十三.聖なる夜の誓い ―4
「紅月さま。朝になりました。ほんの少しだけでいいですから、お願いします。お目覚めになっていただけませんか」
「…………」
よほど熟睡しているのか、返事はなかった。
「紅月さま」
もう一度、今度はもっと大きな声で名を呼んでみる。
けれどそれでも、反応がない。
……本当に、どうしたらいいのだろう。
本格的に頭を抱えてしまった、その時のことだった。
「……いて、いいよ。梔子……」
「紅月さま……?」
「……起きなくて、いい……。このまま、何もしないで……ずっと寝ていればいいんだ……」
ようやく答えてくれたかに思えた紅月の声は、しかし完全に寝ぼけていた。
どうやら梔子の訴えは、まったく彼に届いてはいないらしい。
けれど。
彼にまったく起きる気がないこと。
そして、ただ普通に呼びかけるだけではだめなのだということは、この上もなくよくわかった。
ならば、梔子は――
「……起きて、ください」
無理に彼を起こしてしまうことに対する罪悪感はある。
それでも思いきって、できうる限りの大声を上げた。
「起きてください、紅月さま!」
「…………!」
冷や水をかけられたようにひゅっと息を吸う音が聞こえた。
紅月はやっと目を見開き、梔子を見つめてくる。
昨夜、眠っている彼にしたおかげだろうか。
今、その行為をすることに、不思議と迷いは感じない。
「――……」
すかさず紅月の両頬に手を添え、唇を重ねた。
彼は呆気に取られたまま、ただただ穴が空きそうなくらいに梔子を凝視してくる。
「お、おはようの……」
今さらながらに、凄まじい勢いで恥ずかしさが込み上げてくる。
震える声で、梔子は言った。
「おはようのキス、です。す、少しは……目が、覚めましたか」
紅月が絶句しているうちに、さっと布団から身体を起こす。
ずっと彼と身を寄せ合っていたのに、いきなり離れたせいか。
冬の寒さがいつもより身にしみる気がした。
だが、だらだらとしていてはいけない。
ぱん、と頬を軽く叩き、気合いを入れる。
だいぶ遅くなってしまったけれど、食材を買い求めるために、梔子は手早く身支度をして外に出た。
二日酔いというものは、どうやらある程度時間が経ってから症状が強く出るものらしい。
ようやく正気に戻ってくれたのはいいものの。
紅月は昼頃になってもつらそうに頭を押さえていた。
「紅月さま。昼餉の用意ができました。すぐに召し上がりますか?」
「ああ、ありがとう。そうだね、すぐに行くよ。……っ」
「……まだ、頭が痛むのですか?」
アトリエでの作業を中断して立ち上がった紅月だったが、頭を手で押さえ、苦しそうな表情を浮かべる。
梔子としては紅月が心配で、今日は自室で休んでいてもらいたかったのだが、彼にはどうしても進めておかなければならない作業があるらしかった。
梔子に起こされてからというもの、紅月はまもなくアトリエに行って画業に打ち込んでいたのだった。
「まだ、少しだけね。それより梔子……その、今朝は」
「…………!」
今朝のことを持ち出されると、どうしてもまた羞恥がぶり返してしまう。
「今朝は、すまなかった。いや、たぶん……今朝だけじゃないんだろう。もしかして昨夜、私はずっと……」
「いえ! よいのです。その……ゆっくり、お休みになれたのでしたら」
確かに昨夜も今朝も戸惑ったけれど、それを上回るほど梔子は嬉しかったのだ。
今までずっと、梔子は紅月に助けられてばかりだった。
だから、今度は梔子が彼の助けになれたのなら、彼に必要としてもらえたのなら、本当に嬉しい。
紅月は決まり悪そうに微笑んで言った。
「何というか……すごく、格好のつかないところを見せてしまったね。はあ……。まさか、酔い潰れたところを貴女に見られてしまうなんて」
「静貴さまから教えていただきました。紅月さまは、お酒が苦手でいらっしゃるのだと。……もっと早く、教えてくださればよかったのに」
静貴の話を聞く限り、紅月はごくわずかな量の酒でも酔って倒れてしまうということだった。
もし、何も知らないまま酒を使った料理などを作ってしまっていたら、紅月を倒れさせてしまうところだったのだ。
「それは……だって、格好悪いだろう。この年で一口も酒を飲めないなんて。何度か、笑われたことだってあったんだ。なぜか私は、他人からは酒に強いように見えるらしいから。……ああ、でも」
相当にばつが悪いのか肩を落としていた紅月だったが、ふと思いついたように悪戯っぽい笑みを見せた。
かと思えば、梔子を後ろから抱きしめながら言う。
「こ、紅月さま」
「一晩中ずっと梔子といられて、嬉しかった。貴女と一緒に寝ていられたなんて、夢みたいだ。貴女に添い寝してもらえるなら、また酒に酔うのも悪くないな」
「だ、だめですよ。具合を悪くしてしまうのですから……」