十三.聖なる夜の誓い ―3
「…………梔子……?」
眠っていたはずの紅月が名を呼ぶのが聞こえた。
はっとして見れば、紅月は布団から起き上がろうとしていた。
ふらつきながら身体を起こそうとするのを、彼の正面に回って押しとどめた。
「だめです、紅月さま。ここでお休みになっていなければ」
「……梔子……は」
「私はここにいます。ですから、どうか」
「…………」
紅月はしばらくの間、焦点の定まらないまま視線を彷徨わせていたが、やがて梔子に目を向けた。
すると彼は力の抜けたような笑みを浮かべ、
「見つけた……、梔子……」
「――っ!? あ、あの……あの、あの、紅月さま……!?」
慌てて身を離す暇もなかった。
紅月は梔子の背に両腕を回すと、思いきり深く抱き込んでくる。
……明らかに、紅月は正気ではない。
梔子の思う以上に、彼は今、泥酔のさなかにいるのだと思い知らされた。
「紅月さま」
とにかく、解放してもらわなければ。
梔子を抱いたまま布団の中に潜り込んでしまった彼に、必死に声をかけた。
「ごめんなさい。あの……どうか、お願いです。私を、放してはいただけませんか――」
「……行かないで」
「…………!」
その声が、あまりに心許なく、切なげなものだったから。
梔子は思わず、一切の動きを止めてしまった。
「もう、どこにも……いなくならないで。梔子……」
そう寝言を呟く紅月は、つらそうな表情を浮かべていた。
まるで幼子のように行くなとせがんでくる姿に、梔子は思いがけず胸を打たれる。
(……紅月さま)
もう、放してほしいと願うことなどできなかった。
そっと、自由の利く片手を持ち上げ、紅月の背に回して抱きしめる。
背に触れられ、梔子が身じろぎをしなくなったことに満足したのだろうか。
紅月は先ほどまでとは打って変わって、穏やかな寝息を立て始めた。
(眠ってしまったわ……)
口元にうっすらと笑みを浮かべ、梔子を抱きしめたまま。
この上なく穏やかな紅月の寝顔を見ていると、無理に彼の腕の中から這い出すことはできなかった。
せっかく心地よさそうに寝てくれたのに、彼の眠りを妨げたくない。
やがて梔子は、紅月から酒の匂いはほんのわずかにしかしないことに気づく。
静貴の言っていたことは、どうやら本当なのだろう。
よくよく思い返してみれば、紅月が酒を飲んでいるところは一度も見たことがなかったと気づく。
彼は本当に、ごく少量の酒でこんな状態になってしまったのだ。
(……お酒を使って料理をする時は、気をつけないと)
そんなことを考えながら、梔子はほんの間近にある紅月の面差しを見つめた。
先ほどまでは眉をしかめ、苦痛を堪えているような顔をしていたが、今ではすっかり安らいだ表情になっている。
(よかった……)
とにかく、紅月が眠ってくれてよかった。
……安心したところで、そういえばと梔子は思い出す。
思い出した途端、ほんのりと頬が染まった。
紅月はいつも、夜、寝る前になると、梔子のところへ来て口づけをくれた。
彼の語るところによると、外つ国の夫婦は毎日、目覚めた時と眠る前にキスをしているのだという。
紅月はそれに倣っているらしかった。
……おやすみのキスだと、紅月は言っていたけれど。
ふと思えば、いつもキスは、紅月からしてもらうばかりだった。
もう数え切れないくらい彼と唇を重ねてきたのに、梔子から彼に口づけたことはほとんどないのだと思い至る。
「…………っ」
羞恥が募った。
それでも、いつまでも愛されるだけではいけないと思った。
紅月が梔子を愛してくれた分、梔子だって彼を愛したいのだから……
抗いがたい力に引き寄せられるように、梔子は顔を紅月に寄せた。
そうして目を閉じ、彼の唇にそっと口づける。
「……おやすみなさい、紅月さま」
どうか、彼の眠りが安らかなものでありますように。
そう願いながら、梔子もいつのまにか目を閉じて――
*
(……私、あれからそのまま……眠ってしまったんだわ)
まさか自分まで眠ってしまうとは。
慌てて梔子は時刻を確認しようとした。
外はすでに明るかった。
今は真冬だ。
日が昇るのも明るくなるのも、他の季節よりずっと遅い。
ということは、かなりの朝寝坊をしてしまったことになる。
案の定、壁にかかっていた時計が示すのは、朝というには遅い時刻だった。
紅月には、このまま休んでいてもらいたい。
けれど梔子までここでずっと寝ているわけにはいかなかった。
起床するためには、どうにかして彼の腕の中から抜け出さなければならない。
(いったい、どうしたら……)
試しに、少しだけ身じろぎをしてみた。
けれどやはり逆効果だった。
絶対に逃がさないと言わんばかりに、梔子を抱きしめてくる腕の力がさらに強まっただけだ。
もう、他にどうしようもなかった。
梔子が布団から出るには、一旦、紅月に目を覚ましてもらうしかない。
……気は、引けるけれど。
梔子は少しだけ声を大きくして、紅月に声をかけた。