第276話:母さんの決断
さぁっと。
春の風が、吹き抜けて。
舞う、桜の花びら。
風が鳴らす、樹の葉の、音以外。
音の無くなった、庭で。
ごくり。
母さんの表情が、驚きから、苦渋へと変化し、さらに。
少し、引きつったような、真顔へと。
そして。
意を決したかのように。
ざっ、ざっ。
一歩、二歩。
進み出て。
「九重さん……皆さん、顔をあげて下さい」
最初は、ぽつりと。
最後は、はっきりと。
土下座した四人の女性が、顔だけをあげたのを確認して、母さんは。
「え?」
え?
今度は、あたしが。
そして、その場の皆が。
驚く番。
母さんは、すっと。
その場にしゃがみこんで。
正座をして。
「こちらこそ、失礼を申し上げ、また、お騒がせして大変、申し訳ございませんでした」
土下座返し!?
また、しばしの、静寂。
母さんに土下座をされた側の、四人の女性、それにホンダさんも。
反応に困っている様子。
母さんが、ゆっくりと顔を上げ。
迷彩服の白髪のおばあさんの方を向いて。
「お兄さん……本多さんを降ろしてあげてもらえますか?」
「あ、あ、あぁ、おい」
おばあさんは、母さんの真剣な声に押されて、後ろに立つ迷彩服の男たちに指示を出す。
すぐに、迷彩服の男たちが動いて。
ホンダさんは、つるし上げから、解放され、地面に降ろされる。
母さんは、所在無げに立ち尽くす本多さんに向かって、改めて土下座をして。
「本多さん……大変申し訳ありませんが、先般のわたくしの申し出、取り下げさせて頂きます……どうか、こちらの方と、お幸せに」
あ……。
何が?
どうして?
どういう、理由で。
母さんが?
つい、ユイナおねえちゃんと顔を見合わせると。
おねえちゃんも、何が何やらと言った表情。
しばらく、頭を地面につけていた母さんが、ゆっくりと顔をあげて。
立ち上がって。
スカートの膝あたりに着いた泥を手の甲で軽くはらった後。
「りょうこさん、お立ち下さい。これで、終わりにしましょう」
そう言いながら、迷彩服の白髪のおばあさんに手を差し伸べ。
「あ、ああ……」
おばあさんも、差し出された母さんの手を取って。
すっと、立ち上がり。
母さんは、隣に移動して。
「蘭さん……」
彼の女性にも、手を差し伸べて。
「いろいろと、ごめんなさい」
それを見ていたユイナおねえちゃんが、方菜さんの、前に出て、手を伸ばす。
あたしも。
河崎さんの前へ移動して、手を伸ばして。
三人の女性に手を貸して、立たせる。
手を繋いだまま。
彼の女性……蘭さんは。
「どうして、急に……?」
さすがに、それは、蘭さんのみならず。
あたしも含めて、ここに居る皆の、疑問。
「……わたしは……九重の……」
母さん……。
言い淀んで、でも、何か話そうとする、母さんを。
遮るように。
「さーさー、一区切りついたみたいだし、どんどん食べよう食べよう。食材はまだまだたっくさんあるから、そこの迷彩服のひとたちも食べて食べてー」
この場の主でもある、金髪子先輩の言葉に。
でも。
迷彩服の白髪のおばあさんは。
「いや、すまんけど、ウチらはこれでお暇させてもらいますわ」
「え、そう?」
「はい、お騒がせしましたよって、ほんま申し訳あらしまへんでした」
そう言って、さらに。
「ほら、あんたらも、帰るで」
ホンダさんたちへ、告げる。
ホンダさんたちも、その言葉を受けて。
「あ、ああ……」
仕方が無いと言えば、仕方が無い、か……。
「園ちゃ……園田さん、ごめんね」
「いえ、こちらこそ……」
ホンダさんと、母さんが、ひとこと、交わしたけれど。
ホンダさんたちは、着替えるために、一度別荘の、中へ。
おばあさんは、トラックの中へと、戻って。
「それじゃあ、こっちは続き、続きー」
金髪子先輩の、音頭で。
皆も。
「食べましょう食べましょう」
「飲み物もまだまだあるよ」
「おっと、炭追加しなきゃな、ケンゴ、森本、そっちのコンロ頼む」
「あいよ」
「了解」
「材料も追加しないと」
「パパぁ、おにくー」
「はいはいちょっと待ってね」
ぱたぱたと。
動き始める、時間。
何事も無かったかのように。
いや。
何事も、無かった事にしたい、かのように。
改めまして。
お花見バーベキュー大会
母さんには、後で、ゆっくり、色々、聞かせてもらおう。
話してくれれば、だけど。