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五.Ma chérie ―6


          *


「できたわ、梔子。ほら見て。今のあなた、最高に素敵よ」


リリアーヌがそう告げ、すべての支度ができたことを告げると、梔子はぽかんとした表情で鏡に映る自分を見つめていた。


すると、リリアーヌには声が聞こえた。


耳で聞く声ではない。

頭の中に直接聞こえてくるような声だ。


リリアーヌはこんなふうに、近くに強い感情を持った人がいると、その人の心の声が聞こえてくることが昔からあったのだ。


――これが……私……?


それは梔子の心の声。

どうやら梔子は、鏡の中の自分が本当に自分だとは信じられないようだった。


(そうなるのも無理はないわね。梔子の今までのことを思ったら……)


庭先で梔子と初めて出会い、彼女と目を合わせた時。


リリアーヌの頭の中に流れ込んできたのは、梔子の持つ痛ましい記憶の断片だった。


梔子はもうずっと長い間、まわりから不当に虐げられ、蔑まれ続けてきた。


本当は花のように清らかな美しさの持ち主だったのに、梔子を妬んだ狡猾(こうかつ)な人間は、ぼろぼろになるまで徹底的に梔子を痛めつけたのだ。


梔子があんなに自信を失っているのは、お前は醜くて汚いのだと、毎日のようにひどい言葉を浴びせられ続けてきたせいだ。


……許せない、と思った。


リリアーヌが見たのは、それほどまでに残酷で、陰惨で、目をそむけたくなるような記憶だった。


『私は、醜いからっ……』


そう言って泣き出した梔子の姿は、痛々しくてとても見ていられなかった。


――どうか、もう、苦しまないでほしい。


あなたは本当は誰より美しいのだと知ってほしい。

だからリリアーヌは、梔子のために一肌脱ごうと、すぐさま行動を起こしたのだった。


――少しだけでいいから、わたしにあなたを貸してちょうだい。


リリアーヌがそう言ったのは、梔子にあの螺鈿の服を着て、帝都を歩いてもらうためだった。


もちろん、梔子一人で歩くわけではない。

紅月も一緒だ。

二人には、今流行りの言葉でいう、デートを楽しんでもらいたいと思ったのだ。


リリアーヌには確信があった。


(本当の梔子を見たら、帝都中のみんなが目を奪われるに違いないもの――あまりにも美しすぎて)


リリアーヌの母国の仏蘭西に梔子がいたのなら、彼女が市井に放っておかれるなどありえなかったはずだ。


客船や舞踏室でファッション・ショーが開かれるとなれば、モデルとして梔子は引っ張りだこになっただろう。


そして昨今、仏蘭西では映画が流行している。

きっと多くの映画監督が、梔子に自分の映画に出てもらえるよう、列を成したに違いない。


そのくらい、彼女の姿は美しいのだ。


(それなのに、梔子が山姥ですって……? 本当にありえないし、馬鹿げた話だわ。帝都の人達がこんなに見る目がないだなんて思わなかった)


だったら、その目を今すぐに覚まさせてやりたい。

リリアーヌは、本気だった。


とはいえ、梔子に無理強いはしたくない。

リリアーヌの考えを梔子に伝えると、彼女はやはりひどく不安そうな顔をした。


当たり前だ。

梔子は長い間、街中に出れば醜いと罵倒され、冷えた眼差しに晒され続けてきたのだ。

紅月が一緒にいてくれるとしても、心身に染み付いた恐怖が拭い切れるはずがない。


けれど梔子は、懸命に勇気を出そうとしていた。


今にも掠れてしまいそうな声だったけれど、彼女ははっきりと口にしたのだ。


『私は……このままでいたくないのです。外に、出られるようになりたい……。だから……どうか、よろしくお願いします』


――彼女は強い、とリリアーヌは思った。

あれだけつらく、(むご)く、心が打ち砕かれてもおかしくないような仕打ちを受けても、それでもなお、彼女は前を向こうとしているのだから。


梔子が選んだあの服は、まるではじめから梔子のためにあつらえたかのように、彼女の華奢な身体にぴったりと合った。


服を着てもらい、白銀の髪には花と真珠の飾りを散りばめる。


それから、顔にはうっすらと化粧を施した。


とはいえ、梔子の肌は瑞々しくなめらかで、深雪のように白かったから、おしろいはほとんど必要なかった。

頬と口にほんのりと紅をのせるだけで充分だ。


――ふと、リリアーヌは大切なものを忘れていることに気がついた。


「そうだったわ、梔子。これを」

「あ……」


梔子もはっとした顔をして、リリアーヌの手の中にあるものを――金色のロケットペンダントを見つめる。


梔子の首にロケットペンダントをかけると、彼女はほっと安堵した表情を浮かべた。


「大切な品なのね。特にこの、薔薇が一輪、彫り込まれたカメオ……。一度壊れてしまったようだけど、すごく丁寧に修理されてるわ」


作られてからだいぶ時が経ち、そして修繕の跡もあるためか、そのペンダントはかなり年季が入っているように見えた。


しかし古さを感じさせる見た目のおかげで、かえって上品かつ温かみのある品に感じられる。


「おそらく、ですけど……。これは、母さまの形見の品だと思うのです。だから、すごく大事なもので……」

「おそらく……?」


梔子の言い方が引っかかって、リリアーヌは思わず首を傾げた。

梔子も説明が必要だと思ったらしい。

少し逡巡を見せた後に、彼女は答えた。


「ごめんなさい。変な言い方をして。私……あまり、昔のことを覚えていないんです」

「覚えていない……? それは、どうして――」


その時だった。

リリアーヌの頭の中に、またしても何かの情景が流れ込んできたのは。


『父、さま……? 父さま、母さま……、嫌……嫌あぁぁぁっ――……!』


幼い梔子が瓦礫(がれき)の中にへたり込んで頭を抱え、慟哭(どうこく)している。

彼女の目の前には、瓦礫に押しつぶされ、変わり果てた姿となった男女の姿。


しばらくすると情景は変わり、病院のような場所になった。


『私は……。ここは、どこ……?』


ベッドに寝かされていた梔子は、不思議そうな顔であたりを見回す。


『……可哀想に。あの子、衝撃が大きすぎて記憶を全部なくしてしまったって……』

『無理もないわよ。目の前でいっぺんに親をなくしたっていうじゃないの……』


陰で囁いているのは、梔子の看病をする看護師達だ。


すると、病室に医者らしき白衣の男が入ってきて、梔子に何かを渡す。


それは、ロケットペンダントだった。

表面には薔薇のカメオが嵌め込まれている。


『いいかい? きみはこの病院の外に倒れていたんだ。その時、このペンダントがきみの近くに落ちていた。きっときみの持ち物なのだと思う』


医者は梔子が事故のことを思い出さないように、嘘を交じえながらそう話した。

梔子は、やはり不思議そうな顔でペンダントを受け取る。



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