八.ずっと貴女を愛していた ―3
「紅月さま。ごめんなさい。ご迷惑をおかけするかもしれないことは、承知の上です。それでも、どうか……お願いです。旅を、続けさせてほしいのです」
「――……!」
梔子の申し出に、紅月は面食らったようだった。
彼は見開いた目で、じっと梔子を見つめている。
けれどやがて、彼は首を横に振り、梔子の頼みに難色を示した。
「……だめだ。先生の話を聞いていなかったのかい? 無理に昔のことを思い出そうとすれば、貴女はまた苦痛に見舞われるかもしれない。自然に思い出すかもしれないのを待つんだ。私はもう、貴女が苦しむ姿は見たくない」
「紅月さま。私はどうしても、知りたいのです。いつまでも、何も知らないままではいたくない……。どうか、どうか、私のわがままをお許しいただけませんか」
「…………」
紅月は黙り込み、苦渋の表情を浮かべていた。
しばらくの間、考え込むように瞑目していたが、やはり考えは変わらなかったらしい。
再び目を開いた彼は、眉をしかめたままだった。
「……聞き分けてくれないか、梔子。たとえ貴女の望みだったとしても、私はやはり許すことなどできないよ。貴女の身に無理がかかるようなことなど――」
「知りたいと願うことは、いけないことなのですか?」
頑なな紅月に、梔子は思わず、彼の言葉を遮って尋ねていた。
わかっている。
これは、梔子のわがままだ。
梔子は今、こんなにも紅月を心配させている。
また同じように倒れるようなことがあれば、再び彼の手を煩わせてしまうことになるのだ。
……それでも。
立ち上がり、震えそうになる声を奮い立たせ、梔子は必死に訴えた。
「私は、知りたいのです。紅月さまのことを……。心からお慕いしている方のことをもっと知りたいと願うのは、そんなにもいけないことなのですか……!?」
「――……!」
目の前がちかちかする。
思いがけず大声を出してしまったせいで、梔子の息は乱れていた。
しんと沈黙の広がった部屋には、梔子の荒い息遣いだけがはあ、はあ、と響いている。
……やがて。
沈黙を破ることになったのは、もう堪えきれないというような、尚史の高らかな笑い声だった。
「あ、あの、先生……?」
「いやあ……、はは。いいものを見せてもらったよ。篁くん、きみの負けだ。まさか、これだけまっすぐに愛を語られたというのに、それでも彼女の頼みを無下にすることなんてできるわけがないだろう?」
そんな、笑い混じりの尚史の言葉に。
(私……。今、何を……?)
感情の高ぶりのまま、衝動的に口走ってしまった言葉を思い返し――
梔子の顔は、一瞬にして沸騰したように熱くなった。
「わ、わた、私……! い、いま、今何と……?」
「梔子さんは、篁くんのことを心から好いているのだろう? 愛した相手のことを知りたいと願って、いったい何が悪いのかと……。きみは一見、大人しく控えめなようでいて、意外と思いきりがいいんだね」
「…………!」
……私は、勢いに任せて、いったいなんてことを……!
慌てふためいたまま、梔子は紅月の方に向き直った。
とはいえ、彼の顔をまともに見ることなんてできるわけもない。
あまりにも恥ずかしすぎて。
「あ……あの。あの、あのっ! 紅月さま、い、今のは違うんです……あっ、いいえ! 違いません。決して違いませんけれど、本当のことですけれど、そうではなくて、あの……その、今のはっ」
「梔子さん。きみは少し、落ち着きなさい。さあ、座って。深呼吸をして」
「も、申し訳……、ありません……」
尚史に言われるがまま、何度か深呼吸をくり返す。
その間にも、じわじわと募ってきたのはどうしようもない自己嫌悪だった。
……いつか、梔子は紅月に伝えたいと思っていた。
大切に胸に抱いている、彼を想うこの気持ちを。
(私は、紅月さまのことを……)
けれどそれは、とても大事な告白だ。
梔子にとっても、きっと紅月にとっても。
だからこそ、きちんと心の準備をすませ、居住まいを正した上で伝えるべきだと、梔子はそう考えていたのに。
(私はいったい、何をやっているの……)
どうしてそんな大切なことを、あろうことか、自分のわがままを押し通すためだけに打ち明けてしまったのか。
……紅月さまは、どうお思いになっただろう。
彼からの反応は未だなかった。
呆れられたのかもしれない。
それとも、たびたび梔子をからかって楽しむ悪癖のある紅月のことだ。
もしかしたら、笑いを押し殺しているのかもしれない。
そんなことを、考えていたから。
なけなしの勇気を振り絞り、こわごわと紅月を見上げた、その瞬間、
「え――……?」
呼吸も忘れるくらいの衝撃が梔子を包んだ。




