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八.ずっと貴女を愛していた ―8


しばらくの間、黙って互いを見つめ合う。

言葉だけでは、とても足りない。


ごく自然に、互いを求めるように手を重ね、握り合わせようとして――大きな咳払いの音が、寸前で梔子を我に返らせた。


はっとして見やれば、尚史は居たたまれなさそうに苦笑を浮かべ、こちらを見ている。


「あぁ……ええと。梔子さんに、篁くん……?」

「あ……」


ほんの一時だけでも尚史の存在を完全に忘れていたことに気づき、燃えるように顔が熱くなった。


尚史が咳払いで存在を主張してくれなければ。

きっとそのまま、梔子は流れるように紅月と抱きしめ合い、口づけまで交わしていたかもしれないのだから。


「も、申し訳ありませんっ」

「いや、すまないね。あまりにもきみ達の仲がよいようだから、思いがけずあてられてしまった。だが、そうして互いを想い合っているのはすばらしいことだよ。きみ達は夫婦なのだろう?」

「い、いえ。まだ……」


すると、尚史は眼鏡の奥で意外そうに瞬きをした。


「そうだったのかい? それだけ仲睦まじく過ごしているんだ。私も含めて、皆の目にはきみ達は新婚夫婦のように見えていたよ。とはいえ、近いうちに籍を入れることになるのだろう? 梔子さんがそれだけ幸せにしていると知ったなら、智行もきっと喜ぶはずだ。ぜひ、あいつのところにも顔を出してやってくれ」

「はい。ありがとうございました、先生。先生とお話できてよかったです」


梔子は立ち上がると、心を込め、尚史の前で深々と腰を折った。


尚史も立ち、握手を求めて手を差し出してくる。

すると、尚史は冗談めかした口調で言った。


「しかし、美しく成長した梔子さんが、まさか本当に篁くんと一緒になるとはね。生前に智行が恐れていたことが、ついに現実になったというわけか。いつだったか、智行が私に愚痴を零してきたんだよ。いずれ、いけ好かない絵描きに愛娘を奪われるかもしれないとね」

「え……?」

「智行先生が、そんなことを……。まあ確かに、先生にとって、私がさまざまな意味で手のかかる患者だったことに間違いはないが」


渋い表情を浮かべる紅月と、そして感慨深げに微笑む尚史を、梔子は戸惑いながら交互に見つめた。


「あ、あの……?」


かつての梔子と紅月が、すでに将来の約束をしていた関係だったとは聞いていた。


けれど尚史の言葉が本当なら、それを智行も知って、認めていたことになる。


それに……


(紅月さまが、手のかかる患者だったというのは……)


すると狼狽える梔子に気づいて、尚史が視線を向けてきた。


「おや、梔子さんは、昔の篁くんのこともあまり思い出していなかったのかな? ならば、後で篁くんに聞きなさい。彼がきみをどれほど愛しているか、きっとよくわかることだろう。ついでに、かつての彼の、今では考えられない態度の悪さもね」

「……先生」


苦い顔をした紅月を見て、尚史が「おっと」とわざとらしく肩をすくめる。


「さて、話はこれで終わりだ。梔子さん、あなたが……智行の娘御が無事だと知って、私はとても安心できたよ」

「え……?」


梔子が首を傾げると、尚史はどこか遠くを見るような眼差しをして言った。


「実は、智行が家族と出かけて事故に遭って、どうやら彼らの子どもだけが助かったようだと聞いた時から……あなたがどこへ行ってしまったのか、もうずっと気がかりでいたんだ。親戚に引き取られたと聞かされたが、智行の知り合いに聞いても、詳しくはわからないと言っていたし……。あいつが実は八條伯爵家の生まれで、あなたがずっとつらい思いをしてきたのだと知ったのは、本当に昨日今日の話なんだよ。……もっと早くにあなたの境遇を知っていれば、助けになれたかもしれないというのに。すまなかったね、梔子さん」

「……! いいえ、先生」


頭を下げてくる尚史に、梔子は慌てて言った。


「どうか、謝罪など、なさらないでください。私は、とても嬉しかったです。生前の父のことを知る方に会えたこと……先生が、ずっと気にかけてくださっていたことも……」


ずっと長い間、梔子はたったひとりぼっちなのだと思っていた。


梔子を気にかけてくれる人など、誰もいない。


皆から忌まれ、疎んじられながら、やがてひっそり命尽きる日を心待ちにして生きていくしかないのだと。


……けれど、違った。


本当は、梔子を愛してくれる人も、気にかけてくれる人も、この世には存在していたのだ。


それが、どんなに嬉しかったことか。


「……もう、いいんです。ずっと、苦しくて、悲しくて仕方なかったけれど、でも、私は今、紅月さまのおそばにいられて、とても、とても幸せなのです。今までのつらかったこと……気づくと、全部、忘れてしまっているくらいに」

「梔子……」


すぐそばから見つめてきた紅月に、梔子はほのかに微笑んだ。

すると彼も、ふっと頬を緩ませて優しく微笑み返してくれる。


「……そうか。梔子さん。あなたは、かけがえのない人に出会うことができたんだね」

「……はい」

「ならば、これからも、互いを大事にして生きていきなさい。きみ達の未来に、幸多からんことを。心から祈っているよ」



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