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十三.聖なる夜の誓い ―7


言葉が終わるより早く、正面からぎゅっと抱きすくめられる。

梔子も抱きしめ返した。

互いの身体が触れ合ったところから、じんわりと熱が広がっていく。


しばらく黙ったまま、そうして抱きしめ合っていたけれど。

やがて、紅月が心底残念そうな声で言った。


「……はあ。このまま、貴女を部屋まで連れて行って、一緒に寝られたらいいのに」

「…………!」


どきりと心臓が大きく跳ねる。

思わず身体をこわばらせてしまったから、紅月は梔子が怯えてしまったのではと思ったのかもしれない。


彼はすぐに、冗談めかしたように小さく言った。


「……なんてね」


何も言えずにいる梔子の背を、彼はあやすように撫でてくる。


「安心して。祝言が済むまでは、このままで我慢するつもりだ。それに、結婚した後だって、貴女が嫌なことをするつもりはないよ。昨日は、まあ……特別だ」


過去にあった出来事を知った上で改めて想いを確かめ合い、すでに夫婦のように日々を過ごしているけれど。


(……私と紅月さまは、まだ、結婚していない)


秋に旅を終えてからというもの、少しずつ祝言を挙げるための準備を進めていた。


式場として決めた神社にはたびたび足を運んで話を聞き、当日に着る花嫁衣装の打ち合わせも始まっている。


祝言は暖かくなってきた頃、来年の春を予定していた。

それまでは、これまで通り夜は別々の部屋で休もうと、彼はそう言っているのだ。


……でも。

紅月は、どれほど時をかけても返しきれないくらいの愛を、梔子にくれた。

そんな彼に、少しでも愛を返せるのなら。

喜んでもらえるのなら……


気づけば梔子は、自分でも思いがけないことを口にしていた。


「……私は……、私は、構いません」

「……え」


紅月がぽかんとした声を上げるのが聞こえた。

彼は抱きしめる腕の力を緩め、瞠目して梔子を見つめてくる。


今度こそ、恥ずかしさで卒倒してしまいそうだった。

それでも梔子は、ありったけの勇気を絞って必死に言い募った。


「眠る時も……あなたの、おそばに……。あなたに……抱いていただけるのでしたら、私は……っ」

「……待って。梔子」


ちゅ、と唇を塞がれた。

続けるはずだった言葉は彼の口づけによって絡め取られる。


「……んん、……」

「貴女はやっぱり、この頃どんどんいけない人になってきたね。困ったものだ。日に日に私を誘惑するのがうまくなって……」

「わ、私は……!」


冗談で言ったのだと思われたくない。


梔子は本気だった。

本気で、覚悟の上で、すべてを彼に捧げるつもりだったのだと、わかってほしくて再び声を出そうとする。


けれど、指先で唇に触れられて、梔子の言葉は止められてしまった。


「ありがとう、梔子。本当は、今夜にだって貴女と寝たいよ。貴女がほしくてたまらない。……だが、無事に祝言が済むまで、貴女の身体に負担がかかるようなことはしたくないんだ。それなのに一緒の部屋でなんて寝たら……おそらく、(たが)が外れそうになる。正直……いつまでも我慢していられる自信がない」

「紅月さま……」

「私に抱かれてもいいって……貴女の言葉が、嬉しかった」


こつん、と額と額が触れ合う。

梔子の手を握り、美しい顔に朱を昇らせて、彼は言った。


「祝言が済んで、私達が本当に夫婦になれたら……その時はもう、我慢しない。貴女がほしい。……貴女のすべてを、私にくれるかな」

「……はい」


答えなど、決まっていた。

紅月の手を握り返し、迷いなく頷いて言う。


「紅月さま。あなたにすべてを差し上げます。どうか、私のすべてを、奪ってください……」



……この時の梔子はまだ、信じていた。


これからもずっと、紅月のそばにいられる。

春になれば祝言を挙げ、身も心も彼と結ばれて、幸福な夫婦として生きていくことができると。


――そんな未来が、この冬のうちに、音を立てて崩れ去っていくとも知らずに。


          *


「あら、いらっしゃい梔子! それに紅月も……あなた達が来てくれるなんて嬉しいわ」


数日後。

梔子は紅月とともにリリアーヌの店を訪れていた。


リリアーヌの店に来るのは、美しく着飾らせてもらったあの夏の日以来のことだった。


本当は、もっと早くリリアーヌにお礼を言いに来たかった。

けれどあれから風邪で寝込んだり、慌ただしく過ごしたりしているうちに、なかなかリリアーヌのところへ顔を出せずにいたのだ。


「お久しぶりです。リリアーヌさん」

「ふふ、梔子。あなた、夏に会った時よりずっと幸せそう。紅月とわかり合えたのね。……でも、やっぱり、わたしのことは『リリアーヌさん』なのかしら」

「あ……」


少し寂しそうに微笑まれて、思い出したのはかつてリリアーヌと交わしていた会話だ。


――わたしと紅月はもうずっと前から友達だもの。それならもちろん、紅月の大切な人……あなただってわたしの友達でしょう? だから、呼び捨て。あと、できたら敬語も使わないでほしいわ。だめ?


……あの時は、自信がなかった。


リリアーヌをがっかりさせるのが嫌だ。


がっかりさせて、やっぱり自分は他人につまらない思いをさせることしかできないのだと、そう思い知らされるのが嫌だった。


けれど、今なら。


「……リィ」

「え?」

「………リリィ」


勇気を出して、リリアーヌを呼ぶ。

けれど、リリアーヌと紅月が呆けたように梔子を見つめてくる、その眼差しに耐えきれなくて。


「……さん」

「あら」


結局は呼び捨てにしきれなかった梔子に、リリアーヌはがくっとずっこけるような仕草を見せた。

彼女の期待に応えられると思ったのに、結局は何も変えられなくて、つい謝罪の言葉が口をついて出てしまう。


「ごめんなさい……」

「ふふ、いいのよ。わたしのために頑張ってくれたのね。嬉しいわ」


ひととおり挨拶が済んだところで、紅月が切り出す。


「リリアーヌ。それで、彼女のことなんだが」

「ええ。ゆっくりしていって。ちょうどわたしも梔子とお話ししたいと思っていたのよ」


今日一日、梔子は紅月と帝都の街中を歩いて過ごす予定だった。


久しぶりのデートの日だ。


ただ、紅月は仕事に関して依頼人との打ち合わせに出なければならないらしく、それは一、二時間ほどかかるのだという。


その間、梔子はリリアーヌの店で過ごさせてもらうことになったのだった。


「梔子。終わったら、すぐに迎えにくるよ。それまで待っていて」

「はい、紅月さま。お待ちしてますね」


ちゅっと口づけを交わして紅月と別れる。

紅月が去ってから、リリアーヌが目を輝かせながら言った。


「あらあら、まあまあ……あなた達、前から仲がよかったと思うけど、しばらく見ないうちにもっともっと仲よくなったのね」

「あ……その、今のは……!」


リリアーヌが見ている前だというのに、いつものように自然にキスをしていたことに気づいて、遅まきながらに恥ずかしくなる。


「ふふ、恥ずかしがることなんてないのに。でも、よかった。あなたと幸せになれて、紅月はやっと報われたのね。梔子もだけれど、紅月もずっと、つらいことばかりだったから」

「リリィさん……」


リリアーヌの口ぶりからは、彼女もまた、紅月の過去を少なからず知っていることが窺えた。


「さて、お茶にしましょ。あなたのお話、たくさん聞かせてほしいもの」



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