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四.憎悪と蹂躙 ―3


……描いたのはどう考えても、梔子ではない。

だって、あまりに梔子の特徴をよくとらえている。


透き通るような髪と肌。

静かで(しと)やかな(たたず)まい。


何より表情だ。

少し眉尻の下がった、ひかえめで優しい微笑み方が、初めて鞠花の前に現れた時に梔子が浮かべていた表情と重なる。


だからこの絵は、梔子本人には描きえない。

梔子のことを、本当によく見ている人物が描いたものだ。


絵の出来は、対象への愛がどれほど深いかで決まるものだと、女学校の美術教師が授業の導入で語っていたのを、今さらながらに思い出す。


ならばこの絵の作者は、梔子にどれほど深い想いを抱き、心を込めて描いたのか――


『……して、ください』


足元からかすかな声が聞こえたのは、そのときのことだった。

見下ろせば、つい先ほどまでは虚ろだった梔子の瞳に、わずかに意思の光が宿っている。


『お願いいたします……。何でも……何でも、いたしますから。だから、どうか……どうか、その絵だけは……お返しください』

『ねえ、教えてくれない? この絵を描いたのは誰? お前の親? それとも他の誰か?』

『……っ』


梔子の訴えを聞き流し、畳みかけるように問いかける。

梔子はなぜか言葉を詰まらせた。


(何? 言えない誰かなわけ?)


鞠花はもう一度絵を見た。


描かれているのは、花に囲まれてほのかに微笑む梔子だ。

ともに描かれている八重咲きの白い花は、どう考えても梔子の花だろう。

梔子の名の由来になったであろう、初夏に甘やかな香りを放つ花。


……ふと、紙の端に何か文字が書きつけられていることに気がついた。

じっと目を凝らし、その流麗な筆跡をたどるように読んでいく。


そこに書いてあったのは、二年前の日付。

そして、


(喜びをくれた花)


その瞬間だった。


おそらくはこの絵の題なのであろうその文字列を、鞠花はただ、読んだだけ。

それなのに。

どういうわけか、胸の底で、黒々としたものがざわめくのを感じたのは。


父親ではない。母親でもない。

ならば、梔子に対して並々ならぬ想いを抱いている、この絵の描き手は――


荒縄で縛られ身動きの取れない梔子の目の前で、鞠花は絵を見せつけるようにしながら問いただす。


今や鞠花は、その答えを聞かずにいられない気持ちを抑えきれなくなっていた。


『答えてくれたら、返してあげるわ。さあ、早く言いなさい』

『…………。……存じ、上げません』

『は?』


やがて返ってきた答えに、鞠花は完全に虚をつかれる。


『知らない? ならなんでお前はこの絵を後生大事に持ち歩いているの? 親か、でなければ将来を誓い合った男が描いたのでもなければ、肌身離さず持つ意味がわからな――』


自分で口走った言葉に、自分自身が驚く。

そして、このいやに苛ついて落ち着かない気分の正体に合点がいった。


そうだ。

将来を誓い合った相手。

――梔子を心から愛する男。


当の梔子がそう認めたわけでもないのに、そんな事実があってほしくないと思うほど、妄想は黒雲のようにむくむくと膨れ上がっていく。


(口無しなんかに、こんな醜くて穢らわしい娘に、そんな相手がいるっていうの――!?)


やがて鞠花の唇から零れ出たのは笑い声だった。


『ふふ……、あっははは! お前なんかを愛する物好き、この世の中にいるのねえ! でも、なんてかわいそう。だってお前は何もかも、みーんな忘れちゃってるって言うんだから!』


びりびりと紙の破ける音が響いた。

呆然とする梔子の前で、二つに破った紙を執拗(しつよう)に細かく千切って捨てていく。


拾い集めた紙の一部を梔子の頭上からぱらぱらとばらまいて、鞠花はにっこりと微笑んで言った。


『はい。約束どおり、返してあげるわ。あーあ、庭にごみが散らかっちゃった。後で掃除して捨てておきなさいよね』

『…………』


梔子はもう何も言わず、表情一つ動かさなかった。

微動だにせず、ただ、闇夜の底のような空虚な目をして、夜風にさらわれていく紙屑を見ていた。


……ああ、気分がいい。

胸がすっとする。


目障りな娘をどん底まで突き落とし、絶望した顔を眺め下ろすのがこんなに愉快なことだなんて思わなかった。


こうして鞠花は、梔子からすべてを奪い、踏みにじってやったのだ。



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