五.Ma chérie ―4
「私ではだめって、どうして?」
「私といても、きっと……つまらない思いを、させてしまいますから……」
がっかりされるのは、嫌だ。
失望されるのも、嫌だ。
そうやって傷つくことに、もう梔子は疲れ果てていた。
だったらはじめから、友達になんてならない方がいい。
……梔子に断られて、リリアーヌは嫌な思いをしたかもしれない。
そう思ったけれど、俯いていた梔子にかけられたのは優しい声だった。
「わかったわ、梔子。この話はまた今度にしましょう? 今は、服を見てもらわなくちゃ。ほら、来て!」
「えっ? あっ、リリアーヌさん――!?」
リリアーヌの顔には、またあの悪戯っぽい微笑みがあった。
彼女は梔子の両の手をぎゅっと握ってきたかと思うと、そのまま梔子の手を引いて駆け出す。
弾む足取りで階段を登り、廊下を走っていくリリアーヌを、梔子は追いかけるだけで精一杯だ。
やがて、二階の奥の部屋にたどり着く。
扉の向こうには、薄暗がりが広がっていた。
(この部屋は……)
ふわりと漂うのは、たくさんの布地から漂う、柔らかく清潔な香りだ。
「待っていてね。今、カーテンを開けるから――」
しゃっ、と音を立ててカーテンが開かれる。
目に飛び込んできた光景に、梔子はつかの間、息をするのすら忘れてしまった。
(すごい……)
圧倒されてしまった。
声一つ出ない。
ただただ呆けて、見開いた目で部屋を――部屋中に飾られた服の数々を見ていることしかできなかった。
赤や桃色、白や青。
夜会に招かれた令嬢達が着るような華麗なドレスや、レースやリボンをふんだんに散りばめた可愛らしい着物など、梔子が見たこともないような服が日の光を浴びてきらきらと輝いている。
そのさまはまるで、異国の花畑に足を踏み入れたかのようだった。
「どう? ここにあるの全部、わたしのお店で作った服なの」
そう言って梔子を振り返るリリアーヌの顔は、純粋な幼子のように得意げだ。
「す、すごいです……」
他に言葉が見つからない。
(リリアーヌさんは、こんなに綺麗で素敵な服を作れるのね……)
どの服も、思わず立ち止まって見とれてしまうくらいに美しい。
……こんな素敵な服を来て外を歩けたら、どんなに楽しいだろう。
色あざやかで華やかな服に囲まれていると、どうしようもなく胸がときめく。
けれど、胸のうちに明るい光が差していたのも、ほんのわずかな間だけだった。
「ここから気に入ったものを選んで、梔子。あなたは少し痩せすぎだから、もしかしたらしっくりこない服もあるかもしれないけれど、でもいくらでもお直しできるから大丈夫よ」
「……結構、です」
「え?」
眩しい、と思った。
この場所は、梔子にはあまりに眩しすぎる。
だって梔子は、もうずっと化け物だと、醜い娘だと言われ続けてきた。
――お前は醜いわ。
――お前がいると不快なのよ、口無し。私の前から消えてくれる?
(私は、ここにある服には、ふさわしくない……)
急に視界がぐにゃりと歪んだ。
ぽろりと零れてしまった雫が、頬を伝い落ちていく。
一度溢れ出した涙は、止めたくてももう堪えることができなかった。
「ごめんなさいっ……」
急に梔子が泣き出して、リリアーヌはきっと困っているだろう。
早く泣き止まなくてはと思うのに、そう必死になればなるほど、涙は余計に溢れ出してくる。
……これ以上、ここにはいられない。
リリアーヌにこれ以上迷惑をかけないためにも、部屋を出ていこうと踵を返した。
そんな梔子を、そっと抱きとめる腕があった。
「梔子」
(あ……)
ふわりと梔子を包むのは、白檀の香りだ。
紅月がいつも好んで服にまとわせている、異国を思わせる澄んだ香り。
「大丈夫だよ、梔子」
どうしてここに紅月が来てくれたのかはわからない。
――梔子。それが、この花の名だよ。
けれど、梔子の名の由来を教えてもらった、あの夜のように優しく背を撫でられると、また彼の腕の中で泣かずにはいられなかった。
(なんで……涙が止まらないの)
泣きたくないのにすぐに泣いて、周りを困らせてしまう。
そんな自分がたまらなく嫌だった。
紅月だって、もうとっくに梔子に呆れて、愛想を尽かしていいはずだ。
それなのに彼は、嗚咽する梔子の背を、大丈夫、大丈夫と言いながら何度もさすってくれる。
やがて暗闇の外から聞こえてきたのは、心配そうなリリアーヌの声だった。
「紅月……」
「すまないね、リリアーヌ。女性が服を選んでいる場に行くような無粋な真似はしたくなかったのだが、どうにも梔子のことが気にかかって来てしまった」
「そんなこと、紅月なら構わないわ。それより、梔子、急に泣き出してしまったの。わたし、知らないうちに、梔子を嫌な気分にさせるようなことを何かしてしまったのかと思って……」
「ち……違い、ます」
梔子は慌てて声を上げた。
嗚咽混じりの、震えて聞き苦しい声だ。
それでも、リリアーヌが梔子を泣かせたのではないことは、彼女にも紅月にもすぐに伝えなければいけないと思った。
「リリアーヌさんの、せいでは……ございません」
「なら、どうして……」
「私は、醜いからっ……」
そう告げた途端、また一気に涙が溢れ出す。
(もう、嫌)
紅月やリリアーヌに迷惑をかけて、困らせることしかできない。
そのことがたまらなく嫌だった
こんな私なんて、跡形もなく消えてなくなってしまったらいいのに。
……すぐそばからリリアーヌの声が聞こえたのは、そんな時のことだった。
「梔子」
泣き濡れた頬にそっと触れる手があった。
紅月の腕の中からこわごわと顔を上げれば、すぐ近くに真剣な表情をしたリリアーヌの顔がある。
梔子の頬に触れたまま、リリアーヌは言った。
それは先ほどまでの、どこかふんわりとした口調とは打って変わって、断固として譲らないとでもいうような話し方だった。
「あなたは、醜くなんかないわ」
「リリアーヌ……」
紅月の驚いた声が梔子の頭上に響く。
リリアーヌはいつも、夢見る少女のように天真爛漫で、朗らかな笑みを絶やさない女性だった。
そんな彼女がこんなにも真剣な一面を見せたことに紅月は驚いていたのだが、そうした事情を梔子は知る由もない。
「ねえ、梔子。わたし、あなたにお願いがあるの。聞いてくれる?」
「お願い、ですか……?」
「ええ、そうよ。あなたにもう二度と、自分のことを醜いだなんて言わせないようにしたいの。だから、お願い。少しだけでいいから、わたしにあなたの時間をちょうだい」




