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六.ここにいたい ―6


「お久しぶり。お邪魔するわね、口無し。お前ったらだめじゃない、うちを出てから便りの一つもよこさないなんて。そんなふうに相変わらず礼儀知らずだから、どうしているのか心配で来ちゃったのよ。ふふ、でも、心配して損しちゃった。そろそろ篁さまに呆れられてる頃かと思っていたけど、お前、ずいぶんと可愛がられているのねぇ」

「…………」


ぞっとして、声一つ出せなかった。

鞠花はにこにこと微笑みながら、部屋中を歩き回っていた。

紅月が梔子にくれた品々にべったりと触れ、持ち上げて、上から下まで品定めするように眺め回している。


「呆れた。どれもみんな高価で素晴らしい品ねえ。この箪笥(たんす)の中の着物も、お前なんかにはもったいないくらいみんな綺麗。だけどお前、まさかこの部屋にあるもの全部、遠慮一つしないで受け取ったんじゃないでしょうね? だったら身のほど知らずもいいところよ。お前、よく考えてもみなさいよ。自分にこんな贅沢な品がふさわしいと思う? たとえ篁さまが不愉快に思われたとしても、ご厚意をお断りするべきだったのに……。お前ったら、なんて傲慢なのかしら」


頭が真っ白になった。

手が冷えて、震えが止まらない。

喉がからからに渇いて、息一つまともにできなかった。


すると、梔子の怯えきった様子に興が乗ったのか、鞠花がにじり寄ってくる。

梔子は座り込んだまま、わずかに後ずさることしかできない。


「ねえお前、何か言うことないわけ?」

「……あ……」

「お前がそんなだから、八條家の評判がどんどん落ちていくの。ほら、ご覧なさい。お前が今、街でどう言われているかをね」


そう言って、鞠花は手に持っていた何かを放り投げた。

ばさっと音を立てて梔子の目の前に落ちたのは、一冊の雑誌だった。


表紙に書かれていた言葉に、胸を刃物で突き刺されたような衝撃を受ける。

雑誌が示していたのは、梔子が最も恐れていた事態だった。


『篁紅月が選んだ花嫁は、化け物と呼ばれていた女』

『不吉をもたらす化け物への求婚』

『印象悪化』


(嘘……)


喉を掠めていったのは、声にならない悲鳴だった。

もはや死人のように顔を青ざめさせた梔子の前で、鞠花は雑誌の(ページ)をこれ見よがしに開いてみせる。


「ほら、もっとよく見なさいよ。お前の愚かさが招いた事態を、よくよく目に焼きつけておくのね」


記事に書かれていたのは、紅月をせせら笑うような内容だった。


かつて彼が縁談を断った名のある富豪一家が怒りをあらわにしていること。

不吉な娘を嫁に迎えることで紅月が不幸にならないかと案じる声。

そして、


『篁紅月の過去 篁一家を惨殺した大罪人』


紅月を悪しざまに語り、侮辱する言葉がそこにはあった。

読みたくないのに、今すぐにでも目をそらしたいのに、記事の文章は否応もなく梔子の目に飛び込んでくる。


(紅月さまが……家族を、殺した……?)


記事によれば、紅月はかつて家族をひどく憎んでおり、その恨みから一家の殺害を(はか)ったらしい。


莫大(ばくだい)な遺産から金を払って警察を黙らせた紅月は外つ国へと逃亡。


それから十年。

彼は何食わぬ顔で帰国し、画家として大成したが、その血塗られた過去を知る者はほとんどいないと――


紅月は己の過去を語ろうとはしない。

けれど記事の内容が事実無根で、悪意ある嘘であることは梔子にもわかった。


それは、こんな荒唐無稽(こうとうむけい)な醜聞が出回るほどに、紅月が評判を落としていたということ。

そしてそれが、すべて梔子のせいだということだ。


他ならぬ梔子が、身の程をわきまえず、紅月のそばに居続けたせいで――


息ができない。

全身をがたがたと震わせ、梔子は正気を失いかけていた。


「あ……あ、あぁ……ぁ……っ」

「あはは、あはははは、あっはははははは!」


部屋中に鞠花の哄笑(こうしょう)が高らかに響き渡った。


「これでもうわかったでしょ!? ここにいても、お前は篁さまの厄介者にしかなれないの! それなのに、まさかお前、妻としてあの方のお役に立てるとでも思っていたの? あの方の最愛になって、いつまでも幸せに暮らせるとでも? ああ、おかしい! そんな馬鹿げたこと、あるわけないのに。傑作だわ!」

「…………」


もう、声を出すことすらできなかった。


(私は……化け物。紅月さまを……不幸にする……)


瞳から急速に光を失いつつある梔子に、しかし鞠花は容赦などしなかった。

追い打ちをかけるように、顔を覗き込んできて言い放つ。


「ねえ、お前。何をぼうっとしているの? 私に何か言うことは?」

「…………」


気づけば、身体が勝手に動いていた。

それは、もう何年も虐げられ続け、心をずたずたに傷つけられるうちに、心身に刻み込まれた動作。


梔子は鞠花の足元に這いつくばり、額をこすりつけて頭を下げた。


「……申し訳、ございま――」


けれど梔子の声は、鞠花の金切り声によって容赦なく遮られる。

無理やり胸ぐらを掴み上げられたかと思うと、鞠花が手を振り上げるのが見えた。


「謝ればすむと思っているんじゃないわよ、この口無し!」

「…………っ……!」


ぱんっ、と。

乾いた音がした。

頬に火のついたような痛みが走る。

その瞬間。


(あ……)


虚ろになりかけていた梔子の瞳に、うっすらと光が灯りかける。


……ああ、そうだ。


ほんの少し前なら、こんなものは大したことのない痛みだった。

兼時に、弥生子に、鞠花に、他の使用人達に、何度も何度も、日常的に打ち据えられていたのだから。


なのに、今。


(……いた、い)


打たれた頬は熱を持ち、じんじんと(うず)くように痛む。


痛い。

痛い。

痛くて痛くて、たまらなかった。

目の縁に、じわりと熱い涙が滲んだ。


「……、……っ……」


もう梔子は、八條家にいた頃の、誰かからの優しさやいたわりを知らない梔子ではなかった。

いつの間にか梔子は、愛され、大切にされることに慣れきっていたのだ。

そのことに、この上もないほどに気づかされた。


やがて鞠花は、頰を押さえてうなだれる梔子に、吐き捨てるように命じてくる。


「お前、自分のすべきことはわかっているわよね。これ以上ご迷惑をおかけして篁さまやうちの名を(おとし)める前に、あの方には離縁を申し出なさい」



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