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十四.ここにいて ―2


「紅月。いったい何があったのだ? きみ達は今夜、このあたりを歩いていたのだろう?」

「だから、さっき言っただろう。往来で刺された」

「それはもう知っている! いいか紅月、後生だから真面目に答えてくれ。僕が訊いているのは、誰に、なぜ刺されたのかということだ!」


苛立ちもあらわに問い直してくる静貴は、よほど紅月を心配してくれているようだった。


けれど、なぜ刺されたのかなど知るはずもない。

むしろ、紅月の方が教えてもらいたいくらいなのだから。


「……わからない」

「わからない? 刺してきた(やから)の顔は見ていないのかね」

「被り物で顔を隠していたからね。下手に騒げば梔子まで襲われるかもしれないと思ったから、追いかけることもできなかった」

「そうか……」


はあ……と深いため息をつくと、静貴は紅月の向かいに椅子を持ってきて腰掛けた。


「せめて心当たりはないのかね? 誰かに恨まれるような覚えは」

「恨みなら、大なり小なり、おそらく無数に買っているだろうね。私が知らないだけで」

「何!? それはどういうことなんだね、紅月」

「お前だってわかるだろう、静貴。絵画に限らず、芸術の道を志せば、どうしたって(ねた)みを避けては通れない。羨望はたやすく嫉妬になり代わり、自分が誰かの才を妬んでしまうこともあれば、逆に誰かに成功を妬まれることだってある。どれほど自分の生業を愛していようと、私達はいつでも純粋に理想を追求できるわけではないんだ。……そういうものだろう、芸術の世界というものは」

「ああ、そうだな。確かにな。だがね、だからと言って刺し殺そうとするなど、どう考えても常軌を逸しているだろう!?」


たった一年と少しで、無名だった紅月は一気に市井に知られる存在となった。


絵の世界で、紅月はまぎれもなく成功者だ。

だからこそ、知らず知らずのうちに苛烈な妬みを買っていたとしても不思議ではない。


しかし静貴は納得がいかないらしく、興奮が収まらないようだった。

静貴がわめくのを尻目に、紅月は考える。


(私を殺そうとした、か。……いや、待て。それにしては……)


妙に引っかかりを覚え、紅月は包帯越しに傷口に触れる。


むろん、刺された時は激痛が走った。

流れ出る血を見て、重傷を負ったのではないかと焦りに駆られた。


けれど、実際には傷は浅かった。

脇腹を切りつけられた程度のものだったからだ。


……冷静に考えれば考えるほど、紅月を刺してきた謎の人物に、殺意があったようには思えない。


金品や持ち物を奪われたわけでもないから、強盗が目的とも考えられなかった。


(ならば、いったい何が目的だったんだ……?)


思案に夢中になっていると、静貴が立ち上がって言った。


「……まあいい。とにかく、今晩、きみは梔子さんと一緒にここに泊まっていきたまえ。きみのその怪我では車の運転はできないだろうし、犯人はまだ近くをうろついているかもしれないのだからね」

「ありがとう。そうさせてもらえると助かる」

「警察には僕から通報しておこう。まったく、こんな年の暮れにとんでもない目に遭ったものだな。すぐに捕まるといいのだが……」


そう言って、静貴が再び深く息をついた、その時のことだった。


静貴と二人、同時に目を向けたのは部屋の扉だ。

外から、誰かのいるような物音がしたのだ。


「何だ。誰か外にいるのかね? ……いや、もしかして、そこにいるのは梔子さんか?」


どうやら、静貴の予想は当たっていたらしい。

扉の外から、彼女が息を呑む気配が伝わってきた。


控えめに扉を叩く音が聞こえてくる。

顔を出してきたのは、やはり梔子だった。


彼女は紅月を見た瞬間、目を見開き、もともと蒼白だった顔をさらに青ざめさせた。


それから紅月と静貴に交互に視線を向け、こわごわと尋ねてくる。


「あ、あの……」

「ああ、すまなかったね、梔子さん。紅月の怪我なら心配無用だ。さて、僕はきみ達二人が休む部屋を手配させてこよう。それまで、ここで紅月と話しているといい」


静貴はそうして部屋を出て行った。

静貴が去ると、部屋には一気に沈黙が広がっていく。


「梔子……」


紅月が名を呼ぶと、不安の糸が切れたのだろうか。

瞬く間に、梔子は瞳に大粒の涙を溢れさせた。


「紅月さま……!」


泣きながら駆け寄ってきた梔子を、腕の中に包むように抱きしめる。

震える彼女の背をそっとさすりながら、紅月は言った。


「梔子。すまない。たくさん、心配をかけたね……」


楽しく過ごすはずだった聖誕祭の夜を、こんな形で終えてしまった。


とにかく、早く梔子に安心してもらわなければ。

彼女が泣き止むまで抱きしめ合った後、紅月は医者から受けたのと同じ説明を彼女にも聞かせた。


「――だから、静貴もさっき言っていたけれど、心配は要らないんだ。一週間もすればほとんど治ってしまうほどの傷だから」

「本当、ですか……?」

「ああ。本当に、もう大丈夫だ」


そう言い切ると、やっと梔子は少しだけ安心してくれたようだった。

静貴が戻ってきたのは、ちょうどその頃のことだ。


「紅月。梔子さん。きみ達に使ってもらう部屋の準備ができた。もう真夜中だ。案内するから、そろそろ休みたまえ」




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