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一.口無しと梔子 ―5


言わなくてはいけない、と。

頭の中ではわかっていた。


言わなくてはいけない。

誤解を解かなければならない。


くちなしが紅月の婚約者であること。

正式にこの屋敷に招かれた人間であることを、伝えなければならない、と。


けれど懸命になればなるほど、頭は真っ白になるばかりで、喘ぐように動かした口からは吐息混じりの言葉しか出てこなかった。


「あ……、ち、違っ……」

「違う? 何が違うのかね。お前の口はただの飾りか? 言いたいことがあるのならはっきりと言いたまえ」


うまく話せないでいるくちなしに余計に苛立ったのか、男の表情はさらに険を帯び、視線には侮蔑が滲み出した。


やがて彼は脇に控えていた使用人の男に目配せをすると、使用人は心得たとばかりに頷き、くちなしをその場から退けようと近づいてくる。


「さあ、とっとと失せろ、化け物。早く去らなければ、罰をくれてやるぞ」

「違……、待って……! 待って、ください……! わ、私はっ……」


からからになった喉から必死に声を絞り出す。


やがて、業を煮やした使用人がくちなしを叩きのめそうと手を振り上げ――


紅月の声が耳に飛び込んできたのは、くちなしがとっさに身を縮めて目を(つぶ)った、その瞬間のことだった。


「そこまでだ。今すぐにくちなしから離れてくれるかな」


ふわりと、微風を感じる。


こわごわと目を開き、顔を上げれば、すぐ眼前にあったのは紅月の背だった。


手首に、彼の手の温度を感じる。


紅月は後ろ手にくちなしの手首を握っていて、くちなしを庇うようにして使用人の前に立っていたのだった。


戸惑いを示したのは使用人ばかりではなかった。

くちなしの排除を命じた男もまた、目を見開いて驚いている。


それまでの苛立ちが一転、激しく戸惑いながら、男は紅月に視線を向けた。


「……紅月。いったいどういうことなんだ。説明したまえ。その娘のことを、くちなしと……まさかその世にも醜い娘が、きみが昔から話していたあの少女だとでも――」

「黙れ、静貴(しずき)。もしまた彼女に無礼を働くというのなら、たとえお前でも許さない」


低い、低い声。

紅月の背から伝わってくるのは、純然たる怒りだった。


そのあまりの剣幕に圧されたか、静貴と呼ばれた男は口を閉ざす。


木の間から吹く風の音がいやに大きく聞こえるほどの、沈黙。


しばらく経って、張り詰めた空気を破ったのは、深い深いため息だった。


静貴はこめかみを指先で押さえながら頭を振ると、咳払いをし、苦々しさの滲む声で言った。


「……すまなかったよ、紅月。きみの怒りはもっともだ。先の依頼の件できみに用があってきたのだが、さほど急ぎというわけでもない。また別の時に出直させてもらうことにするよ」



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