今まで通りの学校②
美辰が二階に上がってから少しして、階段を降りる音が聞こえてきた
紅華は耳を澄ませ人数を聞き分ける
(二人、か。あいつはまた引きこもりかな)
そんなことを考えながらソファに寝転がっているが、ふと忘れかけていたことを思い出した紅華
「あ、そうだ。寸前で悪いけど」
「…?」
不思議そうな顔をする太一
「まだ時間はあるだろ。ちゃっとシャワー浴びて着替えろ」
「あー、それもそうだな。よし、急げ!」
「え、あ、ちょっと」
事の処理が追い付かない太一の背中を美辰がぐいぐい押していく
十分程度でシャワーを浴びて出てきた
美辰も一緒に入ったらしく若干濡れている
「はえーな」
「二人でやればね」
「……」
少々やつれた顔の太一
もみくちゃにされたのが想像できて、同情する紅華
「似合うじゃねーか」
「俺のお古やけどな。新しいのまた買うてもらわんとな」
音弥が小さい時に着ていたTシャツと短パンに着替えさせた
バタバタとしたがまだ間に合う時間だ
「じゃ、行ってきます」
「おう、気をつけてー」
「行ってらっしゃ~い」
「あ、美辰ぅ、俺も乗っけてぇ~」
紅華と羽衣が言った後、トートバッグを持った音弥が美辰の肩を組む
「やだって言っても乗るじゃん」
「それはまぁ、せやな?」
「遠回りになりますよ。太一の学校寄らなきゃなんで」
「ええよー」
二人の会話をなにか考えるような顔で見ている太一
なんとなく紅華には分かったので声をかける
「気になるか?こいつらがどこに行くか」
「え、あぁ、まぁ」
「大学だよ」
「へぇ…」
「あと、私と音弥と美辰は同い年だから。美辰が敬語混ざりで話すのはここに来たのが音弥のが先ってだけ。気にすんなって言ったんだけどねー」
「…そうなんですね。紅華さんは大学行かないんですか」
「私は勉強嫌いだからね」
ふーん、と言った反応をする太一。
興味があるのかないのか、読めないのがまた面白い
「んじゃ、行ってらっしゃい。寄り道せずに帰っておいでね」
そう言って紅華はソファから立ち上がって二階に行く
太一はそれを黙って目で追う
「…」
「…太一」
階段に向かった身体が太一に向き直る
「…はい」
「行ってらっしゃい」
柔らかい笑みで言う紅華
そのやり取りをリビングにいる三人が見ている
「……いって、きます」
「おう」
ごく一般的に行われるやり取りは太一にとって久しぶりの感覚だった
満足したかのように階段を上がる紅華とそれを見送る四人
「…紅華ちゃんのあんな顔が見れるなんて、太一ちゃんには感謝ねぇ~」
朗らかに言う羽衣
「ほんまやわぁ、レアもんやで」
感慨深そうにいう音弥と頷く美辰
「…んじゃ、行きますか」
美辰のその一声で男三人が玄関に向かっていった
◇◆◇
美辰の運転する車に乗り込んで学校に向かう
なぜか助手席ではなく後部座席の太一のとなりに座っている音弥
お陰で太一はずっと話しかけられている
「なぁ太一くん?」
「はい」
「俺らいくつに見える?」
「十八から二十二かと思ってます」
「うぇ!?ドンピシャやん!俺ら二十一やねん!すごいなぁ?なんで分かったん?」
「紅華さんが大学生だって言ってたので。浪人せず現役だったらその辺りと考えるが妥当かな、と」
「す、すごいなぁ…ほんまに。これで小一かいな」
相変わらず冷静で聡明な太一
時に大人をも圧倒させる物言いだ
ほぼほぼ音弥の自慢や近況を聞く登校となった太一は学校につくなりそそくさと車を降りた
「ほな!お友達と仲良うしぃや~」
「ありがとうございました」
「おう。向かえもここら辺にいるから。行ってらっしゃい」
「分かりました。……いってきます」
ペコリと一礼してすたすたと歩いていく太一を見送る二人
「あの子、昔の紅華にちょっと似とんな」
「あぁ、だから拾ったんじゃん?」
「かもな。おっさんに見せるん楽しみやわ」
「だな」
そういってまたアクセルを踏んで自分達の大学に向かった
◇◆◇
住み処が変わったからといって学校生活がなにか変わるわけではない。
皆思い思いにおはよー、と挨拶をする中、一人淡々と教室に向かう。その道中も細めた声での噂話が聞こえてくる。
「今日は服変わってるね」
(そういえば同じ服ばかりだったな)
「なんか髪サラサラしてない?」
(まともに風呂に入れたのは久しぶりだだったな。美辰さんがエチケットだの言ってなんか塗りたくってたし)
朝からもみくちゃにされたのは解せないが、感謝すべきではあるようだ。
「あ、太一くんおはよー」
「おはようございます」
「なんか顔色いいね!」
通りすがりの先生に挨拶される。
いつも悪かったのか、と思いつつぺこ、と頭を下げてまた歩き出す。
なんだか少しだけ、晴れた気分だった。
いつもと変わらない授業を五時間受け、下校時間になる。各々が遊ぶ約束をしたり、またねーと声を掛け合う中、太一は一人静かに教室を出ようとした。
「あ、太一くん!」
