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十六.別離、そして希望 ―8


「……琳也。その手紙、いつ、どこに捨てた?」

「え? たぶん……ええと、今朝一番ですね。そこの屑入れに……って、静貴さん、何やってるんですか!」


……なぜだか、とても嫌な予感がした。


矢も楯もたまらず屑入れをひっくり返すと、不要になった書類に混じって、折り曲げられた白い封筒が捨てられていたのを見つける。


静貴宛てに送られた手紙だ。

問題は、宛名やこの会社の住所がとても不安定な字で書かれていたことだった。


(確かに、いたずら書きのように見えなくもない。見えなくもない……が……)


封筒を裏返すと、そこに書いてあっただろう住所や氏名は、ぼやけてよく見えなくなっていた。


今朝は雪が降っていたから、雪に触れたか、あるいは配達人が濡れた地面に落としたかして、字が滲んでしまったのかもしれない。


だが、根気よく目を凝らせば、かろうじて住所の一部を読み取ることはできる。


……どうか、この凄まじい胸騒ぎが杞憂であってほしい。


そう願いながら封筒を開け、中に入っていた便箋に目を通した、その瞬間。


「…………。…………琳也」

「は、はいっ……!?」


音を立てて膨れ上がる溶岩のように込み上げてきたのは、これ以上ないほど増幅した怒りと呆れがないまぜになったような感情だった。


その感情を一番に向けたい相手は今どこにいるのかもわからず、したがって、そのはけ口はすぐ近くにいた琳也へと向かわざるを得ない。


どすの聞いた静貴の声に、琳也が上ずった声を上げるのが聞こえた。


「……僕は常々、きみに言っていたはずだな。届いた文書は、よくよく内容を吟味(ぎんみ)してから処理するようにと……!」

「は、は……はいぃっ……!」

「この、きみがいたずらだと断じた手紙……。この裏に書かれているのは、あの男が梔子さんと住んでいる家の住所ではないか!?」

「え……ええええぇぇぇぇっ!? ……な、なら、その手紙は、まさか紅月さんからの……」


仰天し、おろおろと視線を泳がせ始める琳也に、静貴は低い声で指摘を続ける。


「僕は、何かあった時のためにと、きみにも紅月の家の住所は教えていたはずだが……?」

「え、ええっ……? ええと、ええと……ええと、そ、そうでしたっけ……?」

「琳也……」


手紙をぐしゃりと握りつぶし、コートハンガーから外套と帽子を引ったくりながら、静貴は琳也にとどめの一言を言い放つ。


「よくよく覚えておくがいい。今年一年、きみの昇給も賞与も一切なしだ!!」

「えええええぇぇっ!? そ、そんなぁ、静貴さん……!」


琳也が悲痛な声を上げるのが聞こえたが、むろん構っている余裕など一切ない。


社長室を飛び出し、向かうのは駐車場。

社有車を置いている場所だ。


免許を持ってはいるものの、普段は使用人に運転させているため、静貴自身が運転することは少ない。


しかし、今は使用人を呼び出す時間すら惜しく、静貴が自分で運転することに何のためらいもなかった。


「…………っ、あの、大馬鹿め……!」


――一秒ですら、時が惜しい。

たった一人残されてしまった、梔子のもとへ。


ハンドルを握り、エンジンを勢いよくふかして向かうのは、紅月の屋敷だった。




……結局。

その場所に静貴がたどり着いたのは、もう深夜になる頃だった。


「はあ……はあ……。いったい、こんな林の奥にいったい何があるというのだ……。リリアーヌ、その……なんだ、茶々丸だったか? その犬の言葉とやらは、本当に合っているのだろうな……?」

「ええ。茶々丸だけじゃないわ。このあたりにいる動物達も、みんな同じことを言っていた。だから間違いない。この先に梔子がいるはずよ。さあ、もっと急いで、静貴」


そう言い、息も絶え絶えの静貴を先導して歩くのは、愛犬を伴い、いつになく険しい表情をしたリリアーヌだった。


彼女の背を追いかけながら、静貴はいったい今夜、何度目になるのか――心中で強烈な悪態をつかずにはいられない。


(紅月……後で覚えていたまえよ。リリアーヌがいなければ、この寒空の下……きみの大事な奥方は、たった一人でどうなっていたかわからないのだからな……!)



――それは、もう何時間も前のこと。

静貴が駆け込んだ時にはもう、紅月の屋敷は真っ暗で、梔子の姿はなく。

急ぎ近隣を捜してみても、彼女の行方はようとして知れなかった。


そうして、(わら)にもすがる思いで尋ねたのがリリアーヌの居所だ。


通称マダム・リリィ。

凄腕の仕立師で、現在この国で和裁を研究中の彼女だが、動植物や衣装と会話ができたり、一部の人間の強い思念を読めてしまったり、実はとても奇妙な力の持ち主であることを知る者は少ない。


事情を話すと、夜遅い時刻にもかかわらず、リリアーヌはすぐさま静貴に協力してくれた。


とはいえ、建物の陰で休んでいる鳥や路地を歩いている猫に話しかけている姿には、やはり度肝を抜かれずにはいられなかったが。


そうしてリリアーヌはついに、梔子が汽車に乗ってどこかへ向かったらしいことを突き止めたのだ。


『汽車だと……? それではもう打つ手がないではないか! ……いや、待て。確か……そうだ』


思い出したのは、昨年、紅月から聞いていた話だ。


記憶を失った梔子が、過去のことを知りたいと紅月に伝えてきたのだということ。

すべてを打ち明けるために、彼女の生まれ故郷の町まで旅をしたのだということ……


『梔子さんは、そこへ行ったのか……?』

『静貴? 何か、心当たりがあるの?』

『ああ。というか、もうそこしか思いつかない。リリアーヌ、もう少し付き合ってくれるかね?』


リリアーヌとともに夜汽車に飛び乗り、向かうのは帝都から一時間ほどのところにある港町。


梔子が向かったのが、この町でありますように。

祈るような思いで捜索を続け、ようやく今に至るのだった。


梔子を捜し、駅からいったいどれほどの距離を全力で走ってきたか。


リリアーヌによると、茶々丸の言うことには、この林の奥に梔子の気配を感じるらしい。


やがて、息を切らして走る静貴の前で、一気に視界が開ける。


「ここは……」


持っていたカンテラを掲げ、あたりを照らす。

奥に見えたのは、墓石だった。


そして、その手前。

うっすらと雪をかぶり、捜し続けていた娘はうつ伏せの状態で倒れていた。


「―――梔子さん!!」




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