二.優しさといたわりと ―5
そうして一日は、穏やかに、ゆっくりと過ぎていった。
自室に戻り、布団の上に腰を落ち着かせて、梔子はほうっと息をつく。
湯上がりの身体がぽかぽかと温かい。
こんなにゆっくりとお風呂に浸からせてもらったのは、両親が亡くなる前、子どもの頃以来のことだ。
(私がお風呂を焚くと、言ったのに……)
風呂を焚くのは大変な作業だ。
大量の水を運び、薪をくべて、湯加減や火の調子に気を配っていなければならない。
八條家で梔子が毎日のように担っていた仕事だった。
けれど紅月は自分がやるからと言って、梔子の申し出を拒んだ。
(……このままでは、いけないわ)
今の梔子は、紅月に頼りきりだ。
家の仕事を分けてもらえるよう、もっと彼に頼んでみなければ。
これからはいずれ夫婦になる者どうしとして、彼と過ごしていくのだから――
(……夫婦)
そう心の中で反芻したその時、視界の端にきらりと光るものが映った。
視線を上げれば、その先にあったのは鏡台だった。
鏡面には白く澄んだ月が映っている。
どうやら光と見えたものは、鏡に反射した月明かりだったらしい。
吸い寄せられるように、梔子は鏡台の前に座った。
「…………」
鏡には、不安げな表情をした梔子が映っている。
痩せすぎてこけた頬に、落ちくぼんだ眼窩。
山姥のような銀の髪。
誰がどう見たって、梔子は醜くて不気味な姿をしているだろう。
けれど。
――貴女の手は、美しい手だよ。
ふいに、昼間の紅月の声が思い出される。
(美しい手だと……言ってくれた)
言葉だけじゃない。
紅月は梔子に微笑みをくれた。
泣き崩れる梔子を抱きしめて、涙が尽きるまで慰めてくれた。
彼が惜しみなく与えてくれた優しさといたわりを思うと、また涙が零れそうになる。
……幸せになど、なれるはずがないと思っていた。
梔子は一生、まわりから嘲られ誹られて生きていくしかないのだと。
死の安らぎに焦がれながら、光の見えない日々を生きていくほかないのだと。
でも……
(私も……幸せになって、いいの?)
清潔な包帯に覆われた両手をきゅっと握りしめる。
希望を抱くのは、とても恐い。
裏切られ、傷つくようなことがあったらと思うと、どうしても恐いのだ。
それでも、私は……
(……信じたい。あの方を……紅月さまのことを……)
静かな決意を胸に秘めて、梔子は鏡の向こうの自分を見つめ返した。