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十七.婚礼の日 ―求婚― ―4


           *


帝都でも有数の名門、藤川財閥の御曹司が、白銀のご令嬢こと八條(はちじょう)梔子との婚姻を発表した。


その婚礼の儀式が、大観衆の見守る中、帝都内の大公園で執り行われる――


婚姻の発表から儀礼の日までに、この衝撃的な知らせについて、いくつもの新聞がさかんに報じ続けていた。


昨年から広く名と姿が知られていた梔子の結婚。

そしてその儀式が、誰もが詰めかけることのできる公園で、しかも従来のしきたりではなく西洋式に(のっと)って執り行われると発表されては、大衆の耳目を引きつけないわけもなく――


式場となる公園は、厳寒にもかかわらず、当日の朝からすでに大勢の人々が詰めかけていた。


春になれば桜の花が舞う公園も、今は冬。


周囲の木々はうっすらと白雪を被り、風が吹けば、見える景色は散った小雪できらきらと銀色に輝いて見える。


人々が取り巻いているのは、公園の中央に広々と敷かれた絨毯の道だ。

道の周囲は、赤や桃色の布でこしらえられた華やかな造花が彩っており、式場には一足先に春が訪れたかのようだった。


長い絨毯の先には、これまた造花で飾り立てた祭壇や、鐘を吊るした台がある。


「すごいもんだねえ……。外の国じゃ、結婚するとなったら、こんなはいからなお式を開くのかい?」

「父さん、あれ、鐘だよね。あんな小さな鐘は何に使うの?」

「外国じゃ儀式の後に、あれを鳴らすらしいぞ。無事に結婚できたことをあれで皆に知らせるんだ」


式場にある何もかもが、人々の目には物珍しく映るらしい。

誰も彼もが寒さも忘れ、会話に打ち興じながら新郎新婦の到着を持っている。


――と。

その瞬間、ざわめいていた式場は水を打ったように静まり返った。


しかし静寂もつかの間のこと。

今度は打って変わって、わあっと大きな歓声が上がる。


「見て、花嫁さまだわ!」

「すごい……! あんなの、見たことないわ。なんて綺麗なの――」


人々の祝福の声に混じって聞こえてきたのは、楽団の音楽だ。

絨毯の上をゆっくりと歩いてくるのは、仲睦まじく腕を組んで歩く、二人の男女――


「…………」


婚礼衣装に身を包み、頬をほのかに染めて微笑む、白銀の髪の娘を。

盛り上がる群衆の中から見つめる、一人の男の姿があった。


みすぼらしい男だ。

その髪も肌も、まとう衣服も、何もかもが汚れている。

身体は痩せ細り、擦り切れた衣服から垣間見えるのは血の滲む生傷だ。


あまりに汚れ切った風貌のせいで、周囲の人々が男に向ける視線には、嘲笑と侮蔑の色が見て取れる。


けれどその男は、周囲からの視線など、まったく意に介することもなく。


……やがて、群衆がどよめき立つ。

前列に立つ人々が振る手の間に見えたのは、真っ白なドレスにレース飾りのついた外套を羽織り、ヴェールを被った花嫁の姿――


「……梔子」


男は――かつて、篁紅月と呼ばれていたその男が呟いたのは、今日の主役、ずっと遠い場所を歩く花嫁の名だった。


一瞬だけ見えた彼女は、微笑んでいた。

隣を歩く新郎と――静貴と視線を合わせ、幸せそうに。


花嫁の姿が見えたのは、一瞬だった。


けれど。


紅月には、それだけで。

そのたった一瞬だけで、充分だった。


全身の力が、一気に抜けていく。


……今度こそ、自分の役目は終わった。

彼女の笑顔が、それをこの上もなくはっきりと、紅月に教えてくれていたのだから。


(……そうか。貴女は、静貴と……)


これが。

彼女と出会ってから、気の遠くなるほどの長い年月をかけ、紅月がたどり着いた結末。


自然と零れ出るのは、祝福の笑みだ。


この世で最も愛する娘が、最も信頼する男と結ばれた。

何の文句を言う必要があるだろう。

最善の――これが、一点の曇りのない幸福な結末だ。


(よかった。本当に……本当に、よかった)


梔子と静貴が婚姻を結ぶ。

そう聞いて、紅月はこの場所で二人を待ち続けていた。

彼女が幸せになった姿を、この目に焼きつけるために。


その目的を、果たすことができたのだ。


……これで、やっと。

やっと紅月は、すべてを終わらせることができる。


彼女に伝えることのできない別れを、心の中で告げずにはいられなかった。


(……梔子。貴女の幸せを、私はずっと、祈っている。ありがとう。……さようなら)


すべてが、終わったのだ。

これでもう、心残りなんて一つもない。

他に望むことなど、もう何も――


――そのはず、だったのに。


「――ねえ、見て!」


花嫁が通り過ぎていった道に背を向け、式場を去るために(きびす)を返しかけた、その時。


歓声に混じり、紅月の耳に届いたのは、無邪気そのものの幼子の声だった。


「花嫁さまのペンダント、とても素敵! とっても素敵な、薔薇のペンダントなの!」




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