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十.追想 ~喜びをくれた花~ ―21


……そうして、紅月は梔子とともに駅前の街中まで来ていた。


前に梔子とここに来た時は、まだ歩けず、車椅子を彼女に押してもらっているような状態だった。


それが今は、梔子と並んで歩くことができていることに、どうしても喜びを感じずにはいられない。


彼女とともに過ごすのは、時が経つのを忘れるくらいに楽しかった。

流行りの喫茶で昼食を取り、その後は目についた店を見て回った。

梔子と街を歩くのを楽しみながらも、紅月は一つ、帝都に帰る前にどうしてもやりたいことがあった。


立ち並ぶ商店の店先を眺めながら、紅月はひそかに考える。


(何を贈れば、梔子は喜んでくれるのだろうな……)


梔子には、感謝の言葉などいくら伝えても足りないくらい、本当に助けてもらった。


言葉だけでは、だめだ。

何か、梔子が喜んでくれるような贈り物がしたい。

そう思って、彼女に気づかれないようにそれとなく店先を眺めてきたものの……


(……やはり、わからないな。彼女と同じくらいの年頃の女の子というものは、いったい何をもらったら喜ぶものなのか……)


生まれてこの方、紅月は描くことだけで頭がいっぱいだった。

当然、梔子に出会うまでは、他の娘に想いを寄せたことなど一度もない。

そのため、異性に何か贈り物をするだなんて、考えたことすらなかったのだ。


そうこうしているうちに、汽車の時間は近づいてくる。


どうしたものか……

いよいよ焦り始めた、それは、その時のことだった。


視界の隅に、きらりと光るものがよぎっていった気がして、紅月は思わずその光のほうを振り向く。

その先にあったのは、どうやら舶来品を扱っている店のようだった。


店先にずらりと並んでいるのは、見慣れない小物の数々だ。


金細工の薔薇があしらわれた小物入れ。

陶器でできた愛らしい妖精の像に、真珠で縁取られたブローチ。


品々の一つ一つが、日の光を弾いて、きらきらと輝いていたのだった。

しかし。


(とんでもない金額だな……)


どれも見事な品ではあるものの、値札に書かれているのは、手持ちの金額ではとても足りないような値段ばかりだった。


……ここは、だめだ。

落胆の息をつき、店先を離れようとした時。


ふと、目に止まったのは店の隅に飾られていた首飾りだった。

その首飾りはロケットペンダントになっているらしく、薔薇が一輪、彫刻されている。

石や貝殻に緻密な彫刻を施したものを、確かカメオというのだったか……


(薔薇が、一輪……)


すると、耳の奥に思い出された声に、紅月ははっと目を開く。

それは、かつて紅月に教えてくれた時の、兄の声だった。


――紅月。この先、お前の前に想う相手が現れた時のために、覚えておくといい。薔薇を一輪、渡す時の花言葉は……


その次の瞬間には、紅月はペンダントを手に取っていた。

祈るような思いで値札を見れば、幸いにも手持ちの金額で払えるものだ。


会計を済ませ、急いで店を出ると、しばらくして梔子が駆け寄ってくるのが見えた。


「お待たせしてすみませんでした、紅月さん」

「いや、大丈夫だよ。届け物は済んだのかい」

「はい。それでは、行きましょうか」


ちょうど街に出るならと、梔子は病院から届け物を頼まれていたらしい。

彼女が戻ってくるまでに贈り物を買うことができて、ひそかに安堵のため息をつく。


……駅には、すぐにたどり着いてしまった。

またここに来ると約束したとは言え、梔子と別れるのは名残惜しかった。


「梔子。これを……受け取ってくれるかな」

「え……?」


もし、彼女の気に入る品ではなかったらどうしたらいいだろうか。

緊張しながら、紅月はペンダントを梔子の手に渡した。


「これは……ペンダント、ですか?」


梔子は食い入るようにペンダントを見つめていた。

やがて彼女は、鎖の先についているカメオにそっと触れて呟いた。


「薔薇……が、一輪」

「…………!」


途端、頬に一気に血が集まるのを感じた。


――私には、あなただけ。

一輪薔薇には、そんな意味があるらしい。


聡明な梔子のことだ。

紅月がペンダントに込めた意味に、すぐに気がついてしまったのだろう。


「本当に……これを、私にくださるのですか?」


まるで、目の前で起きていることが信じられないとでもいうような。

呆気に取られた顔で、梔子は紅月に目を向けてくる。

決まり悪く、紅月は頷いた。


「……正直こんなものだけでは、貴女へのお礼としてはとても足りないと思っている。本当は、もっと立派なものを贈りたかったのだけど……」

「いいえ、そんな……! すごく……すごく、嬉しいです。このペンダントは、紅月さんが……私のために、選んでくださったのですから」


その瞬間、梔子が見せた笑顔に。


……心臓が止まるかと思った。

それくらい、彼女は嬉しそうに、満面の笑みを浮かべていて。


たまらず、さっと顔を背けてしまった。

今の紅月の顔はきっと、彼女にはとても見せられないものになっていたからだ。


「……? 紅月さん?」

「……な、何でもないよ。それより、そんなに喜んでくれたのなら……何よりだ」


不思議そうに尋ねてくる梔子に、それだけ答えるのが精一杯だった。

今、梔子の方を向いてしまったら、周りに大勢の人がいるというのに、自分が彼女に何をするかわからなかったのだ。


……本当は、今すぐに彼女に触れたい。

触れて、抱きしめて、彼女の頬や唇に何度も、何度も口づけたかった。


本当に、以前の紅月が知ったならどれほど驚くことだろう。

まさか自分が、たった一人の少女にこんなにも深く心を奪われてしまうだなどと。


「ええと……」


すると、何かを迷っているような梔子の声が聞こえた。

気にかかって見てみれば、彼女はペンダントの鎖を指先でつまみながら、難しい表情をしている。


「紅月さん、ごめんなさい。これは、いったいどうすれば……」

「鎖の外し方だね?」


梔子からペンダントを受け取って、鎖を見てみる。


「たぶん……こうしたら外せるはずだ。この小さい突起のところを爪の先で動かせば……ああ、取れた」

「あ……本当ですね。ありがとうございます」


そのまま梔子にペンダントを返そうとしたが、紅月は途中で思い直した。


彼女は鎖を外そうとしていた。

それはつまり、彼女がこの場でペンダントを身につけようとしてくれていたということだ。

それならば。


「……梔子。少しだけ、髪に触れるよ」

「え? あ……」


ペンダントを持ったまま、そっと梔子の髪を避けてうなじに手を回した。

指先で鎖の突起を確かめ、彼女に尋ねる。


「少しだけなら、長さも調整できるみたいだ。このくらいで大丈夫かな」

「は……い。大丈夫です」


梔子との距離の近さにまたしても緊張しながら、紅月はどうにか鎖をつなぐことができた。


彼女は自分の首元にかけられたペンダントを見ると、手で包み込むように大事そうに触れ、微笑んでくれる。


……そうこうしているうちに、遠くの方から汽笛の音が聞こえてきた。

汽車の時間は、もう間近に迫りつつある。


「お気をつけて、紅月さん。また会えるのを、楽しみにしてますね」

「ああ。近いうちに、また会いに行くよ」


ついに紅月は、この街から――梔子から、離れなくてはならない。

そう思えば、周りの人目のことなど、少しも気にしてはいられなかった。


「……梔子」


もう、堪えることはできない。

気づけば紅月は、梔子を抱き寄せ、再び彼女の唇に口づけていた。




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