五.Ma chérie ―15
そこに書かれていたのは、八條家が梔子にしてきたことを強く非難する内容だった。
長年に渡って、ろくに食事も与えず、梔子を朝から晩まで働かせて虐げてきたこと。
少しでも仕事が遅ければ、痣だらけになるまで身体をぶったり、木に縛りつけたりして、ひどい罰を与えていたこと。
八條家の家族や使用人全員が、残酷な虐使に加担していたこと……。
そのすべてが、つまびらかに記事に書かれてしまっていたのだ。
なぜ八條家の内情が漏れたのかはわからなかった。
もしかしたら、過去にやめていった使用人の誰かが記者に情報を売ったのかもしれない。
金が目的か。
あるいは、本当は梔子をずっと哀れに思っていて、八條家を糾弾するために見聞きしたことすべてを語ることに決めたのか――
いずれにせよ、もともと没落の危機にあった八條家が今、さらなる窮地に追いやられたことは事実だった。
「お父さま……お母さまの仰るとおりだわ。今すぐ雑誌社に抗議するべきよ。だって私達、そもそもそんなに悪いことをしたかしら? 仕事のできない子に罰をくれるのは当然のことでしょ? そんなのどこの家だってやっていることだわ。あの口無しはとりわけ愚図だったから、少し厳しくしてやってたってだけで……。なのにこの記事では、私達のことを、まるで血も涙もない鬼みたいに」
鞠花の言葉は、それ以上続かなかった。
続けられなかったのだ。
重々しい声で、兼時が告げた。
「……先刻、最上くんから、此度の鞠花との縁談は白紙にしてくれと連絡があった」
「なっ……!」
最上伊佐治。
鞠花が婚姻を結ぶはずだった男の名だ。
没落の危機にある八條家にとっての、唯一の救い。
下心が垣間見える、ねっとりとした視線を鞠花に向けてきた男――
伊佐治との縁談話がなくなったとなれば、どうなるか。
八條家の評判は今、地に落ちている。
そんな家の娘と結婚したいと考える男など、どこにもいるはずがない。
いくら鞠花が幼い頃から、飛び抜けた美人として評判の娘だったとしても――
「……この家は、もうおしまいだ」
「……あなた!」
ついに感情を抑えきれなくなったのか。
それまでわなわなと身体を震わせていた弥生子が、ばっと袖を翻して兼時の胸にしがみついた。
目を血走らせ、半狂乱になって弥生子はわめく。
「そんなこと、絶対にありえませんわ! だって私達は、八條なんですのよ! もう何十年、何百年も脈々と続いてきたこの家がおしまいだなんて、あなた、どうしてそんな不吉なことを軽々しく口にできるんですの!? 不吉……ああ、不吉よ、不吉だわ! あの穢らわしい口無しが、この家に厄を運び込んだのよ! 忌々しい……! それもこれも、あなたがあの薄汚い小娘をこの家に引き入れたからだわ! あんな小娘、どこかで野垂れ死にさせておけばよかったのに!」
錯乱する母を、ただ押し黙っている父を、鞠花は呆然と眺めていた。
……口無し。
母の口からその名を聞いて、またしても黒々とした怒りが込み上げてくる。
(私達が、こんな屈辱的な目に遭っているのに……!)
八條家が危機に陥ったのは、鞠花達が窮地に追いやられたのは、全部あの山姥のせいだ。
八條家に世話になっておいて、その恩を仇で返した。
しかもすべての元凶である梔子は、八條家の危機など知らず、今頃はのうのうと篁紅月のところにいるのだ。
誰もが憧れる彼から溢れんばかりの愛を注がれ、ぬくぬくと甘やかされて……
「……許せない」
あの口無しは、篁紅月にふさわしくない。
あんな恩知らずで卑しい娘が紅月の最愛だなんて、どう考えても間違っている――
父の書斎を辞して部屋に戻ると、すぐに鞠花が向かったのは鏡台の前だった。
朝から雨が降っていた。
普段ならこんな日に出かけようなどとは思わないが、今は雨など少しも気にならなかった。
化粧をし、髪をまとめ、外出用の着物に着替える。
「……っふふ……」
紅を引いた唇から、思わず笑い声が零れ出た。
「……口無し。お前に幸せだなんて、似合わないわ。お前は一生、誰からも愛されない、みじめな小娘のままでいいのよ」
外に出ると、あたりは灰色の雨霧が立ち込めていた。
降りしきる雨の中、鞠花を乗せた馬車はゆっくりと走り出していった――




