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十七.婚礼の日 ―求婚― ―7


「静貴。確かに、お前が梔子と結婚すると聞いた時は、とても驚いたが……私はもともと、婚姻の邪魔をするためにあの場所へ行ったのではないよ。むしろ、私が出向いたのは祝福するためだった。梔子が幸せそうにしていたのを見て……私の役目は終わったのだと、あの時はそう思ったんだ」

「え……!?」

「な、何だと……?」


思いがけない紅月の告白に、静貴と同時に驚いた声を上げてしまう。


しかしすぐに、紅月は続けた。

少しだけ、言いにくそうに。


「これでも、私はお前を信頼しているんだ。お前になら、梔子を任せてもいいと思えた。……だが、彼女が、私が以前に贈ったペンダントをつけてくれていることに気づいて……」

「ああ、そうだったな。きみに気づいてもらうために、彼女はきみが贈ったペンダントを身に着けていたんだったか」

「それで……気づいたら、結局は、婚姻を邪魔するために乱入していた……というか。お前のにやけた顔を見ているうちに、何というか、ものすごくむかついて……」

「に、にやけた……? 僕はあの時、そんな顔などしていたつもりはないぞ」

「いいや。していた。彼女を見て、お前はだらしなく鼻の下を伸ばした顔をしていた」

「何を言うのだ、紅月! 僕はあの大芝居を打ちながら、きみが本当に現れるかどうか、内心気が気ではなかったのだ! 梔子さんがいくら美しいからといって、彼女にだらしなく見とれている余裕など、あるわけがなかろう!?」


いつのまにか、紅月も静貴もすっかりいつもの調子だ。

遠慮のない応酬を始めた二人に、思わず笑みが零れてしまう。


「……梔子さん。きみはいったい、なぜ笑っているのだね? 僕達の今の会話に、何か面白いところなどあったか?」

「いえ、あの、ごめんなさい。でも……聞いていたら、なんだかおかしくて」


やっと日常が戻ってきた。そう思えた。

遠慮のない二人の会話に、込み上げてきたのは温かな安堵だ。


……やがて、車は屋敷へとたどり着いて。


「さて。いつまでもきみ達の邪魔をしていてはいけないし、僕はもう帰らせてもらうよ。何か困るようなことがあれば連絡をくれたまえ」

「待て。静貴」


すぐに帰ろうとする静貴を呼び止めて、紅月が言った。


「今回のことは、本当にすまなかったと思っている。お前に、とてつもない迷惑と心配をかけた。謝罪ですむ話ではないだろうが」

「……謝罪など要らんよ。友が道を誤りそうになっている時、それを全力で止めようとするのは、至極当然のことではないかね。ただ、もし僕に対して恩義を感じるというのなら、これから死に物狂いで復活してみせたまえ」

「静貴。それは……」

「言っておくが、僕はあきらめていないぞ。画家・篁紅月はこんなところで終わるような小物ではないだろう? きみが今後どうするつもりかは知らんが、せいぜいあがいてみることだ。――期待している」


そう言って。

静貴は元気づけるように紅月の肩を叩くと、手を振りながら去っていった。


頭上に広がる、満天の空の下。

やっと、梔子は紅月と二人きりになる。

しばらくの間、言葉もなく、その場で二人、見つめ合う。

ここにこうしていられることが、途方もない奇跡のように梔子には思えた。


やがて、紅月がかすかに微笑み、声をかけてくる。


「……帰ろうか」

「はい」


この屋敷に帰ってくるのは、もう何日ぶりになるだろう。

気づいてみれば、まだ二月だ。


よくよく考えると、紅月と離れ、藤川邸で過ごしていたのはひと月に満たない期間にすぎない。


それなのに、あまりにも目まぐるしい日々を送り続けてきたせいか。

もう何年も、この屋敷には帰っていなかったような感覚だった。


……まずは、紅月に温まっていてもらわなければ。

紅月の部屋から綿入れ半纏(はんてん)を持ち出し、居間にいる彼のもとへ向かう。


「これを着ていてください。すぐに炬燵にも火を入れますから」

「梔子。貴女は今日一日、いろいろあって疲れているだろう? 何か私も……」

「だめです。少しはご自分のお身体のことを考えてください。何もしないで、ここでじっとしていなければだめです」


どう考えても、今の紅月は動いていいような状態ではない。

痩せ細った身体は芯まで冷え切り、身体中いたるところが生傷だらけだ。


(……後で、手当てもしないと)


そう思いながら強い口調で言うと、紅月は観念してくれたようだった。


「……ありがとう」


困ったように微笑みながらもそう言ってくれた彼に、梔子はやっと安心できた。


さっそく台所へ向かい、水を注いだ鉄瓶と豆炭を入れた火起こし器を火にかける。

湯が沸くと、さっそく湯たんぽを用意して紅月のところへ持っていった。

彼に湯たんぽを持たせた後はすぐに台所へ戻り、豆炭に火がつくのを待つ間に、急いで料理の下ごしらえを進めた。


少しでも早く紅月に食べてもらいたいから、手間暇をかけたものは作れない。

鍋に米と水を入れ、時おりへらでかき混ぜながら、(かゆ)になるのをじりじりとした思いで待ち続け……


(……できた)


白くなった豆炭を炭入れに移し、炬燵の中に入れた。


それから、でき上がった粥を紅月のもとへ運ぶ。

白菜と、細かく刻んだ大根に人参。

ここに帰ってくる途中、急ぎ買い求めた野菜も入れ、煮込んだ粥だ。


「お待たせしてしまってごめんなさい。これくらいしかすぐには作れなくて」


紅月は左手で匙を持つと、おぼつかないながらも粥を掬い、口に入れた。

その途端、彼はゆっくりと目を見開き……


「……!? ど、どうなさったのですか? もしかして、何かおかしな味でも」

「……違う。違うよ。そうじゃない。だめだな、私は……。近頃ずっと、貴女には格好の悪いところを見られてばかりだ」


粥を一口食べるなり、紅月はかすかに肩を震わせ、顔を伏せてしまった。

そんな彼にどうしたらいいのかわからず、梔子は慌てふためいて――



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