十.追想 ~喜びをくれた花~ ―5
「あの子は優しいから、何も食べず、動けずにいたきみのことが、とても気がかりだったんだと思う。それに、ここにいる患者はみんな大人だからね。きみは今、確かまだ十六だろう? 他の患者と比べれば、きみはあの子から見て年が近いし、余計に気になったのかもしれないな」
彼は紅月に向き直ると、そういえば、と前置いて言った。
「先日、ここに来てくれたきみの先生と、少し話をしたよ。考え直すよう、きみによくよく伝えてくれと頼まれたが……絵のことは、僕からは何も言うことはできない。きみがこれからどうしたいかは、よく考えて、きみ自身が決めるべきことだからね。やっぱり描こうと再起するのもいいだろうし、あるいは金輪際、絵とは関わらない道を選んだっていいだろう。……まあ、あの子は、きみにはこれからも描いてほしいと思っているようだけどね」
「…………」
「きみに頼みがある。どうか、梔子と……あの子と、もう一度話してやってくれないか」
智行の言葉に、今度こそ言葉を失う。
もう二度と梔子に関わらないでくれ、というのならわかる。
それなのに、頼むから彼女と会って話してくれというのは、いったいどういうわけなのか。
……その夜は、なかなか眠ることができなかった。
夕方、智行が語っていたことが、頭から離れない。
――梔子が、紅月に会って謝りたいと言っていると。
(なぜだ……?)
あれだけひどい仕打ちを受けたというのに、なぜ彼女は、まだなお紅月と話そうとしてくれているのだろう。
思い出したのは、梔子が伝えてきた言葉だった。
『……本当は、今だって……、紅月さんは、絵のことを忘れてなんかいない。本当は、描きたいから……描くことを、あきらめられないから。だから紅月さんは、そんなにも苦しそうなのではありませんか――』
梔子は、とても控えめな少女だ。
おそらくは人見知りなのだろうし、他人に向かってたくさん話すことも得意ではないのだろう。
それでも梔子は、紅月のために、勇気を出して主張してくれた。
声を震わせ、目に涙を滲ませながらも、彼女は逃げずに、まっすぐに紅月に視線を向けていた――
……次第に紅月の内に兆したのは、自己嫌悪。
そして、それを上回るほどの羞恥だった。
自分はいったい何をやっているのだろうと、そう思った。
あんなに大人しく、弱々しく見えるのに。
つらくても苦しくても、梔子は懸命に行動しようとしていた。
それなのに紅月はどうだろう。
兄の死からずっと燻り続け、世をすねて、自暴自棄に過ごしてきた自分は……
「おはよう、紅月くん。一晩考えてみて、どうかな。僕が昨日、話したことは……」
その翌朝。
智行は再び紅月のところに顔を見せた。
もう一度、梔子と話すかどうか。
一晩考えて答えを出すよう、智行に頼まれていたからだ。
智行の問いに答える前に、紅月は自分の足を一瞥した。
まずは極限まで痩せ細った身体を回復させるのが先だと言われ、紅月はまだ歩行訓練すらしていなかった。
紅月はまだ、一人で歩けない。
移動するには、杖や車椅子が必要な状態だ。
だから、これから紅月が智行に頼もうとしていることは、おそらく受け入れられないだろう。
それでも、無理を承知で、紅月は言った。
「梔子と話す前に、お願いがあります。私に、外出の許可をいただけませんか」




