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三.安らぎと決意 ―4


それから三日が過ぎた日の朝。


(これで……いいかしら)


梔子は自室の鏡台の前に座り、身支度を整えている最中だった。

訪問用の着物に身を包み、髪に(くし)を入れる。


「…………」


鏡に映った自分自身の姿に、つい見入ってしまう。


(前よりも……肌の色がよくなった気がする……?)


八條家にいた頃の毎日の食事は、使用人達が食事をとった後の残り物や、しなびて料理に使えなくなった葉物類がわずかにもらえればいい方だった。


それすらなくて、一日何も口にできないことだって珍しくなかったほどなのだ。


けれどここでは、温かな料理を三食きちんと食べることができた。

毎晩温かい湯を浴び、香りのよい石鹸を使って身体を洗うこともできる。


当然、それが梔子の見た目に影響を与えないわけがなかった。


痩せて青白かった肌はほのかに色づき、しっとりと瑞々しく。

あれほど荒れて生傷だらけだった手も、今や傷跡一つすら見出すことは難しい。

紅月が毎晩欠かすことなく薬を塗り、包帯を巻いてくれたからだ。


髪もまた、早朝の澄んだ日差しを浴び、濡れたように艶めいていた。

小花を連ねた髪飾りが、銀色の髪にあざやかに映えて――


(……銀色の、髪)


夏風が庭先から吹き寄せる。

その風を受けて髪の一房が揺れるのを目にした途端、梔子の表情は(かげ)りを帯びた。


このひと月で、梔子の姿はだいぶ見られるものになった。

けれどどうしても不安が拭いきれないのは、常人ならざる白銀の髪のせいだ。


――どんなに綺麗になれたとしても、私の髪の色はおかしい。


紅月は美しいと言ってくれた。


『梔子。貴女の髪はとても美しいよ。まるで月の光で紡いだかのようだ』


そう言って、梔子の髪の色や着物に合わせた色合いの髪飾りを贈ってくれた。


けれどどうしても、八條家で鞠花から浴びせられた言葉が胸に鋭く突き刺さっている。


――ああ気味が悪い。どうしてこの屋敷に山姥なんかが住んでいるのかしら。

――口無し。お前みたいな醜い化け物、うちでは仕方なく住まわせてやっていたのよ。まさかよそでも受け入れてもらえるなんて、思い上がらないことね。


「…………っ」


途端、不安と恐れで頭がいっぱいになる。

凍てついた水に浸したように指先が冷え、かたかたと震え出すのを抑えられない。


「梔子、支度はできたかい?」

「……っ! は、はいっ……紅月さま」


部屋の外から聞こえた声に、梔子は慌てて返事をする。

手荷物をまとめた小さな包みを持って、急いで部屋を出た。


……手が震えていることに、どうか気づかれませんように。


そう願ったけれど、紅月は普段から、ほんの些細(ささい)なことにも気がつく人だ。


彼の目をごまかすことなどできるはずもなく。


「……梔子」


紅月の眼差しが、梔子を案じるように細められた。


「昨晩も言ったけれど、無理はしなくていいんだ。貴女が静貴を恐れてしまうのは当たり前のことだよ。静貴はそれだけ失礼で心ないことを言ったのだから、貴女はそれを許す必要はない」

「…………」


少しでも気を緩めれば、優しくいたわりに満ちた彼の声に甘えてしまいそうになる。


けれど、心がぐらつきそうになるのを、梔子は必死に堪えた。


今日、梔子は紅月とともに、静貴の住む屋敷へと向かう。


目的はただ一つ。

ひと月前の振る舞いを、静貴に謝罪するためだ。




振り返れば、三日前――

梔子が静貴のもとへの訪問を願い出た時、紅月は怪訝そうに首を傾げていたものだった。


『静貴に……? それはまた急に、いったいどうして』

『直接、お詫び申し上げたいのです。初めてお会いした時……私は静貴さまに名乗ることもせず、ただ怯えるばかりでした。あの方が私を不審に思われたのは、当然のことです』


あの日、梔子がきちんと名乗り、誤解を解いてさえいれば、今頃は何のわだかまりもなかったのだ。

静貴に不快な思いをさせることだってなかったはず。


けれど紅月の表情は冴えなかった。

当の梔子よりもよほど不服だというように眉をしかめる。


『だが、そもそも静貴が無礼を働かなければこんなことにはならなかったんだ。謝罪というなら、あいつが貴女の方に出向くのが道理だと思うけれどね。それに……貴女は本当にもう大丈夫なのかい?』


そう言って、紅月は心配そうに梔子を見た。

その眼差しからは、彼が心から梔子を思いやってくれているのがわかる。


だからこそ、梔子は決めたのだ。


(……これ以上はもう、紅月さまにご迷惑も、ご心配もおかけしたくない)


梔子が屋敷に来る以前は、紅月は絵の題材を求めてたびたび外へ出かけていたという。

数日に渡って留守にすることもあったようだ。


それなのにこのひと月もの間、彼はほんの短い時間、仕事や買い物などで外出することはあっても、長い間梔子を置いて留守にすることはなかった。


なぜ、と彼に問うまでもない。


(私が外に出なくてすむように、気遣ってくださっていたから……)


屋敷の外に出れば、梔子は否応もなく人々の視線に晒されることになる。


ひそひそと噂され、不気味がられたことはこれまでにも何度もあった。

店に入ろうとすれば、山姥となじられて追い出されたことすらある。

虐げられ、髪も肌も荒れたみすぼらしい姿であれば、なおのことだっただろう。


……けれど、今は違う。


(髪の色以外は……前よりずっと普通になった。綺麗な着物だっていただいたわ。全部、紅月さまのおかげで……)


いつまでも屋敷の中に閉じこもり、紅月に頼りきりのままでいたくなかった。


本当は、とても恐い。

また静貴に冷ややかな眼差しを向けられたらと思うと、足が竦んでしまいそうになる。


それでも。


(このままは、嫌。少しでも、前に……進みたい。外に出られるようになりたい)


静貴のもとへと(おとな)うのは、その第一歩だ。

怖気づいてはいけない。

自分にそう言い聞かせ、梔子は頷いた。


『大丈夫、です。どうか、紅月さま……お願いいたします』


伏して願うと、まもなく紅月の声が頭上に聞こえてくる。


『頭を上げて、梔子』


梔子がそっと顔を上げると、紅月は小さく息をつきながらも微笑んで言った。


『わかったよ、梔子。だけど、気が変わったらいつでも言って。私としては、貴女が謝る必要はないと思っているからね』



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