と目が合った。

 男性の腕には、()()()()()()()()()と噂の女性がすがりついていて、その二人の前には彼の使用人が妻の前に壁のように立ちはだかっているという布陣。

 多勢に無勢で一人の女性をつるし上げるような状況。


 これはアレだと、ウルスラはすぐにピンときた。小説のやつ、と。

 落し物がピンだけに、とてつもなく鋭い痛みがピンと胸を走ったことを覚えている。


 トルマリンが外れて使い物にならなくなったヘアピンを回収してから、ウルスラはこの日のことを妄想ノートに書きつけたのだった。……健気な女性に幸多からんことを。


 ハンナたちがもしもウルスラのことを許せないと感じていたとしたら、物語のようにウルスラの世話を適当に手を抜くくらいはするかもしれないとも思う。人間とは感情で動く生き物だから。


 だとしたら、遠慮せず! と、ウルスラは心の中で胸を叩いた。


 婚約破棄後に両親が自分を売りに出すことはわかっていたから、修道院に入りたくて一通り自分のことは自分でできるようにしてきた。

 掃除も城中のメイドに学んだウルスラである。なんでもござれ。


 ちゃんとハンナたちに迷惑をかけないように過ごしてみせるわ!

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