一.口無しと梔子 ―4
傷つきたくなければ、最初から何も望まなければいい。
身のほどをわきまえて、できる限り周囲の邪魔にならないように、じっと息をひそめて生きる。
それが、今までも、そしてこれからも、くちなしにとっての最善なのだ、と。
その考えがやはり正しかったことを思い知らされたのは、屋敷に着いてまもなくのことだった。
「着いたよ。ここが私の家だ」
そう告げられて、車窓の外に目を向ける。
木々に鳥のさえずりが響き渡る、緑溢れる庭園の向こう。
昼時の柔らかな光を浴びて建っていたのは、純和風の美しい屋敷だった。
黒く艶やかな屋根瓦に、染み一つない塗り壁。
大事に手入れされているのがわかる、落ち着いた佇まいの建物だ。
先に車を降りた紅月が、外から扉を開けてくちなしに手を差し出してくる。
「さて、申し訳ないが、くちなし。車を裏に駐めてくるから、ここで少しだけ待っていてもらえるかな」
くちなしを降ろすと、紅月は再び車に乗り込み、屋敷の裏手に通じるらしい小路へと進んでいった。
屋敷の門前にはくちなしが一人。
屋敷から使用人が現れる気配もなく、あたりは静まり返っている。
――紅月のものではない、別の車が近づいてくる音が聞こえたのは、それからまもなくのことだった。
(こっちへ、来る……?)
くちなしが気づいてからその車が門前にたどり着くまでは、あっという間の出来事だった。
あわてて周囲を見回してみるが、やはりあたりには誰もおらず、ただその場で狼狽えることしかできない。
やがて磨き抜かれた車の扉が開き、現れたのは身なりのよい男だった。
年の頃は紅月と同じくらいか、少し年上だろうか。
やや青みを帯びた黒髪に、怜悧そうな印象のある切れ長の双眸。
車を降りる時の何気ない振る舞いからも、彼が相当に高貴な身分にあることが一目でわかる。
男は門前にいたくちなしに気づくなり、不愉快そうに目を細め、冷ややかな声で言った。
「何だね、お前は。ここはお前のような怪しい娘がうろついていい場所ではない。どこの誰だかは知らないが、目障りだ。僕の前から即刻立ち去ってくれたまえ」
「…………っ」
掠れた呼吸が喉の奥でひゅっと音を立て、心臓がばくばくと激しく鼓動を繰り返す。




