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五.Ma chérie ―8


          *


リリアーヌに連れられて、梔子はもと来た道を歩いていた。

二階の廊下を通って階段へ。

梔子の立てる靴音が聞こえて気づいたのか、階下で待っていた紅月が顔を上げるのが見えた。


「梔子……」


階段を降りる途中で紅月と視線が重なった途端、思わず目をそらしてしまった。


(なんだか、すごく恥ずかしい……!)


梔子はリリアーヌの手によって、自分でも驚くくらいに綺麗に着飾らせてもらった。

紅月にも早く見てもらいたい反面、緊張で胸がどきどきと高鳴っていたのだ。


紅月さまは、なんと(おっしゃ)るだろう……


けれどついに階段を降りきって紅月の前に立っても、彼からは何の言葉もなかった。


「あ、あの……紅月さま……?」


ぽかんとしている紅月をからかうように声をかけたのは、梔子の隣に立っているリリアーヌだ。


「紅月、あなたらしくないわ。そんなに呆然としているなんて。梔子が想像以上に綺麗だから見とれてしまった?」

「あ、ああ……」


そこでようやく紅月が反応した。

なぜか彼は眉をひそめ、ひどく困惑したような顔をしていたから、梔子は急に不安になってくる。


やっぱり、私がこんな格好をするなんて、おこがましかったのかもしれない。

そんなことを考えていた梔子にかけられたのは、普段の紅月からは想像もできない言葉だった。


「リリアーヌ。第三者である貴女に確認しておきたいんだが……私は、今の梔子の隣を歩いて本当にいいものだろうか?」

「え……?」

「は……? 紅月、あなたいったい何を言っているの?」


梔子もリリアーヌと同じ気持ちだった。

なぜ彼がそんなことを言い出したのか、まったく理解できない。

紅月に負けず劣らず困惑しながら、リリアーヌが言った。


「どうしてそんなことを言うの、紅月。梔子はこんなに綺麗になったのよ。それこそ、帝都中の女の子みんなから憧れられてるあなたと一緒に歩いていたって、誰も梔子に嫉妬すらできないくらいに――」

「違う。逆だよ、リリアーヌ。私では梔子にふさわしくないのではないかと思ってしまったんだ。彼女はもともと美しいが、その上、さらに見違えてしまったから……」

「…………!」


紅月が、梔子にふさわしくないと思っている。

彼の告げた内容に、梔子はどうしたらいいかわからないくらいに戸惑った。


けれど一方で、リリアーヌは紅月の言い分に納得したらしい。

ああ、そういうこと、と頷いている。


「確かに、今の梔子は、きっとこの帝都でも一番ってくらいの美人さんだものね……」

「い、一……!?」


リリアーヌが口にしたありえない発言に、どんな反応をしたらいいかわからなくなる。


「……い、いえ! あの、全部……リリアーヌさんのおかげです。リリアーヌさんが私を綺麗にしてくださったから……」

「あら。謙遜しちゃだめよ、梔子。あなたはもとからとても綺麗だし、それに今のあなたって、本当にお伽噺の中から現れたお姫さまみたいなのよ。紅月は、覚悟しておいた方がいいかも。きっと今日は、帝都中の男性という男性みんなから恨まれることになるわ」

「はは……。そうだね、貴女の言うとおりだ。今のうちに覚悟しておこう」


紅月とまた目が合った。

彼はなぜか何かを憂うような表情をして、梔子を見つめていた。


「梔子。……もう、恐くはないのかい?」

(あ……)


その時ようやく、梔子は紅月の表情の理由を理解した。

紅月さまは、心配してくださっていたのだわ……

梔子はずっと、外に出て人々の視線に晒されることを恐れ続けていたのだ。

そんな梔子がこれから、髪を隠すことなく街中に出て行こうとしている。


――紅月はね、とっても優しくて素敵な人よ。巴里にいた頃からずっとそう。

紅月なら必ず、あなたを幸せにしてくれるわ。


梔子の髪を()きながら、リリアーヌがそう言っていたのを思い出した。


(紅月さまは、本当に、優しい人……)


そんな彼が、梔子を心配しないはずがなかった。


「……大丈夫です」


それは、気を遣ったわけでも、無理をしたわけでもなく、本心からの言葉だった。


「大丈夫だって、思えるんです。紅月さまが……あなたが、私のそばにいてくださるから」

「梔子――」


紅月は一瞬、驚いたような顔をした。

けれどやがて、心の底からほっとしたような微笑みを浮かべて、彼は言った。


「……ありがとう、梔子。貴女は、私を頼りにしてくれているんだね」

「え、あっ……!? あの、紅月さま……!?」


梔子の前に(ひざまず)くと、紅月は梔子の手を取った。

それから、手の甲にそっと口づけをくれる。


「――Ma chérie(私の愛する人)


ただただ、紅月を食い入るように見つめることしかできない梔子に、彼は言った。

それはまるで、誓いを立てるかのように。


「梔子。私が必ず、貴女を守るよ。もう二度と、貴女が何も恐れなくてすむように」




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