十六.別離、そして希望 ―11
そうして、梔子がやっと泣き止んだ頃。
場を仕切り直すようにして、静貴が切り出した。
「……さて、そういうわけだから、僕はあの稀代の大馬鹿の言いなりになるつもりは微塵もない。きみの後見人なども引き受けないよ。むろん、奴が見つかるまでは、以前のように藤川邸で過ごしてもらうつもりだが」
「でも、捜すって言っても、どうする気? 紅月が立ち寄りそうな場所は、昨日のうちに梔子がほとんど捜し尽くしちゃったわけでしょう? 私の力でも、紅月がどこへ行ったか、手がかりは見つからなかった……。手当たり次第に捜していたら、そのうちに紅月はどこかもっと遠くへ行ってしまうんじゃ……?」
リリアーヌが口にした懸念に、梔子も頷く。
昨晩、静貴とリリアーヌは梔子だけではなく、紅月のことも捜してくれていたらしかった。
けれど結局、紅月の行方を掴むことはできなかったという。
紅月の顔や姿は、あまりに帝都の人々に知られすぎている。
だから彼はおそらく、なるべく人々の目につかないようにしてどこかへ行方をくらました。
だからリリアーヌの力をもってしても行方を突き止めることはできなかったのだろうと、静貴もリリアーヌもそう結論づけていた。
今、彼がどこにいるか。
手がかりなど一つもない状況だ。
けれど。
(早く……紅月さまを見つけ出さなければ)
静貴は、紅月が何も持たずに出て行ったと話していたのだ。
年の暮れにあれだけの大怪我を負い、彼がやっと起き上がって過ごせるようになったのは、ほんの最近のことだ。
その上、連日続く、厳しい寒さ。
いつ体調を崩してしまってもおかしくはないのだから。
しかし。
「…………」
必ず紅月を見つけ出す。
先ほどは力強い口調でそう言い切った静貴が、ここまで来て見せたのは渋い表情だった。
「……それなのだ」
「え……?」
「それなのだ、問題は……。奴を、どうやって捜すか……僕にもまだ見当がついていない。ただやみくもに捜し出そうとしても、うまくいくとは思えんしな。僕らが捜していることを知られたら、奴には逃げられるだろうし」
「は、はぁっ……!? 静貴、これだけ梔子に期待させておいて、それはないわ……!」
リリアーヌが抗議の声を上げる一方で、梔子も頭を抱えた。
(静貴さまの仰るとおりだわ。どうやって、紅月さまのいらっしゃる場所を見つけ出せば……)
それに、と梔子は思う。
もし、奇跡的に紅月が見つかって、また会えたとしても。
(紅月さまのお考えが変わらなければ……、何も意味がない)
紅月は、自身が梔子の重荷になると、頑なにそう思い込んでいる。
描く力を失い、梔子の世話になるしかない自分がそばにいたのでは、梔子は幸せになることができないと。
……そんなことは、決してない。
紅月の存在がなければ、梔子の幸福などあり得ない。
たとえこの先どんな苦労があろうと、紅月のそばにいられるのなら、それだけで梔子は幸福だというのに。
だが、きっと。
どれだけ言葉を尽くして語りかけたとしても、彼の考えを変えることはできないのではないか。
そんな不安が、梔子の中からはどうしても消えていかなかったのだ。
すると、しばらくして、リリアーヌがおもむろに切り出した。
「……ねえ、二人とも。わたし、今、一つだけ思いついたことがあるわ」
「リリアーヌ。何かいい案があるのか? ならば聞かせてくれたまえ」
「わたし達は今まで、どうやって紅月を見つけるかって、そればかり考えていたけれど……そうではなくて。そもそもの考え方を変えてみればいいのよ」
「考え方を変える……? リリアーヌ、きみが何を言いたいのか、僕にはさっぱりわからんぞ」
静貴が怪訝そうに顔をしかめて言う。
梔子も同じ思いだった。
けれどすぐに、リリアーヌは悪戯っぽく微笑み、少し挑戦的に言い足す。
「あら、二人とも、わからない? 簡単な話よ。今までわたし達は、どうやって紅月を見つけ出すかって、そればかりを考えてきた。でもそれは時間がかかるし、現実的に考えてとても難しい……。なら、むしろ紅月の方から、梔子に近づいてきてもらえばいいのよ」
「それはつまり、奴をおびき出すということか? だが、どうやって……」
「二人とも。よく聞いて」
そこで、リリアーヌの表情は一気に真剣さを帯びる。
そうして彼女が語った考えに、梔子は思わず息をつめて聞き入った。
静貴もまた、仰天したらしい。
けれど、一時は期待に満ちた表情を浮かべた静貴だが、やがて苦々しい表情を浮かべて言う。
「リリアーヌ。あまりに大胆すぎるが……確かにそれは、名案だ。現時点で考えられる、最も有用な案だと思う。だがそれは、奴の性格を考えると……」
「ええ。荒療治もいいところだし、本当にやるなら、危険な賭けになるわね。それも、世間をも大きく巻き込んだ……。失敗すれば、何もかもが終わるわ。紅月は、本当に命を捨ててしまうかもしれない」
「最終的にはすべて、あの男次第というわけか……」
険しい表情で黙り込んだ静貴とリリアーヌに。
梔子は一度目を伏せ、それから心を決めて、はっきりと言い切った。
「……私、やります」
その途端、二人の視線が一気に梔子へと向けられた。
「え……?」
「梔子さん、きみは――」
「私は紅月さまを信じています。必ず、お考えを改めてくださると……。あきらめたくないのです。私はこれからも、あの方とともに生きていきたいから」
リリアーヌの言う通り、これは賭けだ。
それでも。
(私は……紅月さま。あなたを、絶対にあきらめない)
紅月と過ごしてきた日々を思う。
優しさもいたわりも知らず、たった一人、誰からも蔑まれて生きてきた梔子に、紅月は微笑みかけてくれた。
梔子の手を取り、いつでもそばにいて、光の差す温かな場所へ導いてくれた。
普通だったらとっくに挫けてしまうほどの数多の苦難を乗り越えて、彼は梔子を迎えに来てくれた――
ならば、今度は。
今度は、梔子が彼に手を差し伸べる番だ。
梔子の決意に、静貴とリリアーヌも覚悟を決めたらしい。
三人で顔を見合わせ、強く頷く。
「わかったわ。やりましょう、梔子、静貴。わたし達は……紅月を信じる」
「ああ。……必ずや、奴の目を覚まさせてやろう!」