ドアから出る一歩手前で担任の新井先生に呼び止められる。
「はい」
「ちょっとお話いいかな?職員室に来てくれる?」
「分かりました」
多分、家のことだろうな、と太一は思いながら職員室に向かう。
そもそも、自分はどう答えるのが正しいのかさっぱり分からない。聞いておけばよかったな、と後悔する。
親戚の家にいる、とでも言えばいいのだろうか。学校にはどう伝わっているのか。はたまた全く伝わっていないのか。
悶々としながら職員室の前で新井先生が来るのを待つ。
新井先生は新任の教師ではじめて持ったクラスがうちらしい。
(僕のいるクラスを持つなんて、なんとも不運だよな)
そんなことを考えていたらスタスタとこちらに向かう音が聞こえてきた
「お待たせ!こっちへどうぞ」
職員室のとなりにある個室に案内される。看板には【指導室】とある。
中にある席に座るよう促され、先生と向かい合う
「それでね、話って言うのが…」
「僕の家のことですか?」
「っそう…!住所を変える書類が郵送で送られてきてて…これって、その…」
(明霞にどう変えたのかを聞いておけばよかった)
言い淀む先生の言い方では読めない。
話の流れに合わせるしかないと太一は頭を回転させた
「お引っ越しとか?」
「…」
引っ越しだとして、身元保証人の名前が違うはず。引っ越しはあくまでご近所への噂程度だろう、と太一は推測する。
「僕は、引っ越し気分です」
家が変わったから、なにも間違っちゃいない。
「そ、そうだよね!素敵なお家?」
「はい。とても」
「そっかぁ。そのお家って親戚さんとか?」
やはりその線か。
答えようとしたときドアがノックされる。
「…?はい?」
「新井先生、と、久山くんもいましたか。お兄さんがお迎えに来てますが」
「…お兄さん?」
男の教師が告げる
多分美辰さんだろうと太一は勘付く
「…兄ちゃんが来てくれたんダー」
それっぽい言い方をする。実に辿々しい。
そうこうしていれば男の教師の後ろからひょこっと現れる美辰。
「おー太一!なかなか来ねーからよー」
「み、美辰兄ちゃん」
美辰がかすかに驚いた顔をする。その次には笑いそうになっている。
「…し、失礼ですが!」
勢いよく新井先生が美辰に問いかける
「あなたは、太一くんとどの様な関係で?」
「俺すか?親戚です!かなり遠縁ですけど!」
やけに明るい口調の美辰から出たその一言で太一はこれからの設定を飲み込んだ。
「いやぁ、太一の親が逃げまして。しばらく帰ってこないのをご近所さんが心配してまして。たまたま近くにいた俺に話が回ってきたんですよぉ。連絡もつかないし、太一は傷だらけだし、可哀想なんでうちで引きとったんす!」
誰が考えたかは知らないが、それらしい理由だ、と太一は思う。
「…子供を育てられる経済力はあるんですか?かなりお若く見受けられますけど」
新井先生は意外としつこい性質らしい。いや、教師としてのプライドだろうか。
「あ、親は俺じゃないすよ!俺の親が親です!俺も大学生真っ最中なんで。親父は中々稼いでる方だと思いますよー?」
それに対抗するかのようににこやかに言ってみせる美辰。大人とは怖いものであるな、と太一は再認識する。
「…ま、まぁまぁ、細かい話はまた後日時間を取ってしましょう。子供の前でこんな話は、ねぇ?」
影を薄くしていた男の教師が終止符を打つ。
「…そうですね。失礼しました。また後日話しましょう」
「いやいや!こちらこそ!お時間取ってすんませんね!」
美辰はさっきからずっとニコニコしている。その笑顔には人をあまり寄せ付けないようなオーラが感じられた。
「じ、じゃあ、太一くんも、また明日ね!」
「はい。さようなら」
「さようなら~」
一礼して部屋を出る。
太一の右手は美辰の左手に繋がれている。その手は暖かく、柔らかい。所々固い感覚がするのは胼胝だろうか。
車までを手を繋いだまま歩く。
太一は居心地が悪く、慣れない。
「…そういうことだから。合わせとけ」
「はい。分かってるつもりです」
「変に答えてないよな?」
「どう伝わっているか分からなかったので、何も」
「ん。よくやった」
そう言って美辰が太一の頭をワシワシと撫でる
太一は慣れない感覚に肩がくすむ
「…っ」
「ふはっ、慣れないか?」
「はい…」
「そっか、これからだな。あ、他のもみんな兄弟ってことにしとけ。父親は今日会う人な」
「はい」
車までついて、乗り込む。
運転席に座った美辰が途端に大きなため息を吐く
「っはあ~~~~~~~~~っ、疲れたぁ」
やっぱり、無駄に明るくしてたんだろうな、と太一は察する
「…ありがとうございました」
「いやいや、付き合わせてんのこっちだしな。俺も昔やってもらったし。ま、太一はあんま気にせず今まで通り過ごしとけ」
懐かしむように言ったあと、たくましく見えた美辰の背中を太一はじっと見つめた。
「んじゃ!帰りますか!」
そう言って美辰はアクセルを踏んだ。