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六.ここにいたい ―8


冷たい雨を浴びたことが、弱っていた梔子の身体に影響を与えないわけはなかった。

その晩、梔子はここ数日で一番高い熱を出した。


「…………っ、……けほっ……っ」

「大丈夫かい、梔子」


身体が重くて、苦しくて、梔子は夜中になっても少しも寝つくことができなかった。


ほんのつかの間、まどろむことができても、呼吸が苦しくなったり頭が割れるように痛んだりして目を覚ます。


そのたびに、梔子が落ち着くまで紅月は背をさすってくれていたのだった。

梔子の額に手を当てた途端、紅月は顔をしかめる。


「……さっきより熱い。そろそろ先生に言われた時間が経ったはずだから、また薬を飲んでいいはずだ。梔子、身体を起こすよ」

「…………。は、い……」


梔子に寄り添うと、紅月は背を支えて抱き起こしてくれた。

彼は梔子の手に、温かい湯呑みを握らせてくる。

湯呑みに入っているのは、粉薬を溶いた甘酒だ。

以前、苦みのせいで薬を吐き出してしまってからというもの、彼はいつも、粉薬を甘酒に溶いて梔子に飲ませてくれていた。


時間をかけ、どうにか甘酒を飲み終えると、ふいに目に飛びこんできたのは卓上にある時計だ。


――時刻は、夜中の三時半。


「……っ、……ご、めん、なさい」


紅月は常々、梔子に謝らないでほしいと言っていた。

それでも、こんな時間まで梔子のそばにいてくれて、寝ずの看病を続けている紅月を思えば、どうしたって彼に謝らずにはいられない。


「お願いです……。どうか、紅月さま……お部屋で、お休みになってください。わた、しは……もう、大丈夫ですから」


もう何度、こうして紅月に懇願したかわからない。

けれど彼は一切聞く耳を持とうとはしないのだった。


梔子の言葉を無視すると、紅月はもとのように、そっと梔子を布団の上に横たえる。


「水を持ってくるよ。すぐに戻ってくるから、安心していて」

「…………」


そう言って、紅月は手ぬぐいをかけた桶を持って梔子の部屋を出ていく。


もう梔子の看病はいいから、部屋で休んでほしい。

他ならぬ梔子が、彼にそう言ったばかりなのに。

一人になった途端、梔子を襲ったのは抗いがたいほど強烈な不安だった。


痛い。寒い。苦しい。


何枚も掛け布団をかけてもらっているのに震えが止まらず、布団に当たっている腰や背が軋むように痛くて、思わず涙が滲んでくる。


必死に苦痛に耐えて目をつぶっていると、やがて、氷のように冷えた梔子の手を紅月が握ってくれていた。

言葉どおりに、彼はすぐに戻ってきたのだ。


紅月がそばにいてくれる。

ただそれだけで不安が嘘のように薄れて、安心感からか身体まで一気に楽になるのを感じて、梔子は自分を責めずにはいられなかった。


(私は……いつからこんなに弱くなってしまったの……?)


紅月の手を煩わせたくない。

彼にはもう部屋で休んでいてほしい。

心からそう思うのに、いざ彼がいなくなればきっと、梔子は心細くて一睡もできなくなるだろう。


そんな自分が、どうしようもなく嫌で嫌で仕方なかった。


「……紅月さま」


胸が痛い。

引き絞られるように痛い。

それでも、言わなければならないと思った。


「……お願いが、ございます」


紅月は梔子が頭に敷いていた氷枕を取り替えようとしてくれていた。

そんな彼を見上げ、梔子は意を決して切り出す。


「私を、八條のお屋敷に……帰らせてください」

「梔子」


それまで心配そうにしていた紅月の表情が、一気に険しくなった。


けれど、もう決めたことなのだ。

だから、揺らいではいけない。


今にもわななきそうになる声を叱咤して、梔子は言葉を続けた。


「……私は、もう、これ以上……、あなたのご迷惑には、なりたくありません」

「梔子。もう黙って」


紅月から返ってきたのは、固く厳しい声だった。

容赦のない彼の態度に、怯みそうになる。


けれどそれでも、ここで決意を曲げたくはなかった。

もう一度、同じことを繰り返す。

紅月が聞き入れてくれないのなら、彼が頷いてくれるまで何度でも頼むまでだ。


「私は……ここにいては、いけないのです。八條のお屋敷に、帰らなければ……。だから」

「だめだ」


断固とした声で、紅月は梔子の言葉を遮った。


「梔子。鞠花嬢の言葉になど耳を貸してはいけない。彼女は貴女を苦しめて、身勝手な愉悦に浸りたいだけだ。そんな人間がいると知って、八條へ帰るのを私が許すと思うのかい?」

「でも……っ!」

「梔子」

「――……!」


それは一瞬のことだった。

紅月はその一瞬の間に、横たわる梔子の顔の横に手をつき、梔子の上に覆いかぶさるようにして身を寄せてくる。


互いの息が吹きかかるほどに近く、眼前に迫った紅月の表情は、これまでに見たこともないくらいに真剣だった。


「貴女は私の妻だ。梔子」

「…………!」


つ、と紅月の指先が梔子の頬に触れた。

そのまま彼は輪郭をなぞるように頬の上に指先を滑らせ、最後に梔子の顎を捉える。


「私はこの先ずっと、貴女を誰にも譲るつもりはないよ。他の男にも、むろん、八條家にもだ。……貴女は、誰にも渡さない」




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