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八.ずっと貴女を愛していた ―7


「先生。先生は、父のことをご存じなのですか? 私は、今も……両親のことを、すべて思い出したわけではないのです」


梔子が思い出した両親の記憶は、断片的なものだ。

だから梔子は、父がどこに病院を開いていたかも、幼い頃に自分がどこに住んでいたかも、未だにわからないままでいる。


先生が、それを知っているのなら……。


梔子が望みを託して投げかけた問いに、尚史はしばらく経ってから、頷いた。

彼から返ってきたのは、思いがけない答えだった。


「……もちろんだ。知っているよ。葉室智行は、私にとっては弟弟子(おとうとでし)のようなものだ。私達は、同じ師のもとで医術を学んでいたのだから」




それから尚史は、知りうる限りのことを梔子に教えてくれた。


尚史と智行が先輩と後輩の関係であったこと。


互いに医者となり、違う町で働くようになってからも、たびたび連絡をとりあっていたこと……


とりわけ驚いたのは、梔子にとって、尚史と顔を合わせたのは昨日今日が初めてではなかったということだった。


「私は昔……先生に会っているのですか?」

「ああ。私には、私と同じで医者をやっている息子が一人いるんだが、昔、葉室がやっていた病院で世話になっていた。患者としてではなく、研修医としてだがね。その関係で、智行のところにはたまに顔を出していた。きみはずいぶん智行に懐いていたようだったよ。智行も、見ているこちらが微笑ましくなるくらい、きみを溺愛していたものだ」

「そう……だったのですか」


……父さま、と心の中で呼びかけずにはいられなかった。


父との記憶は、どれも温かく、優しさに満ちたものばかりだった。


父に会いたくて、母にせがんで何度も病院に連れていってもらったこと。

成長してからは毎日のように病院へ顔を出し、そのたびに父は喜んで梔子を迎えてくれたこと……。


「ところで、梔子さん。今はちょうど彼岸の時期だ。きみがこの町に来ていたのは、ご両親の墓参のためだったのかな」

「え……?」


尚史の言葉に、梔子は胸を突かれたような衝撃を受ける。

だって今、尚史は何と言ったか。


(父さまと母さまは、この町に眠っているの……?)


かつて両親と過ごした町。

父が開いていた病院が、いったいどこにあるのか。

それは、梔子にとって、ずっと知りたくてたまらなかった情報だった。


けれど八條家の誰かに聞こうとしたところで、兼時や鞠花といった面々が親切に教えてくれるはずもない。


だからずっと梔子は、その疑問をただ胸の奥底にしまっておくほかなかったのだ。


――やがて、梔子ははっと気づき、隣にいる紅月を見上げた。


(紅月さまは、このことを……)


尚史は梔子の反応を怪訝に思ったらしい。

紅月が梔子に何かを言おうとする前に、尚史が意外そうに言葉を続ける。


「……? その様子だと、梔子さん、きみは自分が過去にこの町に住んでいたことは思い出していなかったのかな? 智行の病院も、この町にあったのだが……」

「はい。でも……」


梔子は再び、紅月を見上げた。


……やっと、わかったのだ。

紅月が梔子を連れてこの町を訪れた理由を。


彼はむろん、知っていたのだ。

この町こそが、幼い頃、両親に愛されながら過ごした、梔子の故郷であったことを――


「紅月さまは……このために、私を旅へ連れ出してくださったのですね。私を、父と母に会わせるために」


問えば、紅月は頷いた。

彼は瞳に深い憂いを宿し、梔子に謝ってくる。


「梔子。ずっと黙っていて、すまなかった。もっと早く……智行先生と佳江さんのことを、貴女に伝えるべきだったね」

「いいえ。紅月さま、どうか……謝らないでください」


今までずっと、梔子の過去について、紅月が何も語らなかったこと。

それを彼に感謝こそすれ、責めるなど梔子にはありえない話だった。


(紅月さまは、私のために……これまでずっと、口を閉ざしていてくださった)


つらい記憶をむやみに思い出させて、梔子が苦しまないようにするため。


紅月とのかつての関係のこともそうだ。


過去の紅月のことを、まったく覚えていないこと。

そのことに梔子が罪の意識を持たないようにするため、彼は何も伝えず、梔子と新たに関係を結んでいこうと考えてくれていた。


すべては、梔子のためだったのだ。


それを思えば、紅月に伝えるべき言葉など、一つしか思いつかない。


「ありがとうございました、紅月さま。今までずっと、私のことを何よりも(おもんぱか)ってくださって」

「……梔子」

「あなたにこんなにも大事にしていただいて……私は本当に、幸せ者です」




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